第33話:裏街の掟と死の静寂
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### 第33話:裏街の掟と死の静寂
カチャン。
ダインがカウンターへ滑らせた銀のコイン。
それが木目の粗いカウンターを転がり、店主の女性の前で静止した瞬間——店内の喧騒が嘘のように掻き消えた。
客たちが杯を置く音。娼婦たちが扇子を閉じる音。
それまでの怠惰な空気は一瞬で瓦解し、肌を刺すような鋭い死線が、店内のあらゆる暗がりからダインとリノへ集中する。
「……そいつを、どこで手に入れた?」
店主の女性は煙管を灰皿にコンコンと叩きつけ、紫煙を吐き出しながら低く問うた。
その瞳には、先ほどまでの「只のうらぶれた娼館の女将」の面影はない。ダインの首筋を一瞬で切り落とす算段を立てているかのような、本物の殺し屋の目がそこにあった。
「トマス商会のザンギエット殿から譲り受けた。……顧客の紹介としてな」
「トマス商会……あの狸親父か」
女性は吐き捨てるように言うと、手袋を嵌めた指先で銀のコインを拾い上げ、表裏を確かめるように検分した。
「……本物だね。あいつが他人にこの『黒印 coin』を渡すたぁ、余程の客か、あるいは死にかけの道楽者か……どちらにせよ、あんた、タダ者じゃないね」
女性はカウンターの裏から重々しい鍵の束を取り出すと、店の奥にある頑丈な鉄扉を顎でしゃくった。
「ついてきな。だが——後ろの小娘も連れて行くなら、覚悟しておきなよ。この先は『黒の回廊』。一度足を踏み入れれば、ただの好奇心で生きて戻れた奴は一人もいない」
「承知の上だ。行くぞ、リノ」
「はい、ダイン様」
ダインとリノは一切の躊躇なく、女性の後を追って鉄扉の奥へと足を踏み入れた。
◇
地下へ続く長い石造りの階段を下りていく。
湿った空気と、仄かに漂う錆びた鉄——血の匂い。
辿り着いたのは、無数の松明が揺らめく地下の巨大な円形部屋だった。
壁沿いには全身を漆黒の暗部衣で包んだ男たちが影のように佇み、呼吸音すら殺してこちらを鋭く監視している。
部屋の中央、古い木製のデスクに腰掛けていたのは、顔全体を異形の仮面で覆った小柄な人物だった。
「……トマス商会のザンギエットからの紹介状か。珍しいこともあるものだ」
仮面の奥から聞こえたのは、男とも女とも、若者とも老人ともつかない掠れた合成音のような声だった。
「わたくしは暗殺者ギルド『黒の回廊』の幹部、ジゼル。……して、そこの大男。我がギルドに何を求める? 誰の首を討ち取ってほしい?」
ジゼルが尋ねると、ダインは静かにフードを外した。
そして、上着を脱ぎ捨て、背中に宿る「呪い」を剥き出しにする。
「っ……!?」
その瞬間、部屋を満たしていた静寂が弾け飛んだ。
監視していた影の男たちから息を飲む気配が漏れ、仮面の人物——ジゼルがガタッと椅子を鳴らして身を乗り出した。
(な……なに……この気味の悪い気配は……!?)
仮面の裏側で、ジゼルの紫色の瞳が大きく見開かれていた。
他者の精神や欲望、魂の「質」を本能的に感知する能力を持つジゼル。
普段ならどんな男の欲望も手玉に取れるはずの彼女の感覚器官が、ダインの背中から発せられる凄まじい「龍の狂気」に触れた瞬間、激しい拒絶反応を起こして悪寒に震えたのだ。
「……これは……『龍毒』……!? まさか、生きて『龍毒』を宿し、正気を保っている者が現れるとはな……」
合成音の奥で、ジゼルの息が僅かに乱れているのをダインは見逃さなかった。
「俺はこの毒の治療法を探している。……ザンギエット殿から、お前たちの情報網なら古代龍や龍毒に関する伝承を知っていると聞いた」
「……なるほど。なるほど……」
ジゼルは不快な悪寒を強引に押し殺し、姿勢を正した。
「いいだろう。貴方の求める情報は、我がギルドの最深禁書庫に眠っている。……だが、先ほど店主も言ったはずだ。『等価交換』とな」
「代償は何だ。金を払えばいいのか?」
「金などという泥の如き紙屑は不要。我がギルドが求めるのは……『実績』と『刃』だ」
ジゼルはデスクの上に、一枚の漆黒の指名手配書(羊皮紙)を提示した。
「メルカティの地下水道に潜み、我がギルドの刺客を三人も返り討ちにした狂乱の魔物……『腐食の蛇竜』の首を持ち帰りたまえ。……さすれば、貴方の背の毒を解く第一の鍵を授けよう」
「『腐食の蛇竜』……か。いいだろう、受けて立つ」
ダインは迷うことなく頷いた。
生き残るための取引。己の命を賭けた戦いが、再び始まろうとしていた。




