第28話:旅立ちと夜の覚悟
--第28話:旅立ちと夜の覚悟
「……そうか。ルシェラをここに残していくのは、断腸の思いだが……」
山田はベッドで静かに息を立てるルシェラの髪を優しく撫で、ゆっくりと立ち上がった。
コボルトの族長が提案してくれた旅の目的地——それは、数多の種族や文化、そして膨大な物資と情報が交錯する
『自由貿易都市同盟改め海港都市連盟 ヴァル_メルカティ』。通称、自由都市メルカティだ。
そこへ向かえば、世界樹の加護を受け浄化の精霊術を伝えるエルフの王国
『エルヴンヘイム』、
禁術や毒素中和の錬金術が眠るダーク・エルフの王国、
地底都市『シャドラザール』。
あるいはダンジョンから得られる魔導具と古代遺物の最高峰・ドワーフの王国
『ヴォルガン連邦』のいずれかへ乗り込み、
望む物を得るための手がかりが必ず手に入るという。
「ダイン様、アイリス様の病状はエリクサーのおかげで進行が完全に止まっておりますじゃ。この結界空間で我らが責任を持って護衛し、エリクサーを投与し続けます。どうかご安心くだされ」
「ああ……頼んだぞ、族長」
不安が胸を掠めないと言えば嘘になる。だが、今の山田に迷っている時間はない。
「して、ダイン様。道中の身の回りのお世話と案内役として、我が一族の者を一人、お供に付けさせていただきますじゃ」
そう言って族長が手招きすると、控えめに前へ出てきたのは小柄なコボルトの少女だった。
先刻、黒龍騎士団の追撃から命がけで救い出した兄妹の妹の方だ。兄のピートはすでに家庭があり、群れの狩猟隊でも重要な役割があるため、フットワークの軽い彼女が抜擢されたらしい。
「紹介いたします。ピートの妹で、名を『リノ』と申しますじゃ」
「リ、リノと申します……! ダイン様、わたくし、未熟者ではございますが……全身全霊をもって、ダイン様のお世話をさせていただきますっ!」
ピンと伸ばした黒色の耳と、パタパタと激しく振られる尻尾。リノは顔を真っ赤にしながら、今にも地響きが立ちそうなほどの勢いで深く頭を下げた。
「お、おう、よろしくな、リノ」
気圧されつつも挨拶を返すと、族長が恭しく一つの小さな布袋を差し出してきた。手のひらに収まるほどの、どこにでもある革袋だ。
「ダイン様、これをお持ちくだされ。冒険者たちの憧れの品——『異空間収納袋』にございます」
「なっ……!? 異空間収納袋だと!?」
「容量こそ小さめでございますが、中には当面の食糧、最高級の寝具、そして『緋霊草』から生成したエリクサーを詰め込めるだけ詰め込んでおきましたじゃ!」
「おいおい、そんな超高級品、どこで手に入れたんだ……!? いいのか、こんな貴重なものをもらって……」
山田が狼狽すると、族長は「カッカッカ!」と細い胸を叩いて笑った。
「なに、この森で命を落とした不心得な冒険者たちが、これまで山ほど落としていった遺品にございますよ! 村の倉庫に余っておりましたでの!」
「余ってるって……」
コボルトたちの逞しすぎるたくましさと抜け目のなさに、俺は一瞬引きつつも、これ以上ないほど頼もしく感じて苦笑した。
「よし……それじゃあ、行くか」
「はいっ! ダイン様!」
こうして山田とリノは、慣れ親しんだ(といっても過酷な)結界空間を後にし、旅立つこととなった。
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結界を出て『霧の谷』を抜け、鬱蒼とした深い森を東へと進む。
頭上の木々の隙間からは、久々に見る晴れ晴れとした青空が覗いていた。
だが——旅立ちの感慨に浸っていたのも束の間。
(……ぐ、ああああぁっ……!?)
