第十六話 金獅子と紅薔薇[4]
取り巻きたちの笑い声が一層大きくなる中、エレオノールが一歩前に出た。
「先ほどの臣従の礼で序列ははっきりしましたでしょ? 最も高い位置にいるのはこのわたくし。ならば、王太子妃に選ばれるのも――」
扇をわずかに下げ、エレオノールは確信に満ちた笑みを浮かべると、ロゼリアの耳元で囁く。
「……実は立太子の儀のあと、ラヴァル伯爵令嬢と偶然お会いできて、お約束くださいましたの。わたくしを応援していただけると」
ラヴァル伯爵令嬢、セリーヌ・ド・ラヴァル――オルヴェリア国内のもう一人の王太子妃候補の名だ。
エレオノールは小首を傾げ、伏せられたロゼリアの顔を覗き込むようにして微笑んだ。
「ねえ、あなたもわかってくださいますでしょう?」
疑問符をつけながらも、その問いかけにはロゼリアの答えを求める響きなど、どこにもなかった。すでに勝敗は決した。そう言わんばかりの一方的な宣言にほかならない。
ロゼリアは唇をきつく引き結んだ。
このような場で、デビュタント前の身で、言葉を返すのは本意ではない。公爵令嬢としての矜持を崩すことにもなる。けれど、黙って受け入れることもできない。
握り込んだ拳をドレスの陰にそっと隠した。
「お気遣い痛み入ります、お姉さま」
ロゼリアは小さく息を吐き、顔を上げた。
伏せていた睫毛の下から現れたはちみつ色の瞳は、少しも濡れていなかった。年上の令嬢からの嫌味にも、まったく堪える素振りも見せず、凪いだ湖面のように静かに、真っ直ぐ、エレオノールを見つめ返す。
エレオノールの微笑が、ほんのわずかに強張った。
「正式な大人の仲間入りすら果たしていない、名ばかりの公爵令嬢相手に、これほど熱心にお言葉をくださるなんて。ご安心あそばせ、わたくしは……」
ロゼリアは花がほころぶように微笑んだ。
「辞退する気など、一切ございませんわ」
「はあ? なんですって」
扇がぴたりと止まる。エレオノールの口から公爵令嬢らしからぬ声が漏れる。その顔に、初めて戸惑いの色が浮かんだ。
取り巻きの二人も顔を見合わせた。まさか言い返してくるとは思わなかったのだろう。
「『頼りなさげで、貧相な、色褪せた空のようなドレス』でしたかしら? 殿下の瞳の御色そのものではなく、あえて一段淡い青を選んだのは、わたくしがデビュタント前だからですわ」
指先でシルクサテンの上質なドレスの生地を確かめるように撫で、ロゼリアは一語一語を噛みしめながら続けた。
「そして、本日もっとも輝くべき王太子殿下の光を濁さず、美しく反射する『鏡』となるため」
その場の空気がわずかに揺れた。
「そちらの金や赤といったお色が、いまの流行りの色なのでしたよね。けれど、ここはただの社交の場ではございませんわよ?」
小首を傾げる。その仕草は、先ほどのエレオノールのものとそっくり同じだった。
「次期国王として宣明を受け、王太子となられた第一王子殿下を称え、王国の繁栄を祈る栄誉ある式典。両陛下と殿下の御前で、よくそのような色のドレスをまとえましたわね」
「なっ、なにを、おっしゃるの……?」
エレオノールの顔からすっと血の気が引いた。その声は思いのほか大きく響いたらしい。
近くにいた紳士が振り返り、その隣の淑女もこちらを見る。
玉座の間。
大勢の参列者たちの中で、静かに始まった二人の令嬢の対決は、今や、ロゼリアとエレオノールを中心に、波紋のように広がりつつあった。
「どうした? 喧嘩か?」
「おお、いいぞー。先ほど王太子殿下も『堅苦しい話はここまで』とおっしゃっていたからな」
「煽ってどうする。これから祝宴だというのに」
楽しげで無責任な声が幾つも重なる。その中に焦った声が混じった。
「ロゼ!? それと大聖堂のときのご令嬢? やはり、ただの『お話』ではなかったのか」
マクシムだった。人混みの向こうからこちらへと足早に駆け寄ってくる。マクシムは二人の表情を見比べ、ようやく事態を察した。
が、時すでに遅し。
「王家の象徴たる『金獅子』、国花である『赤い薔薇』。金も赤も王家に通ずる格式高い色。祝賀の席で身につけること自体は、決して咎られるものではございません。けれど、王家には、王族のみが身につけることを許された色がございます。君主の金と王の赫――いずれも王権を象徴する特別な色」
声は決して荒げない。
囁くように穏やかでいて、迷いのないその声音は天井の高い玉座の間に凛と響く。
わななくエレオノールに、ロゼリアはさらに言葉を継いだ。
「王家の祝典である立太子の儀ならいざ知らず、臣下が王太子殿下に忠誠を誓う臣従の礼において、王族専用の色を思わせる装いで全身を飾り立てるのは、王家と並び立とうとする不遜な主張と受け取られかねませんわ。いささか配慮に欠けるのではなくて?」
取り巻きの二人も、慌てたように自分のドレスを見下ろす。金と赤。まさしく王家を象徴する色だった。
「……あら、大変。お姉さま方はご自分の美しさを競うことに夢中で、殿下への敬意をお忘れになってしまわれたのかしら?」
周囲からこらえきれない忍び笑いがいくつも漏れた。
エレオノールの顔が、ドレスに負けないほど真っ赤に染まる。扇を握る手がぶるぶると震えた。




