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第27話:絶望の数値

--第27話:絶望の数値


ステータス画面を視界の隅に浮かべたまま、俺は自分の激痩せした前腕を何度も見つめ直していた。


名前:ヤマダ ダイスケ(山田 大輔)

種族:ハイオーク・ヴァリアント(龍毒順応変異体・過渡期)

HP:320 / 1,200(『重度衰弱』)

* **STR(筋力):** **45(大幅低下)**

* **VIT(耐久):** **20(大幅低下)**

* **AGI(敏捷):** **45(大幅低下)**

* **INT(知能):** 85

* **DEX(器用):** 25(大幅低下)



【永続状態異常】:『龍族の呪い(龍毒侵蝕)』

※全ステータス80〜90%低下


(……なんだよ、これ。全ステータスが死に体じゃねぇか……)


STR(筋力)もAGI(敏捷)も『45』まで落ち込み、VIT(耐久)に至ってはたったの『20』。かつて四百五十キロの質量を誇っていた肉体は、

ただ龍毒を解毒するためだけに全脂肪と全筋肉を燃やし尽くされ、

いまや六十八キロという、

二・五メートルの骨組みだけが残った異様なガリガリ体型へと変貌していた。


身体を動かそうとするだけで、骨が軋むような痛みが走る。

だが——隣で倒れるルシェラを見つめ、俺は強く歯を食いしばった。

彼女の美しい銀髪は龍毒によって黒く染まり、その肌には俺と同じ黒い龍鱗状の痣が脈打っている。息はあるものの、意識は完全に閉ざされたままだ。


「ダイン様……! お身体は、本当にお丈夫なのですか……!?」


おそるおそる声をかけてきたのは、拠点設営の指示を出していたコボルトの族長だった。

先刻、追撃してくる人類最強の精鋭部隊(Sランクパーティ)を俺の見えない威圧で追い払った(と盛大な勘違いをしている)コボルトたちは、いまや俺を神格化せんばかりの勢いで敬わっている。


「……族長。俺のステータスに『龍毒』って出ているんだが……こんな状態異常、聞いたこともないぞ。ルシェラがなぜ即死せず耐えているのかも分からないんだ」


痩せこけた喉で絞り出すように問うと、族長は耳をパタパタと揺らし、神妙な顔つきで首を振った。


「龍毒……!? 聞いたこともない恐ろしい症状ですな……。ですがダイン様、アイリス様の病状がそこで留まっておられるのは、恐らくこれの効果ですじゃ」


族長が両手で恭しく捧げ持ったのは、怪しく赤く輝くポーションの小瓶だった。


「……なんだ、それは?」

「秘境『狂獣の果て』でのみ入手できると謳われる伝説の調合材料——『緋霊草(アルヴァ・ルブラ)』から抽出した万能薬、エリクサーにございます」

「……秘境の調合材料!? そんな代物、なぜお前たちが持っているんだ!?」


思わず叫ぶと、族長は誇らしげに細い胸を張った。


「カッカッカ! 我らコボルト族は力こそ弱小なれど、身のこなせの素早さ、嗅覚と聴覚の鋭さならば誰にも負けませぬ! 秘境周辺で幾度となくボス級モンスターの目を欺き、掻い潜り、命がけで『緋霊草』の苗を奪取していたのですじゃ!」

「苗を……!?」

「左様! そして、ダイン様が切り拓いてくださったこの『時間の流れが異なる結界空間』にて栽培を開始しましたところ……なんと、見ごとに量産に成功いたしました!」


コボルトたちの異常な生存能力と隠密スキルが、ここで奇跡的な実を結んでいたのだ。


「……見事だ、族長。それをルシェラに……!」


俺は族長から受け取った赤色の液体を、ルシェラの口元へと優しく流し込んだ。

ごくり、と細い喉が鳴る。

直後、ルシェラの苦しげだった表情がフッと和らぎ、浅かった呼吸が深く落ち着いたものへと変わった。


「……ルシェラ!?」


だが——奇跡はそこまでだった。

黒く変色した髪が銀色に戻ることはなく、肌に浮き出た不気味な黒い痣も消えない。ステータスを確認しても、『龍毒侵蝕』の文字が『一時抑制』へと変化したにとどまっている。


「……効いてはいる。だが、完治はしていないな」

「むぅ……伝説のエリクサーをもってしても、進行を遅らせ、痛みを和らげるのが限界とは……。龍の呪いとは、恐ろしいものにございますな……」


俺もまた、出されたエリクサーをひと口煽った。

全身を焼き尽くすような激痛が、麻酔でも打たれたかのようにスッと引いていく。だが、体内の奥底で黒く渦巻く『龍毒』そのものが消滅したわけではないと、直感で理解できた。


(……なるほどな。完治はしねぇ。だが、このエリクサーを定期的に飲み続ければ、死ぬことはない……!)


