第16話:我らの世界に顕現せし英雄
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### 第16話: 我らの世界に顕現せし英雄
洞窟の奥で、山田は黙々と自重を使った筋トレに打ち込んでいた。
日本にいた頃、ジムのトレーナーから教わったフォームを忠実に再現しながら、自らの巨躯を追い込んでいく。腕立て伏せ一回ごとに、岩の床が沈み込むような凄まじい重圧がかかった。
(……ふぅー、ふぅー……)
オークの如き巨大な魔人の肉体となった今、こんな人間基準の筋トレにどれほどの意味があるのかは分からない。筋肉を限界まで追い込まずとも、己の【暴食】で魔物を喰らえば、いくらでも理不尽な強さが手に入るのだから。
だが――それでも山田は筋トレをやめなかった。
汗を流し、苦痛に耐え、己を律すること。ただ効率よく強くなるだけのバケモノに成り下がるのではなく、泥臭くあがいていた「人間」であった頃の残滓を、自分の中に繋ぎ止めておきたかったのだ。
その時だ。
――ズズズズ……ッ。
「……ん?」
足元から、不気味な重低音が響いた。
地面がわずかに微振動する。
(……この世界にも普通に地震ってあるんだな。まぁ、地層とか山があるんだし、プレートくらいあって当たり前か)
山田は特に深く気に留めることもなく、汗を拭って立ち上がった。
するとその瞬間、耳の奥で微かな「声」が拾われた。
(……悲鳴……? なんだ、洞窟の外か……?)
最近食べた秘境の獲物の肉のおかげか、以前よりも聴覚や知覚が遥かに研ぎ澄まされている。山田は息を殺し、静かに洞窟の外へと向かった。
◇
「ハァ……ハァ……っ! た、助けて……っ!」
「逃がすか、小汚い亜人が!」
森の開けた場所で、傷だらけのコボルト(犬頭の亜人)が倒れ込んでいた。
それを取り囲むのは、洗練された重装甲と黒い外套を身に纏った5人の男たちだ。
(……誰だ、あいつら?)
山田が強く意識を向けると、頭の中に突如としてゲームのような半透明のウィンドウ枠が浮かび上がった。
『ガルバディア帝国 黒龍騎士団員』
(……ほう。ガルバディア帝国、か)
思えば、この世界に来てから魔物の名前や特徴が自然と分かったのも、このウィンドウのようなものが視界の隅に浮かび上がっていたからだった。これまでは異世界で生き残ることに必死すぎて「そういうものだ」と疑問すら抱いていなかったが、意識して見ようとすると、こうして相手の情報がはっきりと表示されるらしい。
転生時に得た能力なのか、あるいは【暴食】の副産物なのか。相手の情報を客観的に把握した山田は、再び彼らに目を向ける。
「我ら黒龍騎士団の勅命を断るとはな。亜人種風情が帝国領に住まわせてもらっている恩も忘れて盾突くなど言語道断、生きる価値無し。貴様らのようなゴミクズ共は見せしめとして、近隣の亜人種にも伝わるように
完膚なきまでに心を折る必要があるのだ」
「苦しめて殺せ!!首を持ち帰り奴らの村に飾ってやるのだ!!」
「ハッ!」
コボルトの頭を地面へ押し当て、もう一方に見せつけるように
黒龍騎士団員たちは統率された動きで剣を構え、無慈悲に振り下ろそうとする。
その光景を見た瞬間、山田の胸の奥からドロリとした怒りが込み上げた。
(……どこに行っても、集団で弱い奴を痛めつけやがって)
コボルトは悲痛な、恐らく人生でここまでの声を張り上げたことなどなかったのではないか?
