第18話:迂回ルート
### 第18話:迂回ルート
「ハァ……ハァ……っ! くそっ、ここまで撒けば……!」
密林の泥に足をとられながら、月光を浴びて銀髪を揺らす人影があった。
ガルバディア帝国から『大罪人』として追われているダークエルフの少女は、血に濡れた胸元を押さえながら、途切れ途切れの息を吐いていた。
帝国の追手、黒龍騎士団。その苛烈な包囲網を、彼女は己の持つ特殊な体質と秘術を極限まで絞り出してなんとか突破した。
満身創痍の彼女が逃げ込んだのは、秘境の中でも特に危険視される《迷いの谷》と呼ばれる領域の入口だった。
「ここなら……いくら帝国の騎士どもでも、容易には踏み込めないはず……」
視界が眩み、膝から崩れ落ちそうになるのを必死で耐える。
背後から聞こえる追撃の足音は、ひとまず途絶えている。だが、安堵したのも束の間――鬱蒼とした巨大な樹々が立ち並ぶ秘境の果ての境界線から、何かが近づいてくる気配を察知した。
(……!? 嘘……もう追手が……!?)
彼女は絶望に目を見開き、震える手で腰の短剣を抜いた。
◇
「おい長老、本当にこの道で合ってんだろうな?」
一方その頃。
山田大輔は、巨木を薙ぎ払うようにして《迷いの谷》の深部を進んでいた。
「ひ、ひぃっ! は、はいダイン様! この先にある濃霧の谷を抜ければ、人間の手が一切届かぬオークたちの集落がございます!」
後ろをつついてくるコボルトの長老が、山田の背中でビクビクと震えながら答える。
山田としては、とにかく「帝国軍との全面戦争」という面倒ごとを避けるため、安全第一で西の迂回ルートを選んだつもりだった。
(よしよし。あのダークエルフとかいうのが追い詰められてる峡谷からは、完全に離れてるはずだ。
トラブルが起きてる現場と、トラブルメーカーには近寄らない……
これが派遣先で無駄なペナルティを食らわないための鉄則だからな)
自重トレで鍛え上げた太い腕を組み、山田は一人で深く頷いていた。
コボルトたちは「ダイン様は帝国との無駄な流血を避け、亜人連合の設立に向けて遠謀遠慮を巡らせておられる……!」と感動の涙を流しているが、山田の頭の中にあるのは「厄介ごとの回避」ただ一点である。
だが――人生(と異世界サバイバル)は、そう上手くはいかない。
「……ん?」
山田の異常発達した嗅覚が、風に乗って漂ってきた微かな匂いを捉えた。
焦げた鉄の匂い。そして、人間の血とは明らかに異なる、どこか甘く澄んだ香木のような血の匂い。
(……待て。なんでこんな場所に血の匂いがする?それに、なんだ、この頭の奥が痺れる様な甘い香りは…??)
嫌な予感がして足を止めると、周囲の巨大な樹々の影がぐにゃりと歪んだ。
ガツンッ――! カチ、ジャラララッ!!
「……っ!?」
鋭い金属音と共に、暗がりから伸びてきたしなやかな【蛇腹剣】の刃が、山田の分厚い胴体と太い腕に幾重にも巻きついた。
直後、巻きついた刃から赤黒い魔力が静かに電流のようにスパークを散らし、不気味な光を放ち始める。
ズン……ッ!
(あ……あれ……??)
次の瞬間、山田は強烈な脱力感に襲われた。
鍛え上げられた体にまるで力が入らない。膝から崩れ落ちそうになる感覚。
(なんだこれ……!? 急に全身の力が抜けやがる……!
異世界に来てその辺の変な毒キノコ食って全身痺れた時と同じ……いや、それ以上だ! 体の奥の『中身』が、巻きついた剣を通じてごっそり吸い取られてる……!?
まるでデットリフトをやり過ぎた時の脳貧血のような感覚だ…)
驚愕する山田の視線の先――巨木の影から、ゆらりと一人の少女が姿を現した。
褐色の肌に、透き通るような銀髪。傷だらけの身体で胸元を押さえながらも、血塗られたような濃い赤色の瞳に鋭い決意を宿したダークエルフ。
月光が差し込む開けた場所へと足を踏み出した瞬間、山田の目の前に「それ」は現れた。
彼女は山田に蛇腹剣を巻きつけたまま、その背後に隠れていたコボルトたちへ向かって叫んだ。
「……逃げなさい、コボルトたち!! 私がこの怪物を抑えているうちに……早く!!」
「「「ダ、ダイン様ぁぁぁーーっ!!?」」」
コボルトたちが悲鳴を上げる。
助けを求めて叫んだつもりのコボルトたちだったが、ルシェラにはそれが「化け物への恐怖の悲鳴」にしか聞こえていない。
(……ん…?いや、俺、別にこいつらを襲ってねえんだけど……
またか、またなのか、容姿端麗な奴らに異世界でも蔑まれるのか)
日本に居た際に児童の傍に居るだけで不審者として通報された過去を思い出して
辟易した気持ちを思い出した。
痺れる体で、山田は心の中で猛烈にツッコむのだった。
「……ッ、動くな……ッ! ガルバディアの狗め……!
……クソッ!! なんて魔力量なの……吸い、きれない……!!」
その姿は
肩を上下させ、荒い息を吐きながら短剣を構える一人の少女。
褐色の肌に、透き通るような銀髪。傷だらけの身体でなお気高さを失わない、息を飲むほど美しいダークエルフだった。
(ん…こいつ、待て待て待て、嫌な予感がするぞ…)
山田は硬直した。
(……え?)
二度見した。三度見した。
(は? なんで??)