ステータスの隅に、新しく芽生えていた文字が明滅する。


『真なる龍毒耐性(LV.1・順応中)』


(【超重胃袋】が、この毒を命懸けで消化し続けている……。なら、俺がやるべきことは一つだ)


俺は激痩せした己の巨大な拳を、力強く握りしめた。

コボルトたちが結界内でエリクサーを量産してくれる限り、時間は稼げる。

この「時間の流れが違う聖域」で養生し、エリクサーで毒を抑え込みながら、

【暴食変異】で龍毒そのものを己の血肉として喰らい尽くす。


衰弱しきった肉体を再構築し、再び立ち上がるための——静かなる爪研ぎの時間が、始まった。


---



◇


トントントン、と規則正しい包丁の音が耳に心地よく響いていた。


香ばしいバターと野菜がじっくりと煮込まれる、甘く温かなシチューの匂いが部屋中に満ちている。


「……ん……?」


重い目蓋を開けると、そこは見慣れた日本の小さなアパートの一室だった。

窓からは柔らかな朝の光が差し込み、小さな台所にはエプロン姿のルシェラが背を向けて立っている。彼女はお玉で鍋をゆっくりとかき混ぜながら、機嫌よさそうに小さな鼻歌を口ずさんでいた。

背中まで伸びたその髪は、なぜか異世界の銀髪ではなく、日本人のような艶やかな黒髪へと変わっていた。


「あ、起きた? ふふ、お寝坊さんね、ダイスケ」


振り返ったルシェラが、可憐な笑みを浮かべる。その表情には、異界でいつもまとっていた緊張感や悲壮感など欠片もなく、どこにでもいる普通の女の子の柔らかさで満ちていた。


「もうすぐ朝ごはんできるわよ。顔、洗ってきちゃいなさい」


二人で小さな木製のテーブルを挟み、出来立てのシチューを口に運ぶ。

熱々のスープを一口飲んで「うまい」と呟くと、ルシェラは

「当然でしょ、誰が作ったと思ってるの」と少し誇らしげに胸を張り、それから可笑しそうにクスリと笑った。


「ねえ、休みの日はどこか連れて行ってくれるって約束、覚えてる?」

「ああ……覚えているよ。海でも見に行こうか、綺麗な景色を見ながらゆっくり過ごすんだ。ここのところなんか、俺もお前も慌ただしかったしな。」

「ふふ、なにそれ。おじいちゃんみたいなこと言ってる。でも……いいわね。ダイスケとなら、どこでも楽しそう」


他愛もない、なんてことのない日常の会話。

互いに顔を見合わせて笑い合い、穏やかで温かい時間がゆっくりと流れていく。俺がずっと心の中で望んでいた、幸福そのものの空間。


けれど——ふと、ルシェラが少し寂しそうな目で時計を見上げた。


「……あ、そろそろ時間じゃない? 遅刻しちゃうわよ」

「あ……そうだった。もう行かなきゃ……」


立ち上がり、胸の奥に芽生えた正体不明の締め付けられるような痛みを抱えながら、俺は鞄を手にして玄関のドアノブに手をかけた。


ガチャリ、と扉を開け、外の眩しい光の中に足を踏み出そうとして——ふと立ち止まり、後ろを振り返る。


ルシェラは台所に立ったまま、どこか遠くを見るような、儚く優しい瞳でこちらを見つめていた。

その頬を一筋の透明な涙が伝い、彼女は声にならないほど小さな、愛おしさと切なさに満ちた微笑みを浮かべる。


「……いってらっしゃい、ダイスケ。私……ずっと、ここで待ってるから」


ポロリ、と彼女の目から溢れ落ちた涙が床にこぼれ落ちた瞬間——世界がガラスのように砕け散った。


◇


「——ッ!! ルシェラ……っ!!」


弾かれたように跳ね起きると、そこは元の薄暗く冷たい結界空間の中だった。

激痩せした胸が激しく上下し、全身からじっとりと嫌な冷や汗が吹き出している。視界の隅のステータスを確認すると、『昏睡(龍毒影響)』の表示がゆっくりと消えかけていくところだった。どうやら毒の反作用で、深い精神の泥の中に落ちていたらしい。


ハッと息を呑んで傍らに目をやると、そこには肌に黒い痣を浮かべ、黒髪のまま静かに息を立てて眠るルシェラが倒れていた。

夢の中の彼女の見せた涙と、最後の「待ってるから」という切ない声が、耳から離れず、胸を締め付けて離さない。


(……待たせてなんか、おくものか。俺が絶対に……お前を元の姿に戻してやる)


「……ダイン様! お目覚めになられましたか!」


物音に気づき、血相を変えて駆け寄ってきたのはコボルトの族長だった。安堵の息を漏らしながら、恭しく小さな頭を下げる。


「族長……俺はどれくらい眠っていた?」

「丸一日ほどにございます。……ダイン様、お体に差し支えがなければ、今後のことについて少々お話がございます」


族長は神妙な顔つきになり、俺の顔をまっすぐに見つめ直した。


「この『緋霊草』のエリクサーは、あくまで龍毒の進行を抑える気休めに過ぎませぬ。ですが……世は広くございます。例えば、古き魔法の知識が眠るエルフの王国やダークエルフの古都、至高の工房と文献が集うドワーフ王国、あるいは多種多様な亜人種が行き交う『自由貿易都市』……」


族長は指を折りながら、秘境の外に広がる広大な世界の都市の名を挙げていく。


「帝国領の外、亜人たちが多く暮らし独自に発展したそれらの都市であれば、優れた学者や古き教会組織の秘術によって、この『龍毒』を解呪する何らかの手がかりが得られるかもしれませぬ」


——解呪の手がかり。


その言葉に、俺は激痩せした己の手にゆっくりと力を込め、確かな熱量を宿した拳を作った。


この結界空間でコボルトたちにエリクサーを確保してもらい、ルシェラの命を繋ぎ止めながら——俺たちは、いずれこの聖域を出て次なる天地へと向かわなければならない。

ルシェラを侵す呪いを完全に解き明かし、平穏な未来をその手で掴み取るために。


「……そうか。道はあるんだな」


骨と筋ばかりになった胸の奥で、小さく、しかし決して消えることのない希望の炎が静かに燃え上がった。


---


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