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第47話:白銀の残照

第47話:白銀の残照


傷が癒えるにつれ、青年たち三人の生き残りは、自然とスノーエルフたちの生活に溶け込んでいった。


極寒の地を生き抜く彼らの営みは、過酷だが驚くほど穏やかだった。


巨大な雪獣の狩りでは、軍で叩き込まれた槍術で獲物を仕留め、大男の青年が率先して重い獲物を背負った。毛皮を剥ぎ、脂を切り分ける作業を手伝うと、長老は深く刻まれた皺をほころばせて青年の肩を叩いた。


夜になれば、風を遮る天幕の中、赤々と爆ぜる薪を囲む。 木椀に注がれた湯気立つ温かいスープを啜り、拙い身振り手振りと笑顔で今日あったことを語り合う。


帝国で教え込まれてきた常識——「亜人は従わぬ蛮族」「排除すべき下等な生物」という刷り込みは、彼らと過ごす時間の中で、音を立てて崩れ去っていた。


(帝国の領土がどうとか……出世がどうとか……そんなもん、どうでもいいな)


肩にのしかかっていた重い鎧が、心の底から剥がれ落ちていくようだった。


銀糸の髪を揺らす子供たちが、青年の金髪を珍しそうに指先でつつき、目が合えばきゃらきゃらと鈴を転がすように笑う。




ある日、小さな女の子がはにかみながら、青年の大きな手のひらに小さな木片を握らせてきた。

拙い彫り跡の残る、雪ウサギの形をしたお守りだった。


「……ありがとな」


頭を撫でてやると、子供は嬉しそうに目を細めた。

胸の奥から、じんわりと温かいものがこみ上げてくる。



(そうだ。俺はもう、誰かを踏みにじるために剣を振るうんじゃない)

(こんな子供たちが笑っていられる世界のために……戦いを起こさせないための戦いをしよう!)


泥臭い傭兵上がりで、ただ命をすり減らしてきた人生だった。

だが、生まれて初めて、濁りのない前向きな希望が胸の奥に灯っていた。


そんな優しい時間にも、終わりは唐突に訪れた。



◇


猛吹雪が止んだある日の朝。

地響きとともに雪煙を割って現れたのは、帝国の紋章を掲げた魔導馬車と、重装甲に身を包んだ捜索隊だった。


天幕から飛び出した青年たち三人は、咄嗟にスノーエルフたちを背に庇い、身元を明かした。


血気盛んな部隊長が刃を抜くかと思われたが——馬車から降りてきた上官は、意外にも穏やかな笑みを浮かべていた。


「おお……生き残っていたか! よくぞ無事でいてくれた」


上官は部隊を制し、長老の前に進み出ると、慇懃に胸に手を当てて一礼した。


「スノーエルフの長老殿。我が帝国の兵を手厚く介抱し、命を繋いでいただいたこと、心より感謝申し上げる。帝国軍を代表し、礼を言わせてほしい」


長老もまた、穏やかに目を細めて首を横に振った。見返りなど端から求めていなかった。



胸を撫で下ろした青年は、子供たちの前に屈み込み、別れを惜しんだ。

「元気でな。お前たちにもらった命だ、無駄にはしねぇよ」

子供たちは寂しそうに眉を下げながらも、小さく頷いた。

青年たち三人は上官に促され、馬車へと乗り込んだ。

車輪が軋み、馬車が集落を背にして雪原を進み始める。


窓から振り返ると、遠く離れていく雪の丘の上に、小さな人影が見えた。

子供たちだった。


寒風に頬を真っ赤に染めながら、ちぎれんばかりに大きく手を振っている。

目頭が熱くなった。


青年は窓から身を乗り出し、大声で別れの言葉を叫ぼうと、大きく手を掲げた。



——ありがとう、



と。その声を張り上げようとした、まさにその刹那だった。



馬車の屋根に立つ魔導術士が、冷淡な声で短く呟いた。

「——【ホーリークロス】」



大気が凍りつくような高密度の魔力が天空を裂いた。



青年の瞳が、信じられない光景を映し出す。

遥か上空に突如として現れた、白銀に輝く巨大な光の十字架。


それが落ちたのは、先ほどまで青年たちがいた——スノーエルフの集落の真上だった。

ドッッッッッッガァァァァァァァァァンッッ!!!!

