第十六話 金獅子と紅薔薇[1]
祝賀の鐘の余韻が、まだ耳の奥に残っていた。
エペ・ド・マリス大聖堂からステラフォンテーヌ宮殿へと続く大通りは、歓声と熱狂に包まれていた。
儀礼用のオープン馬車に乗ったリュシアンが、沿道を埋め尽くす民衆の歓声と、窓から降り注ぐ薔薇の花びらに応え、笑みを絶やすことなく手を振り続ける。
これこそ、王太子としての初仕事だった。
臣従の礼参列のため、パレードの混乱を避けつつ、大聖堂から王宮へ別ルートで移動途中だったロゼリアは、人垣の隙間から春の陽光を受け輝く金の髪をちらりと見ただけだった。
パレードのとき、あれほど高かった太陽は西の空へと傾き、夕暮れの準備を始めていた。
玉座から最も遠い扉際に立つロゼリアは、縦長のアーチ窓の向こうを見ていた視線を、広間へ引き戻した。
父オーギュスタンと兄マクシムは、遥か前方、公爵家にふさわしい位置にいる。
そのさらに向こう。玉座の間の最奥、一番高い場所に、国王フレデリックと王妃オフィーリアが並んで腰を下ろしている。
臣従の礼を待つ玉座の間には、華やかな熱気と張り詰めた静寂が入り混じっていた。
「祝賀パレードも、立太子の儀に続き完璧な絵画のようだったとか」
「見た目がよいのは結構なこと。だが、これからの政を担う器がなければ話にならん」
礼服を纏った有力諸侯や、仕立てのよい法衣に身を包んだ廷臣が交わす囁きがわずかに聞こえてくる。
荘厳な祭壇と長椅子のあった大聖堂とは異なり、玉座の間には座席がない。その代わり、玉座からの物理的な距離が、そのまま序列を表している。
この視覚的な距離の序列に加え、臣従の礼ではもうひとつ、明確な上下関係を突き付けられるのだが――それは、のちほど明らかになる。
「王太子殿下、入御!」
近衛兵の声とともに、広間の中心をリュシアンが進む。
数時間に及ぶパレードの疲れも見せず、背負った重厚なマントをわずかに揺らし歩くその姿は気品に満ちていた。立太子の儀で国王から授けられたばかりの冠が、シャンデリアの光を弾いてきらめいた。
王太子は真っ直ぐ、玉座を見据え歩いていく。やがて壇上の手前までやってくると、居並ぶ参列者たちに向き直った。
「これより、諸外国使節の祝賀の礼ならびに諸侯の臣従の礼を執り行う」
壇の脇に控えていた宮廷儀礼官のよく通る声が、静寂を破った。
儀礼官は王家の紋章が入ったリボンを解いて、長い羊皮紙の巻物を広げる。最上段に目を落とし、そこに記された名を一語ずつ噛み締めるように読み上げた。
「諸外国使節筆頭、シャンテリー王国」
その名が呼ばれた瞬間、視線が一斉にある箇所へと集まった。ロゼリアもつられてそちらへ目を向ける。
歩み出てきたのは、威厳のある佇まいの国王とまだ年若い次期国王。そして、淡い藤色のドレスを纏った同盟国の王女アンヌ=シャンテリーだった。
彼女も王太子妃候補四人のうちの一人。髪は艶やかな黒髪で、異国の血を感じさせる整った面差しをしている。
三人はリュシアンの前まで進み出ると、深く頭を垂れた。
「オルヴェリア王国の新たな光たる気高き獅子よ。シャンテリー王国はこれまでと変わらぬ友誼を捧げよう」
国王の声が重厚に響いた。リュシアンがそれに応じて、短く頷きを返す。
「同盟国としての不変の厚誼、確かに受け取った」
シャンテリーの一団が下がると、儀礼官は次の名を読み上げた。
友好国。古くからの貿易国。その中には、ロゼリアが潜入した、かの国との交流晩餐会の開催国リュミエールからの使節もいた。
儀式は滞りなく進んだ。その間、リュシアンは一度として姿勢を崩さなかった。
ロゼリアはそのひとつひとつを興味深く観察しながらも、心のどこかで落ち着かない焦りを感じていた。
(諸外国使節との外交儀礼が終われば、次は国内貴族)
今日という佳き日、この場に立てたことは僥倖だ。しかし、デビュタント前という身分では、この下座から公爵家の一員として父と兄に続くこと以上の役目は、与えられていない。
王太子と言葉を交わす機会も、おそらく巡ってこない。
献上の品が好感触だったことは、両陛下より事前に聞き及んでいる。
(だからこそ、もうひとつ、はっきりとした確信がほしいのですわ)
今日の儀式が終われば、一週間ほど王都の祝賀ムードを堪能したのち、アルノー領ノエルヴァルトに帰還する予定になっている。
そうすれば、しばらくの間、王太子の面影はおろか、遠くからその背中を追うことすら叶わなくなる。このまま、ただの傍観者として終わるわけにはいかない。




