第十四話 壮麗たるステラフォンテーヌ[3]
◇
両陛下との拝謁の日から、半月ほどが過ぎたころ。
アルノー公爵家の別邸の前に、一台の豪奢な馬車が止まった。車体に刻まれているのは、王都でも名の知れた高級仕立て屋の紋章だ。
「お嬢さま、お品が届きましたよ」
ロゼリアは読んでいたページにしおりを挟み、書物を閉じた。カトリーナの声が心なしか弾んでいる。
運び込まれた重厚な木箱が、ロゼリアの衣装部屋の中央に丁寧に据え置かれる。仕立て屋の主人自らが、蓋を開け、手袋をした指先で繊細な薄紙をめくる。
薄紙の下から現れたのは、ペールサファイアの上質なシルクサテンに、銀糸で繊細な刺繍を施した一着のドレスだった。
室内の明かりを吸い込み、仕立てのよい生地が優美な光沢をまとった。
これから仕立て屋の主人立会いのもと、納品前の最終確認を行う。
「お手伝いいたします」
カトリーナの手を借りながら、ロゼリアは鏡の前でドレスへと袖を通した。
真新しい生地の感触が、肌にしっとりと馴染んでいく。
仕立て屋の主人が、周囲を回りながら細部を確認し始めた。
「裾の長さはいかがでございましょう。歩かれてみてお確かめくださいませ」
促されるまま、部屋の中をゆっくりと歩いてみる。裾が衣擦れの音を立てながら、しなやかに足元で揺れた。
「ちょうどよろしいですわ」
椅子にも座ってみる。
スカートの裾が花びらのように、ふわりと美しい線を描きながら広がった。
「申し分ございません」
その言葉を受け、仕立て屋の主人は極上の仕上がりに確信を得たように、深く満足げに頷いてみせた。
「お嬢さま、よくお似合いです」
「ふふ。ありがとう、カトリーナ」
鏡の中でカトリーナと目が合う。
ロゼリアもまた、鏡に映る自分の姿を満足げに見つめた。前世で味わった、あの流行遅れの惨めなドレスとはまるで違う。
この一着は間違いなく、ロゼリアの理想とこだわりが細部にまで息づいている、自分のためだけに誂えられた、至高の芸術品だった。
「それでは、このままお納めさせていただきます」
「ええ。ありがとうございます」
入念な確認を終えると、主人は礼儀正しく一礼し、来訪時と同じ路を馬車で帰っていった。
衣装部屋にはドレスのほかにも、当日身に着ける品々が並んでいる。
ドレスと同系色のプレーンなパンプスと小ぶりのバッグ。先日、ノエルヴァルトの銀細工職人から届いた、意匠の凝った髪飾り。
明日は宝石商がパールのネックレスを納めにやってくる予定だ。
ひとつひとつ、整っていく品々を眺めながら、ロゼリアは小さく息をつき、満足げに口元を綻ばせた。
王都入りと同時に目まぐるしい準備に追われ、息つく暇もない日々だった。来月のことと思っていても、この調子ですぐに祝典当日がきてしまうに違いない。
「お嬢さま、そろそろ脱ぎませんと」
「わかっているわよ、カトリーナ。あともう少しだけ。いいでしょう?」
ドレスを纏う当日が待ち遠しいような、このままずっと胸にこみあげる高揚感が続いてほしいような。
不思議な気持ちをロゼリアは感じていた。
◇
その日の日没後。
いつものように屋敷の三階へ上がり、オーギュスタンの書斎とそこへ至る廊下の蝋燭に火を灯し終えたメリゼルは、再び一階に戻ろうと廊下を歩いていた。
その途中、ふと、ある部屋の前で足が止まった。
ロゼリアの衣装部屋。
昼間、仕立て屋の馬車から、大きな衣装箱が降ろされるのをメリゼルも見かけていた。
あの中に入っていたのは、おそらく一か月後の立太子の儀で、お嬢さまが着られるドレスなのだろう。
一目、見てみたい。その衝動を抑えることができなかった。
手にしていたキャンドルホルダーを握りしめながら、メリゼルは衣装部屋の扉を静かに押し開けた。
部屋の中央、ロゼリアと同じ体型のトルソーがペールサファイアのドレスを纏っている。
その上には埃除けの薄い白布がふわりと掛けられている。
窓から差し込む淡い月光に照らされ、銀糸の精緻な刺繍が優美にその輪郭を浮かび上がらせていた。
「素敵……」
思わずため息がこぼれる。
だが、その感嘆と同時に、胸の奥から、じわりと暗い感情が頭をもたげてきた。
(このドレスを着て、王子さまに会いに行くんだわ)
――王子さま。
その言葉にメリゼルの脳裏に、あの日、屋敷の前で見かけた金髪の少年の姿がふと浮かんでくる。
平民の身なりをしていたのに、なぜかその横顔は、物語に出てくる王子さまのようにどこか気高く見えた。
(いいなぁ、お嬢さまは。こんなきれいなドレスを着られて。……いったいいくらするんだろう)
王都の一等地にある別邸、磨き上げられた調度品の数々。今日、屋敷に来た仕立て屋の馬車でさえ、高級感にあふれていて、そのどれもが自分とは縁遠い世界のものだった。
どれもこれも、私には手に入らない。
視線を落とせば、主アルノー公爵からあてがわれた、黒い布地と上に重ねた白いエプロン。
「……ずるいわ、お嬢さまだけ」
そのつぶやきと同時に、メリゼルは一歩ドレスに歩み寄る。
手にしていたキャンドルホルダーがわずかに傾き、受け皿の中に溶けて溜まっていた蝋が、とぷん、と揺らめいた。




