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◇
「ロゼ。ねえ、ロゼってば!」
高い声とともに、揺りかごの縁からひょいと顔を覗かせたのは、金茶色の髪をした幼い男の子だった。
四つ年上の、長兄――マクシム。アメジスト色の瞳を輝かせながら、小さな指でロゼリアの頬をそっとつつく。
「にいさま、そんなに強くしたら泣いちゃうよ」
たしなめながらも、反対側から負けじと覗き込んできたのは、赤茶色の髪の次兄カイゼルだった。
マクシムとはたったひとつしか違わないのに、この年齢の一歳差は大人の感覚以上に大きい。しかし双子のような似た仕草で、二人揃って妹の顔を見下ろしてくる。
「ねえ、ロゼは大人になったら王子さまと結婚して、王女さまになるの?」
無邪気に問いを投げかけたのはマクシムだった。本来ならば、まだ言葉もわからないだろう月齢の赤子に向かって、大真面目に。
カイゼルも興味津々といった顔で、返事を待っている。
(なるものですか!)
顎や唇の筋力が未発達なうえに、舌もうまく動かせない。
けれど、言葉にできない代わりに腹の底から突き上げてくる拒絶感だけは、はっきりとした形を持っていた。
無実の罪で命を奪われたあの理不尽。忘れられるはずがない。
「や……やっ」
意味のなさない声を懸命に絞り出した。
ロゼリアなりに首を小さく振り、精一杯眉根を寄せた。つもりだった。
一瞬、部屋の中がしんと静まった。それから、マクシムとカイゼルが同時に声を上げる。
「カイゼル聞こえた? いま、ロゼ『やっ』て言った!」
「うん。言った! 聞こえた!」
はしゃぐ息子たちの声を聞きつけて、扉の向こうから、低く優しい声が響いた。
「なにを騒いでいるんだ?」
育児室に入ってきたのは、父オーギュスタンだった。長身を屈め、揺りかごを覗き込む。金髪の下、ライトブラウンの瞳が、娘の顔を見つめて緩んだ。
「とうさま、聞いて! ロゼがね、おっきくなったら王子さまと結婚するのは『やっ』だって」
「ほう」
マクシムの言葉にオーギュスタンは、興味深そうに眉を上げると、指の背でそっとロゼリアの頬を撫でた。
ごつごつとした、剣だこのある大きな手。それでいて、その触れ方は驚くほど繊細だった。
「そうかそうか。嫌か! じゃあ、ずーっとお父さまのお姫さまでいてくれ」
顔中の筋肉をこれ以上ないほど緩めて笑う父に、ロゼリアは思わず小さな手で父の指を握る。
前世では処刑前夜、鉄格子越しにしか触れられなかった、あの節くれだった指。今はこんなにも近くにある。
(お父さま。今度はわたくしが、お父さまをお守りいたします)
胸の奥がじんわりと熱くなる。それと同時に、ロゼリアの脳裏にはこの温もりを奪ったであろう者たちの顔が、鮮明に浮かんでいた。
次期国王として民衆に慕われながら、月明かりの下、義妹の頬に触れていた不実な王太子。そして、彼の隣をかすめ取っていった、したたかで腹の底が知れない聖女。
(盟約も王太子妃の座も――知ったことか)
揺りかごの中、ロゼリアはにやりと口の端を持ち上げた。
せっかく授かったやり直しの機会だ。今度こそ自分の望むままに生きてやる。だれにも踏みにじらせはしない。
――この家族も、この命も。
企むような笑み。しかし。
「あらあら、ロゼリアったら」
そばで見守っていた母セラフィナが、頬に手を当て、感嘆したような声を漏らした。赤茶色の髪を揺らし、アメジストの瞳を細めて、揺りかごの中の娘を覗き込む。
「見て、オギー。最近ますます笑うようになったのよ」
「ああ、本当だ」
オーギュスタンも目を細めてロゼリアを見下ろす。表情筋の発達しきっていないの顔では、精一杯浮かべた悪だくみの笑みも、ふにゃりと緩むだけ。
「はぁ、なんてかわいいの。わたくしの天使ちゃん」
うっとりとした声で、セラフィナがロゼリアを抱き上げる。柔らかな腕の中、母の匂いと、優しい体温に包まれながら、ロゼリアはひとり、複雑な思いを噛みしめていた。
(かわいい? 企んでいる顔のつもりだったのだけれど)
まあいい。
どんなに不敵に微笑んでも、だれにも本性を気取られる心配はなさそうだ。むしろ、今はそれでいい。
兄たちの笑い声、父の穏やかな眼差し、母の惜しみない愛情。
この温かな日常のすべてを、二度とだれにも奪わせはしない。
ロゼリアは母の腕の中、天使のような笑みの下に、静かに刃を研ぎ澄ませていた。