天と地をひっくり返すような轟音と衝撃波。

白銀の閃光が集落を呑み込み、超高熱の爆炎が雪原を一瞬で蒸発させた。


立ち並んでいた天幕も、穏やかに笑っていた長老も、遠くで手を振っていた子供たちの小さな影も。


すべてが、光の業火の中に溶け、掻き消えた。


残ったのは、吹き荒れる黒煙と、焼け焦げた巨大なクレーターだけだった。




「……………………は?」



声にならなかった。



世界から音が消え、視界が真っ白に明滅する。

手の中に残された、小さな雪ウサギの木彫り。 さっきまで、

あそこで手を振っていた。

笑っていた。

スープを分けてくれた。

生きろと言ってくれた。




次の瞬間、青年の喉から、人間のものとは思えない絶叫が迸った。

「なぜだぁぁぁあああああああああああああああああああああああああっ!!!!」

狂乱した青年は馬車の座席を蹴破り、目の前に座っていた上官の胸ぐらを両手で掴み上げた。


ガシャンと背板に叩きつけ、血走った眼球を剥き出しにして吠える。

「なぜだ!! なんであいつらを殺したッ!! 恩人だぞ!? 俺たちを助けてくれた、ただの優しい遊牧民だぞッ!! なんで殺したぁぁぁッ!!」

周囲の護衛兵たちが一斉に殺気を放ち、腰の剣に手をかける。

だが、上官は小さく手を振ってそれを制した。


乱れた襟元に、眉一つ動かさない。

ただゴミを見るような冷え切った瞳で、血走った青年の顔を真正面から見下ろすと——。

「……鬱陶しい」

乾いた呟きと同時だった。


青年の視界から、上官の姿が一瞬でブレる。


バキッ、と鈍い破砕音が車内に響いた。


「ぎゃ……っ!?」


青年の両手首が、あり得ない角度へとねじり上げられていた。

技の起こりすら見えぬ神速の関節技。


掴みかかっていた指先は容易く外され、悲鳴を上げる間もなく、鳩尾(みぞおち)へ容赦のない硬質な膝蹴りがめり込む。


肺の中の酸素がすべて強制的に吐き出され、視界が激しく明滅した。

息が詰まり、くの字に折れ曲がった青年の後頭部を、上官の冷酷な掌が鷲掴みにする。


ドォォンッ!!


分厚い床板に顔面を叩きつけられ、鼻血と唾液が飛び散る。

反撃はおろか、身じろぎ一つ許されない。

歴戦の正規兵として鍛え上げてきたはずの己の肉体が、

まるで赤子のように児戯にあしらわれ、床に組み敷かれていた。


ピシリと、冷たい革の感触が後頭部にめり込む。

上官が、泥のついた軍靴の底で、青年の頭を無慈悲に踏みにじったのだ。

床板に頬を押し潰され、歪んだ視界の中で、手から転がり落ちた粗末な「雪ウサギの木彫り」が虚しくカタカタと揺れていた。


「……なぜだと? 貴様、軍人としての教育をどこへ置き忘れてきた」


上官のため息混じりの、氷のように冷たい声が頭上から降ってくる。


踏みつける足の爪先に体重を乗せ、頭蓋骨を軋ませながら、冷酷な軍事論理を淡々と告げ始めた。

「貴様の無様な八つ当たりに付き合う義理はないが……無能の頭にも解るよう、三つ教えてやろう」

上官の冷たい声は、車内に響く乾いた車輪の軋み音に混じって淡々と続いた。


「一つ、軍規に基づく作戦機密の保全だ。これより帝国本隊がこの北方領域で大規模な軍事作戦を展開する。

我が軍の規模や進軍ルートを目撃した異種族を放置し、

情報が外部に漏れたらどう責任を取るつもりだ?

未登録の亜人集落など、軍規上は『潜在的敵性勢力』に過ぎん。

事前に一掃するのは軍人として当然の掃除だ」


「ぐ……あ……ッ……!」


声すら出せない。顔面を踏みつけられたまま、青年はただ血の混じった嗚咽を漏らすことしかできない。


「二つ目だ。貴様らは私に感謝すべきなのだぞ」

頭上の上官が、嘲笑を滲ませて靴底を踏み直す。


「帝国軍の正規兵が、亜人の施しを受けて生き延びたなどという

不名誉な事実を抹消してやったのだ。

本国への報告書には『過酷な極寒地帯を自力で踏破し帰還した』と書いてやる。

死人に口なしだ。蛮族に頭を下げたという泥を、

貴様らの軍歴につけずに済んだのだからな」


理不尽な論理。



だが、それを跳ね除ける力すら、今の自分にはない。

そして——上官の口から吐き出された最後の言葉が、

床に這いつくばる青年の魂にトドメを刺した。


「そして三つ目——これが貴様らの最大の功績だ」


頭を踏みつけていた軍靴が、ゴミを払うように乱暴に離された。

上官は床に転がった青年の肩を、侮蔑混じりにトントンと靴先で小突く。


「よくやってくれたぞ。貴様らが残した足跡と生活反応を追ったおかげで、

長年地図に載っていなかった蛮族の隠れ里を、

極めて正確に特定できたのだ。

あの集落の捜索には何ヶ月も手を焼いていたのだからな。

……貴様らが案内人(囮)になってくれたおかげで、

我が軍は無傷で一網打尽にできた。勲章ものの大手柄だぞ」


床に突っ伏したまま、青年の身体が痙攣するように小さく震えた。

(俺が……)

頭の中で、何かが音を立てて砕け散った。

(俺たちが……生き延びたせいで……?)

(俺たちが……足跡を残したせいで……あの子たちは……?)

あの子たちが助けてくれたから、俺たちは生きた。

俺たちを生かしたから、帝国軍がやってきた。

俺たちに手を振って見送ってくれたから

——あの子たちは、跡形もなく焼き殺された。






転がった木彫りの雪ウサギの白木に、青年の流した鼻血がぽたりと赤黒い染みを作っていく。


まだ微かに、あの小さな指先の温もりが残っているような気がした。

視界から、急速に色彩が失われていく。

白銀の美しい雪景色も、澄んだ青空も、すべてが汚泥のような灰色へと塗り潰されていく。


信じようとした希望も、前を向こうとした誓いも、人としての心も。

すべてが、冷酷な光の業火の中で焼き尽くされ、死に絶えた。

青年の瞳から、光が完全に消え失せた。

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