突如として、猛烈な、胃袋が裏返るような激痛を伴う「空腹感」が山田を襲った。
【暴食変異】のスキルの影響だ。龍毒を消化・適応するために超重胃袋が狂ったようにエネルギーを求めている。激痩せした体躯が、悲鳴を上げて内側から自食作用を起こし始めているのが分かった。
「はぁ、はぁっ……くそっ……!」
耐えきれなくなった山田は、理性より先に本能を剥き出しにして、足元の土をむしゃむしゃと掘り返した。木の幹を拳で引き裂き、そこに巣食う極太のイモムシや甲虫の幼虫を掴み取ると、躊躇なく口の中へ放り込んで噛み砕く。
「ダ、ダイン様……!? お待ちくださいっ!」
慌てたリノが制止の声を上げたが、今の山田には聞こえていない。夢中で虫を貪り食っていると、察しの良いリノは一瞬で事態を把握したようだった。
「すぐ戻りますっ! じっとしていてください!」
疾風のような素早さでリノが森の奥へ消えていった。
ほんの十分ほど経った頃だろうか。リノは大きな袋を抱えて戻ってきた。
「お待たせいたしました! 狩ってまいりました!」
袋の中からドサドサと転がり出たのは、頭に魔結晶をつけた『角ウサギ』、同じく魔結晶を持つネズミ(カーバンクル)、そして大型のカラスなど、実に十匹以上の獲物だった。わずか数十分足らずでこれだけの魔物を一人で仕留めてくるとは、さすがコボルト族屈指の狩人だ。
「あ……ご、ごめん、リノ。つい腹が減りすぎて、見苦しいところを……」
正気に戻った山田は、泥と虫の汁で汚れた口元を拭い、気まずそうに手元に残っていた太いイモムシを差し出した。
「あ……これ、食べる……?」
「っ……! ダ、ダイン様が、そこまで仰るのでしたら……わたくし、いただきますっ……!」
リノは顔を蒼白にさせながらも、山田からの「ご馳走」を断るまいと、目を固く瞑ってイモムシを口へ運んだ。
ぐにゃり、という不気味な食感。
「うぐっ……! うぇ……うええええええええっ!!」
「ご、ごめんっ! 無理して食べなくていいんだよ!? ごめん、俺が悪かったからっ!!」
すぐさま木の陰に駆け込み、猛烈に嘔吐するリノの背中を、山田は冷や汗を流しながら必死になで続けたのだった。
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その日の夜。
広場にキャンプを展開した俺たちは、焚き火を囲んでいた。
異空間収納袋から取り出した最高級の寝具と調理器具を使い、リノが手際よく狩ってきた獲物を捌いて串焼きにしてくれた。香ばしい肉の脂が落ち、ジューシーな匂いが漂う。
「ん、うまい……! リノ、料理上手だな」
「ほんとうですか……!? えへへ、嬉しいです……!」
肉をほおばる山田を見て、リノは心底ほっとしたように照れ笑いを浮かべた。さっきのイモムシ事件の気まずさも消え、
他愛のない会話を交わしながら夜のしじまが穏やかに流れていく。
やがて夜も更け、各自のテントへ入る時間となった。
普段の山田は【暴食】の影響か眠る必要がないのだが、龍毒の反作用か、体がずっしりと重くなり、意識がまどろみ始めていた。
(ふぅ……今日は色々あったな……)
ウトウトと意識を手放しかけていた、その時だ。
スッ……と、テントの入り口が開き、誰かが入ってきた。
「……? リノ、どうしたん——」
目を向けた山田は次の瞬間、絶句した。
月明かりに照らし出されたリノは——衣類を一切身につけていなかった。
毛並みの整った可憐な身体、小さな胸とキュッと締まった腰つき。
そのすべてを露わにした全裸の状態で、
モジモジと足をもじらせて立っていたのだ。
「よ、夜伽をいたしますね……っ。き、緊張します……///」
「ぎょええええええっ!? ちょっ、服っ! 服着てないよリノちゃん!?」
跳ね起きた山田は、叫びながら必死に毛布をかき集めてリノの体に覆い被せた。
「えっ……? ち、着衣を着ていた方がお好みなのですか……?」
「いやいやいや! そういう問題じゃない! ヨトギって言った!? 夜伽って言った!?」
「はい……っ! 族長様から『夜もダイン様を満足させるよう』と仰せつかっております……! そ、それに、ダイン様の強い世継ぎを残すことは、我がコボルト族にとっても大願なのです……!」
真面目そのものの瞳で、必死に訴えてくるリノ。
「いやいやいや待って! 誰かに言われたからって、そんな簡単に自分の身体を捧げちゃダメだよ! 君はまだ若いんだから……!」
「あ、あの……ダイン様はお歳はおいくつなのでしょうか……?」
「俺? 俺は……たぶん、41歳だけど……」
「でしたら! 我々コボルト族は平均寿命が200歳でございます! わたくしは18歳と若輩者ではありますが、41歳と18歳、若い者どうし、ちょうど良いではありませんか……!」
「えええええっ!? 200歳!?」
平均寿命の計算がおかしい気もするが、精神年齢的な問題だ! 18歳といえば、元の世界ならまだ高校を卒業したばかりの女の子じゃないか!