という割れんばかりの張り裂けるような声で叫んだ
「や、やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
日本で肥満や容姿を理由に一方的に虐げられていた己の過去。それが重なり、山田の思考より先に体が動いていた。
「――おい」
「なぁ黒蟻共、今ならまだグーパン一発ずつで勘弁してやる、今すぐそいつらから
その汚い手をどけろ」
ドスン! と大地を揺らす足音とともに、山田が木々を割って姿を現す。
2メートルを遥かに超える巨大な黒い影。
「なっ……!? 魔物か、いや、魔人……!?」
「慌てるな! 散開陣形! 後衛は同調詠唱に入れ! 前衛は挟撃!」
隊長の素早い判断のもと、10人の騎士が一瞬で散開する。
今まで戦ってきた野生の魔物とは次元が違う、洗練された「組織的波状攻撃」だった。
「ぬうッ!」
山田は巨躯を生かし、弾丸のような速度で前衛へ突き進む。圧倒的な剛体突進。
だが――
「いなせ! 衝撃受流!」
前衛の二人が斜めに交差し、曲面の塔盾を連動させて山田の身体を滑らせるように受け流した。完璧な角度で威力を殺され、直線的な突進の勢いが殺される。
「くっ……弾かれた!?」
「後衛、放て!」
体制が崩れた瞬間、後衛の二人から同時に詠唱が完了した魔法が放たれた。
「『風刃の檻』! 『灼熱の杭』!」
足元を拘束する鋭い風の刃と、視界を焼き尽くす炎の爆風。
一撃一撃のダメージは山田の頑強な皮膚で防げる範囲だったが、風と炎の波状攻撃によって視界と足取りを完全に奪われてしまう。
「ガァッ……目くらましか……ッ!」
「隙あり! 膝を穿て!」
視界が遮られた合間を縫って、すばしっこく回り込んだ前衛の剣技と槍の突きが、山田の関節や隙間を正確に刺し穿つ。
一撃を加えればすぐさま後退し、別の者が盾を構えて防壁となる。攻撃しようと拳を振り下ろせば、すんでのところで回避され、打ち抜いた先には強固な盾の連携防御。
(チッ……すばしっこく動いて回避され、強引に行けば盾で受け流される……! 個々のフィジカルは俺が上なのに、連携で完全に完封されてる……!)
人間相手の『組織的な戦術』に苦戦を強いられ、山田の体にジワジワと擦り傷と焦りが刻まれていく。
(直線的な攻撃じゃダメだ……。あいつらの連携と視界をぶち壊す……!!)
山田は地を蹴り、兵士ではなく――背後に転がっていた全高3メートルを超える「巨大な大岩」へと一気に躍り出た。
「なんだ、狙いを逸らしたか!?」
「逃がすな、囲め!」
「――ふんッ!!」
叫びとともに、山田の重拳が大岩の側面に叩きつけられた。
ドカァァンッ!! と森林全体に響き渡る炸裂音。
超絶的なバカ力によって砕け散った巨大岩は、爆発的な破片とともにもうもうたる大量の粉塵(煙幕)を撒き散らし、周囲一帯の視界を真っ白に染め上げた。
「なっ……何事だ!? 視界が……ッ!」
「ゴホッ、ゴホッ! 目が……くそっ、どこへ消えた!?」
粉塵の中で騎士たちが狼狽する。彼らの誇る連携と魔法攻撃は、「標的が見えない」ことによって完全に不全へと陥った。
そして――暗闇と粉塵が支配するその世界は、山田にとって『独壇場』だった。
(……聞こえる。焦っているあいつらの荒い息遣い、足音、心臓の鼓動……)
(……匂う。黒い外套に染み付いた油と、汗の匂い……)
最近喰らった魔物たちによって異常発達した山田の聴覚と嗅覚が、煙の向こうにいる10人の位置をくっきりと脳内に立体表示させる。
山田は足元に転がる、大岩から砕け散った拳大の重い岩石を拾い上げた。
(まずは――左の魔法使い)
ヒュッ、と空気を切り裂く音。
山田の怪力から放たれた岩石は、大砲の弾丸と化して粉塵を穿った。
「え――」
ドカァンッ!!
悲鳴すらなく、後衛の魔法士の胸甲が粉砕され、森の奥へと吹き飛んでいく。
「な、なんだ!? いま何が起こった……!?」
「何かが飛んできたぞ! どこだ、どこから打ってきている!?」
姿の見えない恐怖。暗闇の中から、死が一方的に飛んでくる。
シュッ、ドカァン!!
次は右手で刃を構えていた前衛の男。盾ごと身体がへし折られ、悲鳴を上げて崩れ落ちた。
「ひ、ひぃ……ッ! 化け物……化け物だ!!」
「姿を見せろ! 姿を見せやがれぇぇっ!!」
かつてコボルトたちを「ゴミクズ」と嘲笑っていた騎士たちの顔が、いまや極限の恐怖と絶望に歪む。
一人、また一人と、粉塵の中から正確無比に投擲される岩石によって叩き潰されていく。
最後に残った隊長が、恐怖で震える手で剣を構え、闇に向かってがたがたと牙を鳴らした。
「くるな……くるな……ッ!」
ザッ。
煙の奥から、悠然と歩み寄る漆黒の巨躯。血と熱気を孕んだ目が、冷ややかに隊長を見下ろしていた。
「ひ……あ……」
ドォンッ!!
