第31話:烙印と闇のプロトコル
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### 第31話:烙印と闇のプロトコル
静まり返った馬車の中に、ダインの背中から発せられる「異物感」だけが重く立ち込めていた。
外骨格の亀裂から垣間見える、漆黒の龍鱗。そして、まるで意思を持っているかのように黒い表皮の下で不気味に胎動する蠢く紋様。
先ほどまでコミカルな軽口を叩いていたアルですら、口を半開きにしたまま完全に固まっている。
「……これが、『龍毒』……」
ザンギエットはゴクリと唾を飲み込んだ。
先ほどまでの揉み手をする好々爺然とした営業スマイルは完全に消え去り、その瞳には冷徹で鋭い「観察者」の光が宿っていた。
彼は手袋をはめた指先をすっと伸ばし、ダインの背中の皮膚に触れようとして——ピタリと止めた。
「触れない方が賢明ですよ、ザンギエット殿」
リノが静かだが静止の意を込めた声をかける。
「その毒は……見る者、触れる者を侵食します。ダイン様の強靭な精神と肉体でなければ、触れた瞬間に神経を焼かれ兼ねません」
「……なるほど。恐ろしい『呪い』ですね」
ザンギエットは素直に手を引き、胸の前で組み直した。その動作には一切の無駄がなく、身のこなしだけで彼が只者ではないことが痛いほど伝わってくる。
「ダイン様。率直に申し上げましょう。この紋様……そして『龍』の名を冠する呪詛。これは表の歴史書や、一般的な調合ギルドの文献を探したところで、一文字たりとも情報は得られないでしょう」
「……つまり、メルカティに行っても無駄だってことか?」
ダインが服を羽織り直し、フードを深く被り直しながら尋ねる。
「いいえ、『表のルート』では無駄、という意味です」
ザンギエットは短く息を吐くと、馬車の小窓から外を覗いた。スネアが巧みに手綱を捌き、馬車が街道を順調に進んでいることを確認すると、再びダインへ向き直る。
「わたくしどもトマス商会は、裏社会のあらゆる情報や物品も扱います。……そして、この世界にはどれほど高価な金銀財宝を積もうとも決して売られない『禁忌の情報』を取り扱う集団が存在します」
「……暗殺者ギルド、か?」
ダインが呟くと、ザンギエットの眉がピクリと跳ねた。
ザンギエットは数秒間、ダインの目をじっと見つめ、やがてふっと口元を緩めた。
「おや……見破られておりましたか。さすがは修羅場を潜ってこられたお方だ」
「いや、勘だ。あんたの佇まいや、さっきの『顧客情報は拷問されても漏らさない』なんてセリフ……ただの商人が言えるような度胸じゃねぇからな」
ダインの言葉に、ザンギエットはどこか懐かしむような、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「……ええ。わたくしも昔は、生きるために刃を振るい、人の命を削って糧を得る『裏の住人』でした。今でこそこうして綺麗な服を着て商人を気取っておりますが……根っこにある泥と血の匂いは消えません」
ザンギエットは馬車の隅で静かに身を寄せ合う幼女たちに一瞬だけ温かい視線を送ると、再びトーンを落として続けた。
「暗殺者ギルドの最深部……『黒の回廊』と呼ばれる情報網になら、古代龍や龍毒に関する伝承が眠っている可能性があります。……ただし、彼らと取引をするには『信用』ではなく『相応の代償』と『覚悟』が必要です」
「代償……金か?」
「いいえ。彼らが求めるのは往々にして『命の等価交換』、あるいはギルドにとって不可欠な『危険度の高い任務の引き受け』です。ダイン様、貴方様のそのお体で、さらに死地へ飛び込む覚悟はおありですか?」
重苦しい問いかけが馬車内に響く。
アルは気まずそうに腕を組み、窓の外を眺めるフリをしている。リノは心配そうにダインの裾をぎゅっと握りしめた。
ダインは己の拳を見つめた。
日本にいた頃の自分なら、こんな危険な話を聞いた瞬間に逃げ出していただろう。理不尽な現実に怯え、ただ誰かが助けてくれるのを待つだけの、体重160kgの惨めな男だった。
だが——今の自分には、守るべき仲間がいて、もう一度自分の足で生き抜くと決めた覚悟がある。
「……ハッ、今更死地の一つや二つ、増えたところでどうってことねぇよ」
ダインの口から出たのは、驚くほど低く、力強い言葉だった。
「俺は死ぬためにこの世界に来たんじゃねぇ。生き残るためなら、暗殺者だろうがなんだろうが利用してやるさ」
その言葉を聞いた瞬間、ザンギエットの目が一瞬だけ大きく見開かれ、やがて満足気な、心からの笑みがその顔に浮かんだ。
「……素晴らしい。実に素晴らしいお覚悟です、ダイン様」
ザンギエットは胸ポケットから、純銀で細工された特殊なコインを取り出し、ダインの手元へ滑らせた。
「メルカティに着きましたら、スラム街の奥にある娼館『黒猫の嘆き』をお訪ねなさい。そのコインを店主に見せれば、ギルドの『窓口』へ案内されるはずです。……これは、先ほど命を救っていただいたお礼と、わたくしからのささやかな『投資』でございます」
「……いいのか? タダでこんなものを貰って」
「タダではございませんよ? 貴方様が生き残り、いずれ大物になられた時……トマス商会と優先的に贔屓取引をしていただく。それがわたくしの狙う『利益』でございますから」
ザンギエットは商人の笑みに戻ると、パチンと優雅に指を鳴らした。
その時、馬車が大きく揺れ、外からスネアの威勢の良い声が響き渡った。
「アル様ー! ダイン様方ー! 見えてきやしたぜ!! 自由都市メルカティの大門でやんす!!」
馬車の小窓から差し込む光が強くなる。
ダインが外を覗くと、そこには果てしなく広がる巨大な石造りの城壁と、無数の旅人や馬車が行き交う、活気に満ち溢れた大都市の姿があった。
試練と出会い、そして己の過去と向き合う街——自由都市メルカティへの到着だった。