「いや、でも! 本当に好きな人ができたら、その人に捧げた方がいいって! 俺なんかに——」
「わたくしはっ……!!」
リノの大きな叫び声に、山田は言葉を失った。
彼女の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ落ちる。
「わたくしは……黒龍騎士に命を奪われそうになったあの時……命がけで救ってくださったダイン様に、身も心も捧げたいのです……!! だ、ダイン様……わたくしでは、やはり……コボルト族では……アイリス様のように美しくないわたくしでは……抱く気にもなりませんか……? そうです、よね……っ」
しんと静まり返るテントの中。
リノは肩を震わせ、静かに涙を流している。
(……くそっ、なんて顔させるんだ俺は……!)
彼女は本気なのだ。族長の命令だからではなく、自分自身の意志で、
恩人である山田に全てを捧げようとしてくれている。
それを「18歳だから」というこちらの勝手な倫理観で突っぱねるのは、彼女の覚悟を踏みにじることと同義だった。
「……そんなこと、ないよ」
「えっ……?」
「そんなことない。リノは……すごく可愛いよ。ほんとに」
「ダイン様……」
照れくささに顔を焼きながら呟くと、リノの瞳にパッと光が戻った。
「う……うん。でもな、その……俺……そういうの、経験ないんだ……」
「……えっ!?」
41歳童貞という衝撃の告白に、テント内に再び重い沈黙が流れた。
リノは目を見開き、フリーズしている。
(ああああっ! 言っちゃった! 異世界のハイオーク変異体になってまで童貞告白するとかどんな拷問だよ!?)
41歳童貞が心の中で悶絶していると、リノはポンと手を打ち、感動したように瞳を輝かせた。
「わ、わたくしも初めてでございます……!
ふ、不束者ではございますが、一生懸命、務めさせていただきますっ……!!」
「(あ、ダメだこれ完全に退路がたたれたー!!)」
互いに緊張でカチコチになりながら、毛布の中で並ぶ。
(いや待て、落ち着け山田大輔! 相手は見た目も精神もウブな18歳だぞ!? ほぼ犯罪だろこれ!? いやでもここは異世界だし、相手は200歳寿命のコボルトだし……いやダメだろ! 人間で換算したら倫理観死ぬぞ!!)
脳内で大天使と大悪魔が激しいプロレスを繰り広げていると、ピトッ……と、温かい体温が山田の横腹に密着した。
「ダ、ダイン様……」
リノが真っ赤な顔で山田を見上げ、上目遣いで囁く。
「このまま……わたくしの背中や、尻尾、頭を……優しく撫でてください……!! ひ、怯んではいけません! わたくしの覚悟を受け止めてくださいっ!」
「あ、はいっ……!」
言われるがままに、山田はリノの柔らかい耳の付け根や、フワフワとした頭、そして繊細な背中や尻尾を、壊れ物を扱うように優しく、丁寧に撫で始めた。
「んっ……あふ……ぁ……っ///」
撫でるたびに、リノの口からなんとも艶めかしい、甘い吐息が漏れ出る。
41歳童貞の心臓はバックバクで、生きた心地がしない。この後、一体どうなってしまうんだと汗だくになりながら、必死に指先を動かし続けた。
一分、三分、五分……。
「……んあ……ふぅ……むにゃ……」
やがて。
リノの甘い声は、次第に小さな寝息へと変わっていった。
「……え?」
そっと顔を覗き込むと、リノは山田の腕にすっかり体重を預け、
満足そうな幸せいっぱいの笑顔で、すやすやと眠りについていた。
「………………」
山田は深い、深〜い息を吐き出した。
どうやら……リノは「世継ぎの作り方」を根本的に勘違いしていたらしい。
というか、族長も「夜の相手をしろ」としか言っていなかったのだろう。
彼女にとって「抱く」「身も心も捧げる」というのは、
この「たくさん撫でてもらうこと」が限界の、精一杯のエッチな行為だったのだ。
「ふぅ……命拾いした……のか?」
体の力が一気に抜け、山田は天井を見上げた。
腕の中では、リノが愛らしく鼻を鳴らし、山田の胸元に顔をすり寄せてくる。
「むにゃむにゃ……ダイン様……だいしゅきでしゅ……」
幸せそうな寝言を聞きながら、山田は苦笑いを浮かべ、もう一度だけその小さな頭を優しく撫でた。
激痩せしたこの体に宿る龍毒の痛みも、未来への不安も、今だけは少しだけ和らぐ気がした。
自由都市メルカティへの道のりはまだ遠い。だが、この逞しくも愛おしい相棒となら、きっと乗り越えていけるはずだ。
山田は静かに目を閉じ、訪れた穏やかな眠りへと身を委ねたのだった。




