第10話:極悪なる装甲と、泥濘の死闘
### 第10話:極悪なる装甲と、泥濘の死闘
夜が明けるまでの数時間。
普通なら人間が泥のように眠り、無防備を晒す時間を、俺はフルに活用していた。
洞窟の奥で黙々と筋トレをこなし、罠の整備をし、手に入れた魔物の皮や骨で簡易的な武具を補修する。
一切の眠気が訪れない体は恐ろしいほど効率的で、疲労も肉を数口喰らえば一瞬で霧散した。
「夜間にこれだけ動けるのは……間違いなくアドバンテージだ」
そう自分に言い聞かせる。
人間性を失いつつある恐怖はあるが、背に腹は代えられない。生き残るためなら、化け物にだってなってやる。
東の空が白み始めた頃、俺は武器を手に洞窟を出た。
目指すは、これまで足を踏み入れたことのない『森の深部』だ。
昨夜、雑魚モンスターの肉では経験値(成長)がインフレを起こし、レベルが上がりにくくなっていることを実感した。
現状を打破するには、より強力な『格上の獲物』を喰らうしかない。
◇
木々がより濃く立ち込め、陽の光すら届かない薄暗い深部を進む。
背中に担ぐのは、これまで狩ってきた大型の獣の太い腿骨を削り出し、ツタと皮で強引に柄を巻きつけた骨大剣だ。洗練された金属の美しさなど欠片もない、おおざっぱで身の丈ほどもある無骨な大物。だが、今の俺の怪力にはしっくりと馴染んでいた。
静寂が支配するそのエリアで、そいつは突如として現れた。
――グラァアアアアッ!!
突風と共に木々がなぎ倒され、巨大な影が躍り出る。
体長4メートルを超える巨大な熊。全身が漆黒の甲殻で覆われ、頭部には禍々しい一本角が生えた上位種――『アーマーベア』だ。
今までと桁が違う威圧感。空気が肌に張り付くような圧倒的な殺気。
「……ハッ、上等だ……ッ!」
俺は骨大剣を両手で構え、深く腰を落とした。
『暴食変異』が狂喜乱舞し、全身の血が激しく煮えたぎる。
アーマーベアが丸太のような前脚を振り下ろしてきた。
丸ごと叩き潰すような一撃。間一髪で真横へ転がり回避するが、衝撃波だけで俺の巨躯が数メートル吹き飛ばされる。
「くっ……重い……ッ!」
体制を立て直し、すれ違いざまにアーマーベアの側腹へ骨大剣を全力で叩き込んだ。
ガキィィィンッ!!
甲高い音覚が響き、手首に強烈な痺れが走る。
刃が通らない。鉄よりも硬い漆黒の甲殻に弾かれ、逆にこちらが誇る手製の骨刃が、派手な音を立てて大きく砕け散った。
『ガァアアッ!』
隙を見せた瞬間、アーマーベアの鋭い爪が俺の胸元を烈火の如く引き裂く。
バリッ、と【硬質鱗】の皮膚が削り取られ、鮮血が舞った。
激痛が走り、肺から空気が吐き出される。
「ガハッ……! ぐ、あぁっ……!」
吹き飛ばされ、巨木に背中から激しく叩きつけられる。
視界が赤く染まり、肋骨が数本砕けた感覚があった。格上。圧倒的な個体差。これまでの敵とは防御力も破壊力も別次元だ。
(死ぬ……? このまま、また負けるのか……?)
脳裏に、土砂降りの中で「役立たず」と捨てられたあの日の記憶がフラッシュバックする。
無理だ、お前には無理だと笑われた過去。
「……ふざけるな……ッ!」
胸からダラダラと血を流しながら、俺はよろりと立ち上がった。
折れた肋骨の激痛。だが、それすらも【衝撃変換】で無理やり運動エネルギーへと変換し、筋肉を力任せに固定する。
「誰が……諦めるかよぉぉぉっ!!」
襲い来る二撃目の爪。俺は逃げなかった。
左腕を囮として差し出し――ガブリと、アーマーベアの巨大な前脚に腕を噛みちぎられそうになる激痛を耐える!
「捕まえたぞ……化け物……ッ!」
左腕を肉ごと噛み崩されながら、俺は肉薄した。
刃が弾かれ、大剣が壊れたなら、残された武器は自分自身の身体だけだ。
『知性』を高めた視界が、アーマーベアの首元――甲殻と甲殻のわずかな『隙間の柔らかい肉』を捉えた。
俺は自分の『顎』を開いた。
「オバアァァァァッ!!」
獣の喉元へ、人間としての理性を捨ててダイレクトに喰らいついた。
バリッ、ブチチチチッ!
硬質化した俺の歯が柔らかい肉を破り、アーマーベアの頸動脈を噛みちぎる。
口内に怒涛のごとく溢れ出す、熱く重厚な血の味。
『ギ、ギャアアアアッ!?』
狂乱したアーマーベアが俺の背中を爪でズタズタに引き裂き、暴れ回る。
背中の肉が削げ落ち、意識が飛びかけるほどの激痛。だが俺は絶対に口を離さなかった。
噛みちぎり、血を呑み込み、食いちぎる。
痛みに耐えながら、命を奪うための『食事』を続けた。
どれほどの時間が経っただろうか。
ズタズタに引き裂かれた俺の体と、首を半ば食いちぎられたアーマーベア。
やがて、巨獣は断末魔の悲鳴と共に膝から崩れ落ち、地響きを立てて動かなくなった。
◇
「はぁ……っ、はぁ……っ、ハハ……っ」
俺は倒れたアーマーベアの上に覆いかぶさったまま、荒い息をついた。
左腕はボロボロ、胸も背中も血みどろで、普通なら即死レベルの重傷だ。手に残ったのは、先端の叩き折れた獣骨の柄だけ。
だが、咽びながらも喰らいついた肉が、胃の中で凄まじい熱量へと変換されていく。
《条件を満たしました。筋力+15、耐久+20、素早さ+10を得ました》
《『アーマーベアの肉』から固有スキル【剛力甲殻】を獲得しました》
《レベルが上がりました(Lv.15 → Lv.18)》
【暴食変異】の強力な再生能力とステータス上昇が働き、ズタズタだった傷口が肉煙を上げて急速に塞がっていく。
「ふぅ……ふぅ……勝った……勝ったぞ……!」
満身創痍の死闘。だが、泥をすすり、血を吐きながらでも、俺は格上に勝利したのだ。
自分の肉体が、真の意味で猛獣以上の『モンスター』へと進化していく手応えがあった。
その時だった。
風に乗って、遠くから『微かな音』が聞こえてきた。
モンスターの咆哮でも、風の音でもない。
それは――金属がぶつかり合う音と、聞き覚えのある『人の悲鳴』だった。
「……人間か?」
俺は傷の塞がりきった口元の血を拭うと、悲鳴の上がる方角へと視線を向けた。
異世界に落とされてから、ずっと一人で魔物を喰らい、生き延びてきた。
ついに、この世界で自分以外の『人間』と遭遇する時が来たのだ。
「……行ってみるか」
俺は破片となった獣骨の武器を捨て、血生臭い匂いを纏ったまま、悲鳴の方角へ静かに走り出した。




