第二話 やり直しの始まり[1]
不思議な夢を見るようになりどのくらい経っただろう。
何度眠り、何度目を覚ましても、同じ繰り返しの中にいる。眠っては起き、乳を与えられてはまた眠る。
(人生の最後があんなふうだったから、死後の世界に飛ばす前に、神さまが気を遣ってくださったのよ)
ロゼリアはそう思うことにした。
意識が闇に呑まれてもなお、魔力を根こそぎ奪われ続けた。
今もはっきりと覚えている。あれは処刑だったのだ。生きているわけなどない。
きっとこれは死の間際に見る、最後の慈悲深い幻。そう自分に言い聞かせて、ロゼリアは再びまどろみの中へ沈んでいった。
けれど、夢は醒めなかった。
一週間が過ぎ、二週間が過ぎ――一か月が経ったころ、だんだんと目の前の人の顔やものの形が見えるようになってきた。
くぐもっていた音が鮮明に聞こえるようになり、一回の授乳で飲める量が増えてきた。
(どういうことかしら。これから死後の世界に行くのよね? なぜ成長しているの?)
そしてなにより、体の奥底から無限にみなぎってくる、この魔力。
さすがのロゼリアも認めざるを得ない。
生きている。それも、赤子として。
(やり直せるというの? もう一度、わたくしの人生を?)
小さな手を精一杯握りしめる。力などほとんど入らない。けれど、その拳には確かに十八年分の覚悟が宿っていた。
◇
ノエルヴァルトの空気は王都のそれとは違う。
内陸にあるため乾いており、特に冬になると遠くの山嶺から吹き下ろす風が、屋敷の窓を絶えず小さく叩く。
王都には三十歩間隔で設置されている、魔導を動力源とした街灯も辺境の地ではまばらだ。
外から聞こえてくる兵士たちの号令や、鍛冶場の槌の音さえ、この屋敷の暮らしの一部だった。
揺りかごに寝かされたまま、ロゼリアはその音を、懐かしく聞いていた。
「まったく、中央の連中ときたら。普段は『田舎公爵』と好き放題言っているくせに、こういうときだけすり寄ってくる」
壁の向こうから漏れ聞こえていた苦笑交じりの父の声が、急に大きくなった。扉を開けて入ってきたらしい。
「あの方たちは帝国と国境を接して、夜も眠れぬ思いをしたことなどございませんもの。言わせておけばよろしいのですわ」
来客を見送った直後の疲労をにじませた父に、母は優しい声を重ねた。
(そういえばこんなやりとり、前世でも聞いたことがあったわ)
ロゼリアは揺りかごの中で、ぼんやりとそう思った。
赤子のころの記憶など残っているはずもない。
けれど、今こうして再びそのときの声を聞くと、まるで昔なじみの子守唄を思い出すような、奇妙な感覚に襲われる。ああ、こんなころからもうその話をしていたのね、と。
「そうだな。陛下もいざとなればアルノーの剣を頼りにされる。それがすべてだ」
父の声には確かな自負が垣間見える。
アルノー家が治めるノエルヴァルトは、王国最北の地。
帝国との間に横たわる、停戦という名の薄氷。それを踏む危うい状況の中、最前線の防衛を維持しているのが、他ならぬこの家だということを、ロゼリアはよく知っている。
そして、もうひとつ。
「――しかし、あいつらの嗅覚の鋭さは、どうなっている? なぜ見ず知らずの鼻垂れなんぞに、俺の天使をくれてやる話などせねばならんのだ!」
ロゼリアの意識がふっと引き寄せられた。
母に向けた父の愚痴はギリギリ品格を保ったようで、かなり怪しいラインだった。
「王太子妃候補のお話? 王太子殿下がお生まれになって一年半。ロゼリアに至ってはまだ三か月ですよ」
その言葉を聞いた瞬間、なにかがまるでパズルのピースのごとくかちりと音を立てて嵌まった。
(やっぱり。前世と同じね)
女子が生まれれば、王太子妃候補、その筆頭として召しだされる。
古くから続く、アルノー家と王家との盟約。
そのはじまりは、国境守護として辺境を封じた代わりに、永劫の繁栄と大いなる栄光を与えんという、口約束だったと聞く。
忘れていたわけではない。が、これほど幼い――言葉すら話せぬ時期から、すでにその話が始まっていたと知り、ロゼリアはひどく冷めた気持ちになった。
自分の運命など生まれた瞬間から、いや、生まれる前から、とうに決まっていたのだ。
「気の早いこと。この子が健やかに育ってくれれば、それで十分ですのに」
政略などお構いなしといった母の声に、ロゼリアの殺伐とした気持ちが少しだけ和らいだ。
しかし――心の奥底では、静かな炎が灯っていた。
(王太子妃候補。結構。好きなだけそう呼べばいいわ。ただし、わたくしは候補のまま、退場させていただきますけど)
少なくとも、前世の処刑にあの二人が無関係だったとは思えない。
突然小謁見の間に連れて行かれ、あれよあれよという間に牢に入れられたから、すっかり頭から抜け落ちていたが、庭園で、バルコニーで、東屋で、幾度となくリュシアンとメリゼルの親密な様子を目撃していた。
いつから通じ合っていたのか。
特定することはもはやできないが、最初にロゼリアが違和感を覚えたのは十五歳のデビュタントの夜。
リュシアンはロゼリアとの婚約を正式に発表しておきながら、王族や有力貴族の視線もある中、婚約者を差し置いてメリゼルと二曲連続で甘いステップを刻んだ。
ちょうどメリゼルが光の精霊王イルミナの寵愛により、教会から聖女認定を受けた直後だった。王家との結びつきを強固なものにせんと、教会が裏で画策していた可能性も大いにある。
(確かオルヴェリアには、聖女を王家に迎えると国に繁栄をもたらすという言い伝えがあったわ。リュシアンさまとメリゼルは想い人と結ばれ、教会は国家権力を後ろ盾に異端や他宗教を排斥でき、国民も豊かになる……まさしく三方良しというやつね)
その実現のため、ロゼリアは体よく排除されたのだ。
証拠など、どうとでもできる。調査結果の捏造、事件現場への魔力痕の細工、偽の証言をする者の買収――やりようはいくらでもある。
まったく。不条理極まりない話だ。
(けれど、わたくしは二度と、あの方たちの思い通りにはなりませんわ)
西日が差し込む窓越しに、地鳴りのような音が届き始めた。
午後の訓練が始まったらしい。「ハッ!」「やぁ!」という、兵たちの短くも気合の入った声が聞こえてくる。
子守唄と呼ぶには、いかにも目が冴えそうな勇ましい掛け声を聞きながら、ロゼリアも静かな闘志を燃やし始めていた。




