第十六話 金獅子と紅薔薇[5]
「あなたね、先ほどからよくも言いたい放題……」
「よせ」
短く発せられた、その一言にロゼリアは、思わず息を止めた。
視界が白く遮られる。ロゼリアを庇うように、割り込んできたのはリュシアンだった。
少年ながら威厳に満ちたその背は、ロゼリアの目に大きく映った。
「私闘も私怨も大いに結構。が、適否を見極めろ」
静かで、有無を言わせぬ響き。あっさりとその場を収めた王太子に、称賛の囁きが広がった。
「さすがは王太子殿下」
「お見事な裁きだ」
「たった一言で収めてしまわれるとは」
皆、その鮮やかな手腕に、感嘆を隠し切れないようだった。
「申し訳ございません、殿下。お許しください」
震える声で言いながら、エレオノールが恥ずかしそうに顔を伏せた。取り巻きとともに、数歩後退していく。ドレスの裾が力なく床を擦った。
一方、ロゼリアは呆然と目の前の背中を見上げていた。
庇ったままの姿勢で、リュシアンがゆっくりとこちらを振り返る。
「貴様はデビュタント前だろう? いつまでここにいるつもりだ」
そう言って横に並び立った瞬間、周囲からどっと、ざわめきが起きた。
大綬のディープサファイアと、ドレスのペールサファイア。
宮廷正装の白銀の地模様と、ドレスに施された銀糸の刺繍。
マントの裏地のクリムゾンレッドと、ロゼリアの赤い髪。
まるで対になっているかのような親和性を帯びていた。
「……これも貴様の仕業か?」
リュシアンの形の良い眉が、片方、ほんのわずかに上がる。ぱちりとまばたきをしてロゼリアは澄ました顔で見上げる。
「仕業、とは。なんのことでしょうか」
諸侯らの動揺は当然だった。こうして並んでみれば、最初から示し合わせていたかのようにも見える。
以前からの二人がそのような仲であり、すでに王太子妃の座は決していると見て取れなくもなかった。偶然かはたまた必然か――その境界はあまりにも曖昧だった。
リュシアンは小さくため息をついた。
「まあ、いい。従者のもとまで送ってやる。ついてこい」
マントを翻し、背を向けたリュシアンは、返事も待たずに歩き出した。すかさず後に続こうとした近衛騎士を手で制すと、ちらりとロゼリアに目配せする。
彼の歩みを妨害することなく、人混みが速やかに割れる。ロゼリアは戸惑いながらも、近衛騎士に一礼し、慌ててその背を追いかけた。
残されたのは、悔しそうに唇を噛むエレオノールとその取り巻き。
呆気に取られる貴族たち。そしてその中には、唖然とした顔の父オーギュスタンと兄マクシムの姿もあった。
◇
「殿下。送っていただかなくとも、公爵家の従者の待機所は玉座の間のすぐ隣の前室なのですが」
小走りに追いつきながら、数歩先を行く純白の背中に、ロゼリアは思い切ってそう口にした。
「そんなことはわかっている。少し歩きたくなった。貴様も付き合え」
カトリーナが待つ前室の前を、リュシアンは足も緩めずあっさりと通り過ぎた。戸惑うロゼリアをよそに、突き当たりにある重厚な扉に手をかける。
押し開けると、ひやりとした空気が流れ込んできた。扉の向こうは回廊だった。
夜の回廊は、昼間の華やかな宮殿とはまるで別世界だった。等間隔に並んだ窓から差し込む月光が、磨かれた床の上に落ち、足元に長い影を作っている。
喧騒は扉一枚を隔てただけでも遠ざかり、二人の足音が聴こえるほど回廊はひっそりとしていた。
「ここはよいな。静かで落ち着く」
リュシアンが足を止め、窓の外へと視線を向ける。
白銀の月明かりが、彼の金髪を淡く縁取っていた。臣下たちの前とは違う、肩の力が抜けた年相応の少年の声に耳を傾けていたロゼリアは、少し遅れてはっとする。
(これは好機なのでは?)
ドレスの裾をつまみ、深くカーテシーを捧げた。
「王太子殿下、あらためまして立太子の御盛儀、誠におめでとうございます――」
「よい。それは献上の品の添え状にもあった。臣従の礼のカーテシーで十分に伝わっている」
さらりと遮ると、リュシアンは不意にこちらへ向き直った。青い瞳が月光を受けて、鋭い光を帯びる。
「それより、貴様はいったいなんなのだ」
「……なに、と言われましても」
質問の意図がわからない。
けれど、はたと気がついた。そうだった。今世で、直接顔を合わせるのは、これがはじめて。
アルノー公爵、オーギュスタンの娘であることは伝わっているだろうが、名乗りがまだだった。ロゼリアは慌てて再度膝を折る。
「失礼いたしました。アルノー公爵が娘、ロゼリア・ド・アルノーと申します」
「そうではない」
リュシアンの声がわずかに低くなった。
(そうではない? 名乗りでもカーテシーでもないのなら、リュシアン殿下はいったいなにをお尋ねなのかしら)
考え込むロゼリアはカーテシーを解くのも忘れ、その姿勢のまま固まった。
「あの日のことを……忘れたとは言わせぬ」




