第十七話 祝福の帰郷[4]
「お嬢さま!」
「お嬢さまがお戻りだぞ!」
ロゼリアが地面に降り立つと、真っ先に駆け寄ってきたのは、厨房を預かる料理長マルセルだった。白い前掛けで何度も目元を拭いながら、太い腕を震わせている。
「お嬢さま。この度は、ぐすっ……この度は……」
「おめでとうございます、お嬢さま!」
「おめでとうございます!」
料理長の言葉を引き取るように、侍女たちが口々に祝福を述べる。けれど、そのだれもが目元を赤くしていた。後ろに控える兵士たちまで、いかつい顔をくしゃくしゃにして鼻をすすっている。
ロゼリアは思わず吹き出しそうになるのをこらえ、微笑んだ。
「まあ。皆さま、『おめでとう』という顔ではありませんわよ」
それから、ハンカチを取り出して料理長に差し出す。
「ほら、泣かないでくださいませ」
「も、もったいのうございます……」
受け取ったハンカチに顔を埋め、料理長はとうとうおいおいと声を上げて泣き出した。つられたように、あちこちですすり泣きが広がっていく。
(困った人たちね)
そう思いながらも、ロゼリアの胸は締め付けられるように熱くなっていた。
前世で婚約が決まったとき、この屋敷の者たちはどんな顔をしていただろう。思い出そうとしても、ぼんやりとしか浮かんでこない。
あのころの自分は、王太子の婚約者という肩書きに夢中で、周りにいる人々の顔などろくに見ていなかった。
「ロゼリア」
柔らかな声に振り向くと、人垣が自然と割れ、その向こうから母のセラフィナが歩み寄ってくるところだった。赤茶色の髪が春の陽を受けて艶やかに輝き、アメジストの瞳が優しく細められている。
「おかえりなさい。そして、おめでとう」
「ただいま戻りました、お母さま」
母の腕にふわりと抱き寄せられる。甘やかな香りと優しいぬくもりに包まれ、目の奥がじんわりと熱くなってくる。
ロゼリアは母の肩越しに、二つの人影に気がついた。
少し離れた場所に、弟のレオネルと次兄のカイゼルが立っていた。
レオネルは金色の髪をくしゃりと乱し、母と同じアメジストの瞳を揺らして、唇をきゅっと引き結んでいる。
その隣で、カイゼルは赤茶色の髪をかき上げながら、金色の瞳をどこか所在なげに泳がせていた。普段なら真っ先に軽口を叩いてくる次兄が、珍しく黙りこくっている。
ロゼリアが母の腕から離れると、レオネルがおずおずと一歩前に出た。
「姉さま」
小さな手が、ロゼリアのドレスの袖をつかむ。
「姉さまは王都に嫁いでしまわれるのですか?」
幼さの残るその瞳に、不安の色がはっきりと浮かんでいる。その声は今にも泣き出しそうに震えていた。
ロゼリアは少し膝を曲げ、弟と目の高さを合わせた。前世では、この子の成長した姿を見ることは叶わなかった。一歳になる前に亡くなったレオネルが、今世ではすくすくと育ってくれている。
「今すぐではありませんわ」
ロゼリアは弟の柔らかな髪を、そっと撫でた。
「これからさらに磨きをかけて、王太子殿下にふさわしい妃となれるよう励まなくてはなりませんもの。王都に行くのはまだ先のお話よ」
「……本当に?」
「ええ、本当よ」
レオネルの顔にようやく安堵の色が広がる。その頭越しにカイゼルが大きく息を吐くのが見えた。
「なんだよ、驚かせやがって。てっきり明日にでも王宮に連れていかれちまうのかと思った」
「カイゼルお兄さまったら。わたくしがいなくなったら寂しいのですか?」
「当たり前だろ。ロゼは俺と離れても平気なのか? 薄情なやつ」
いつもどおりのやりとり。周囲からくすくすと笑い声が漏れ、張り詰めていた空気がやっと和らいでいった。
ロゼリアは立ち上がり、屋敷を見上げた。灰色の石塀の向こうに、北の山並みが連なっている。その先にはヴァルクライス帝国との国境がある。
前世でノエルヴァルトは踏みにじられ、オルヴェリアは滅ぼされた。
そんな未来には決してさせない。ロゼリアは拳を握りしめた。
辺境の防衛線を強化する。
兵の数を増やし、軍備を整え、ノエルヴァルトのような精強な軍隊を王国の各地に広げていく。
この王太子妃という誉れ高い地位ですら、そのための手段に他ならない。
(リュシアン殿下のご寵愛を受け、必ずや国防費捻出に漕ぎつけてみせますわ!)
そのためなら、なんでもする覚悟だ。
❖ つづく ❖
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