「ダ、ダイン様……ッ! あのお方は……帝国が追っているダークエルフの姫君……ッ!?」
コボルトたちが金声をあげて悲鳴を上げる。
山田の頭の中で、パーンと何かが弾けた。
(いやおかしいだろ!! なんで東の峡谷にいるはずのメインゲストが、わざわざ安全策を取って逃げてきた西の迷いの谷にいるんだよ!? 荒れそうな現場を回避したはずなのに、なんでトラブルの張本人と鉢合わせしてんだよ!!)
心の中で激しいツッコミを入れながら、山田は頭を抱えたくなった。
実は、彼女にとってもこれは誤算だった。
帝国軍の包囲網を破った彼女は、「敵が手薄な裏ルート」としてこの《迷いの谷》へ逃げ込んできたのだ。そして山田たちもまた、「安全な裏ルート」としてここを選んでいた。
「迂回した結果、同じ逃走経路で鉢合わせする」という、あまりにも皮肉な確率の悪戯だった。
「……くっ、大柄なオーク、オ、オーク??魔族??魔人……? 帝国の手先ではない……のか?」
彼女は、目の前に立ちはだかる2・5メートルを超える漆黒の巨躯を見上げ、その圧倒的な存在感に息をのんだ。
全身を覆う重硬度外殻、城門すら穿ちそうな太い腕。そして何より、その奥から滲み出る――あらゆる魔物を呑み込んできた【暴食】の悍ましいまでの威圧感。
(なんなの……この怪物……!? 秘境の奥に、こんな危険な存在が潜んでいたなんて……!)
彼女が恐怖で刃を震わせた、その時だった。
「おいおい……安全ルートだって言ったじゃねえか……」
山田が呆れたような声を漏らした直後。
ズオッ――――――――ッ!!
凄まじい風切り音が上空から響き渡り、鬱蒼としていた樹木の枝葉が吹き飛ばされた。
月光が一気に差し込み、夜空に巨大な影が降り立つ。
「――ほう。逃げたネズミを追ってきてみれば、なにやら奇妙なバケモノが引っかかったな」
上空に滞空していたのは、鋭い鱗と皮膜の翼を持つ巨大な竜――『飛竜』。
そしてその背には、黒い重装甲と外套を身に纏った、ガルバディア帝国が誇る精鋭部隊『黒龍騎士団』の姿があった。しかも、一頭ではない。空を埋め尽くすように、三頭、四頭の飛竜隊が円を描いて旋回し始めている。
「ひぃぃぃっ!! 飛竜隊だぁぁぁッ! 帝国の空の追撃部隊だ!!」
コボルトたちが頭を抱えて地面にひれ伏す。
「しまっ……! 樹海を抜けて、空が開けた場所に出たせいで……ッ!」
少女が顔を蒼白にして叫んだ。
そう、ここ《迷いの谷》の境界線は、今まで山田たちを隠してくれていた鬱蒼とした巨木群(狂獣の果て)が途切れ、空が大きく開けた広場のような場所だったのだ。
上空から広範囲を捜索していた飛竜隊にとって、この開けた場所に出た彼女たち、そして目立つ巨大な山田の姿を捕捉するのは容易いことだった。
飛竜の上に立つ騎士隊長らしき男が、冷酷な笑みを浮かべて太刀を抜く。
「大罪人の身柄確保を最優先とせよ。……なお、そこにいる亜人の雑種どもと、その黒いハイオークの変種は容赦なく殺せ。帝国の威光に刃向かう害虫に生きる価値はない」
『ハッ!!』
飛竜に乗った騎士たちが、一斉に槍と魔導弓を構える。
(……最悪だ)
山田は大太い腕をダラリと下げ、天を仰いだ。
(静かにサバイバル生活を送りたかっただけなのに……。安全ルートを選んだはずなのに……なんでこうなる?)
「おい……そこのお前」
山田は、足元で絶望に濡れた目をしているダークエルフの少女をチラリと見下ろした。
「……な、なに……?」
「お前、名前は?」
「……『ルシェラ・ヴェール・アルティス』よ。真名は……人間に明かすわけにはいかないわ。……そんなことより、私を見捨てて逃げなさい! あなたなら、私を囮にすれば……!」
ルシェラと名乗った少女が自暴自棄に叫ぶ。
だが、山田はフッと短く鼻で笑うと、首をゴリゴリと鳴らした。
「逃げる? 冗談だろ。……アイリスさんよ、上を見ろよ」
「アルティスよ!!」
上空では、飛竜たちが猛烈なスピードで急降下を開始していた。鋭い爪と、炎を纏った魔導矢が山田たちめがけて放たれる。
「上空からロックオンされてんのに、逃げられるわけねえだろ。それに……」
山田の目が、爛々と黒い光を帯びる。
「俺は虫が嫌いなんだよ、特にコバエみたいな奴や、上から威張り散らして攻撃してくる奴は……元請けの威張り腐った現場監督よりムカつくんだよ」
かつて日本で、日雇い派遣の現場を転々としながら理不尽な元請けや現場監督に怒りを押し殺してきた「泥臭い反骨心」が、山田の胸の奥で爆発した。
「ダイン様……ッ! お救いくださるのですね……ッ!」
コボルト長老が叫ぶ。
(救う? わからねぇ、お前らを守り切れるわからないし、自信もない。
こんな不利な状況で守らなきゃいけない奴らが大勢いるなんて
無理ゲーが過ぎるぜ…
頭が痛くなってきた)
山田は大足で一歩前へ踏み出し、大地を激しく揺らした。
「今の俺は機嫌が悪いんだ……死にたい奴から、かかってこい!!」
異世界の夜空に、元160kgの巨漢・日雇い派遣のおじさん――今や秘境の暴虐の魔人となった山田大輔の、低く重い咆哮が轟き渡るのだった。
(第19話へ続く)




