第十七話 祝福の帰郷[2]
王族の婚姻は、個人の恋情で決めてよいものではない。それは国と国、あるいは国と諸侯とを結ぶ格式高い政治条約。
選び方を誤れば、外交問題に発展することさえある。本来ならば一個人の意見や好みなど、そこに差し挟む余地もない。
リュシアン自身、それをだれよりもよく理解しているつもりだった。
けれど今、この壇上で、王国の最高権力者三人の思惑は、言葉にするまでもなく一致していた。
加えて、ロゼリア・ド・アルノーは公爵令嬢。望みうる最高位の身分だ。
さらに、王家とアルノー家の間には、古くから結ばれた盟約がある。かの国との国境を守る盾の家に娘が生まれたなら、王太子妃候補の筆頭として迎えるという、由緒正しき盟約が。
とはいえ、候補者を一人に絞ることは、必ずしも得策ではない。
王太子妃の座を巡る争いが早々に決着すれば、選ばれなかった家の不満が政争へと発展しかねず、候補者を一人に定めれば、その令嬢が暗殺の標的となる危険も高まる。
複数の候補者を立てるのは、そうした危険を分散し、無用な争いを未然に防ぐためでもあった。
そもそも、盟約が保証するのは、あくまでも王太子妃候補の筆頭として迎えられること。王太子妃の座そのものを約束するものではない。
王家が独断で王太子妃を決定したとなれば、宰相家の不満も、他の候補者たちの批判も噴出するだろう。
それでも、それらすべてを封じ込め、力技で押し通せるだけの大義名分がロゼリア・ド・アルノーには、十分すぎるほどに揃っていた。
扇の陰でオフィーリアの口元が静かに弧を描いた。「もう決まりね」と言わんばかりの確信に満ちた笑みだった。
「それでどうするつもりだ」
フレデリックが杯を揺らしながら問いを重ねる。その目はすでに、答えを知っているかのように笑みを含んでいた。
リュシアンは杯の縁越しに、熱気に沸く広間を見下ろした。脳裏に浮かぶのは、ここにはいない赤髪の少女の琥珀色の瞳。
「……しばしお時間をください」
リュシアンは杯に残った酒を、また一口あおった。
◇
立太子の儀から三日と経たぬうちに、王宮の円卓の間にて、両陛下と立太子、数名の大臣たちによる王太子妃選定の御前会議が開かれた。
そのことをロゼリアが知ったのは、王太子妃決定の報せと同時だった。
「えっ、お父さま。今なんと?」
国家の慶事に、王都全体がまだ祝祭ムードに包まれるさなか、別邸の居間で、ロゼリアは刺繍枠を膝にのせたまま顔を上げた。
「王宮から報せが来た。御前会議が開かれ、つい先刻、お前が王太子妃に決まった。満場一致だったそうだ」
ロゼリアはぱちりと瞬いた。
通常、王太子が定まってから妃の選定会議が開かれるまでには、少なくとも一月の猶予がある。
その間に各派閥が推薦状を整え、どの候補者を支持するかを見極める。貴族たちにとっては、今後の政治的な立ち位置を探るための準備期間でもある。
聞き間違いかと思ったが、冗談を言っている顔ではなかった。父はほっとしたようでいて、どこか思いつめたような顔だった。
ちょうどハーブティーを持ってきたカトリーナが、驚きに肩を震わせた拍子に、かちりとカップとソーサーが小さな音を立てた。
「おめでとうございます、旦那さま! お嬢さま!」
「わたくしが王太子妃となって王宮に入れば、嫌でも顔を合わせることになりますわよ」――いつか言っていたことをまさか本当に現実のものになさるとは。主の実行力にカトリーナはただただ感心するばかりだった。
それからの日々は、まるで坂道を転がる毬のようだった。
王太子妃決定の報の翌日、父オーギュスタンとともにステラフォンテーヌ宮殿へ赴き、国王の私的書斎で婚姻誓約書に調印。
そして、その三日後には、臣従の礼が行われたのと同じ玉座の間での婚約発表の席が設けられた。
一週間前と同じ大理石の床、同じ高い天井、同じ顔ぶれの諸侯たち。けれど、ロゼリアの立つ場所だけが違っていた。
扉際ではない。壇上、王太子の隣だ。
「――ここに、王太子リュシアン・ド・オルヴェリアと、アルノー公爵家息女ロゼリア・ド・アルノーとの婚約が、正式に調ったことを宣する」
国王の朗々とした声が広間の隅々まで響き渡った。一拍の静寂のあと、割れんばかりの拍手が湧き起こる。
天井の高みで反響する音の波が、肌をびりびりと震わせた。祝福の声と感嘆のため息が広間を満たす。
その中には、いくつかの冷ややかな視線も紛れていた。広間の中ほどに、薄い金色の髪がちらりと見えた。きつく唇を噛んだエレオノールが、扇の陰からこちらを睨んでいる。
ロゼリアは背筋を伸ばし、優雅に微笑んでみせた。
が、内心は動揺していた。
(随分と早いわね。いったいどうしたのかしら?)




