第十六話 金獅子と紅薔薇[6]
あの日。
突如として飛び込んできた身に覚えのない言葉に、ロゼリアは思わず黙り込んだ。
どういうことだろう。間違いなく、今世でリュシアンとまみえるのは、今日が初めてのはずだ。
なのに、彼は過去のとある日の話を始めた。しかも、ロゼリアにも「あの日」で十分に伝わるという確信のもと、言葉を紡いでいる。
贈った献上の品でなにか非礼があったのだろうか。
もしくは――。
(殿下も……前世の記憶をお持ちなの? いえ、そんなはずはございませんわ)
脳裏をかすめた考えをすぐに打ち消す。
もし、リュシアンが前世の記憶を持っているのなら、先ほどのエレオノールとの口論の場で、わざわざロゼリアを庇い立てするはずがない。むしろ、祝宴の席に水を差したと、あの場で罪に問うてもおかしくなかった。
それになにより、とうにメリゼルを探し出し、自身の婚約者として側に置いているはずだ。
それをしないということ自体が、なによりの証だった。
だとしたら、「あの日」とはいったいなんのことを指しているのか。どれだけ記憶をたどっても、心当たりはひとつもない。
黙り込んでしまったロゼリアを見て、リュシアンはじりじりと苛立ちを募らせていた。
こんなに思考を巡らせても辿り着かぬというのか。彼女にとっては記憶に留めるまでもない些事であったというのか。
言葉にしたくはなかったのに。
「とぼけるな。僕の口を塞いだ挙句、押し倒しておいて」
「――え?」
だれが、だれを?
ロゼリアは思わず目を見開いた。
(お待ちになって。本当になんの話をされているのか、まったくわかりませんわ!)
心の中で悲鳴を上げる。顔が一気に熱くなるのがわかった。
公爵令嬢である自分が、殿下の口を塞いで、押し倒した?
リュシアンと直接まみえるのは、間違いなく今回が今世初だ。与り知らないあまりに具体的な言いがかり。頭の中が真っ白になる。
押し倒したなど王族相手にそんな無作法を働いたものなら、忘れるわけがない。不敬罪にもあたるほどの暴挙だ。この場で平伏しても足りない。
そして「口を塞いだ」とはいったい。
思わず、殿下がなにで口を塞がれたのか、聞き返しそうになってしまった。
「お言葉ですが、殿下。それは本当にわたくしだったのでしょうか。人違いなのでは?」
できるだけ平静を装いながらロゼリアは尋ねた。リュシアンの青い瞳が、ロゼリアをゆっくりとなぞっていく。
赤い髪を、はちみつ色の瞳を。まるでなにかを確かめるように。あるいは、なにかを探すように、じっくりと。
長い沈黙のあと。
「そうだな。貴様ではなかったのかもしれない。……だが」
ふっと息を吐き、リュシアンは視線を窓の外へと逃がした。その横顔にはばつが悪そうな、それでいて、どこか愉しげな影が差す。
「今となってはもう、どちらでもいい」
「……どちらでも?」
「はっきり言えること。それは――」
再び、リュシアンの視線がロゼリアへと戻ってくる。青い瞳がまっすぐに、ロゼリアを射抜く。
「目にするたびに新たな顔を見せる貴様を、僕は紐解きたくて仕方がない、ということだ」
月光のもと、告げられたその言葉が持つ意味をロゼリアは掴むことができなかった。
(それは……いったい、どういう?)
戸惑いと混乱がぐるぐると渦を巻く。
心当たりのない告発、噛み合わない会話、さらにはこの謎めいた一言。悔しいがなにひとつ、理解できていない。
けれど、不思議なことにリュシアンの反応は悪くない。むしろ好意的ともいえる。これはかなり順調に、彼の心に爪痕を残せているのではないか。そんな確信が胸の内に広がっていく。
薔薇の香り漂う夜の回廊に、二人の足音だけが、しばらく静かに響いていた。
❖ つづく ❖
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