最後に響いた重い打撃音とともに、森に完全な静寂が訪れた。
◇
粉塵がゆっくりと風に流され、消えていく。
荒い息を吐きながら、山田は己の拳を見つめた。
「……はぁ……はぁ……。間合いと視界を奪えば、投擲で崩せる……。
冷や汗かいたぜ……」
「人間の強さは個の強さじゃない、連携と狂信だってヨーチューブの動画で見て
知っていて良かったぜ…」
静寂を取り戻した森で、助かったコボルトが涙を流しながらガタガタと震えてひれ伏した。
「あ、ありが……とうございます……大いなるお方……っ!」
「怪我はないか? あんたらを狙ってたゴミクズ共は片付けたぞ」
(昔の事を思い出してイラついた末の
八つ当たりみたいなもんだったけどな)
気遣う言葉の意味が通じ、コボルトは感極まった様子で深く深々と頭を下げた。
「お、圧倒的な強さを持ちながら、私たち弱き者を救ってくださったお方……! どうか……どうか貴方様のお名前をお聞かせください……!」
「名前……? ああ、俺は――」
山田は息を整えながら、素朴に答えた。
「えっ……? 山田…山田大輔だよ」
しかし――その日本語の音は、世界の法則と翻訳の歪みによって、コボルトの耳には運命的な響きとして届いてしまう。
「……ダ……イ……?? ダイ……ン……? シュ……??……ダイン……様……!?」
コボルトの瞳が、驚愕と感動で大きく見開かれた。
(ダイン……様……!? 太古の文献に記された、伝説の魔人『ダイン・スレイヴ』様に近いあのお名前……!! 目の前にいらっしゃるのは、伝説の血を引く大いなるお方なのだ……!!)
「あ、あれ、もしかして、日本語っぽい響きの言葉って聞き取れなかったりするのかな…??」
「やーまーだ、だ・い・す・け。えーと、そのなんだ」
「ダイン…さっ、、様…!!」
「え??いや、ただの山田大輔だけど…?」
しかし――その言葉と音の響きは、コボルトの耳と心には全く異なる衝撃として届いていた。
(ただのダイン……!! それ以上でもそれ以外でもないと……!! なんと凛々しい名乗り……!!! 明らかに魔人の血族でありながら、自らの出自を誇示しない……!! 英雄だ、昔オジジが話してくれた昔話の英雄が、我らの世界に顕現なされたのだ……!!!)
「ダイン様……!! おお……おおおっ! 感謝いたします、ダイン様……っ!」
「……え? いや、ヤマダだけど……まぁ、いっか」
何やら勝手に大感動し、涙を流して深く深く拝んでくるコボルトに、山田は困惑しながらも頭を掻いた。
「ところで……あいつら、なんであんたを追ってたんだ? ガルバディア帝国の奴らみたいだったけど」
山田がウインドウで得た情報を口にすると、コボルトは表情を曇らせ、悔しそうに拳を握りしめた。
「ご存じでしたか……! 奴らは……ガルバディア帝国の『黒龍騎士団』の先鋒です……! 秘境の奥地へ逃げ込んだという、帝国で大罪を犯した『ダークエルフ』を追うため、近くに野営地を築いており……鼻の利く私たちコボルト族を犬代わりに使おうと強要してきたのです……」
「……犬代わりに、か」
「はい……断った私たちに対し、奴らは見せしめに村を焼き払い、逃げ惑う者を狩り始めました……っ!」
(大罪人のダークエルフを捜索するために、関係ない村まで焼き払ったのか……)
山田の胸に、人間の理不尽に対する静かな怒りが再び燃え上がる。
「ダイン様……どうかお気をつけください……! 騎士団を率いる団長は、帝国でも最強と謳われる恐ろしい騎士なのです……っ!」
「……そうか。教えてくれてありがとな」
山田は静かに頷き、秘境のさらに奥へと視線の先を向けた。
◇
――その惨劇の一部始終を、はるか遠くの大木の影から見つめる存在があった。
黒い隠密服に身を包んだ、ガルバディア帝国の『黒龍騎士団・斥候兵』である。
「ひっ……はぁ……はぁっ……!!」
男は樹上で歯をガチガチと鳴らし、全身から脂汗と排泄物を漏らしかけていた。
精鋭であるはずの仲間10人が、魔法と盾の完璧な連携を組んでいたはずの仲間たちが――あの漆黒のバケモノによって煙の中へと閉じ込められた。
(な、なんだ……!? 何を放った……!!? 見えざる攻撃で次々と殺していった……!! やつめ、、殺しを、楽しんでやがる……!!!)
姿も見せぬまま、暗闇の中から一人また一人と屠られていく絶望。
そして、恐怖で引きつる男の耳に、風に乗って下界からコボルトの叫び声が届く。
『――感謝いたします、ダイン様……っ!!』
(ダイン……!? 待て……まさかあいつは……太古の禁忌目録に記された殺戮の魔剣……『ダイン・スレイヴ』の再来か……!!?)
斥候兵は喉の奥で悲鳴を押し殺しながら、命からがら本陣へと向けて木々の間をがむしゃらに駆け出した。
報告しなければならない。
秘境の奥地に――死を愉しむ最悪の魔人が覚醒したと。




