第十三話 最初の一手[3]
『殿下の歩みを阻む災いを討ち払い、輝かしい未来を切り拓かれますよう。そして、その歩みが熟成を重ねた芳醇な葡萄酒のごとく、豊かで至高なるものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます』
読み終えたリュシアンはしばらくの間、その便箋から目を離すことができなかった。
差出人の名義は「アルノー公爵家一同」。だが、家門を代表し、だれがこれをしたためたかなど、確かめる必要すらなかった。
「ロゼリア・ド・アルノー……」
低く、その名を口の中で転がす。
剣の意匠、葡萄酒の選び方、そして、この手紙に込められた言葉のひとつひとつ。そのすべてが、まるで自分の心の内側をそっと覗き込んだかのように、寸分の狂いもなく、リュシアンの琴線に触れていた。
(いったいなんなのだ、あの女は)
礼儀作法も淑女としての恥じらいも、まるで身についていない田舎令嬢のはず。それなのに、この贈り物からは、あの日の粗野な言動が嘘であったかのような、洗練された気配しか感じられない。
これほど見事なら、マルグリットが絶賛するのも疑いを挟む余地すらない。まるで別人だ。
便箋をそっと机の上に置くと、リュシアンは椅子の背に深く身を預けた。
「なにかの策略か。……それとも陰謀か」
リュシアンの声は警戒に満ちていた。だが、その警戒の裏側で拭いきれない、もう一つの感情が渦を巻き始めていることに、彼はまだ気づいていなかった。
◇
そのころ、魔導列車と馬車を乗り継ぎ、ロゼリアは父オーギュスタン、長兄マクシムと共に、王都ローズエマリスの一等地に建つアルノー公爵家の別邸に到着していた。
「祝いの品はもう王宮に届いたかしら?」
窓辺に立ち、遠く宮殿の白き城壁がある方角をそっと見やる。口元には抑えきれない笑みが浮かんでいた。
リュシアンの好みは前世で完全に把握済みだ。なにを美しいと感じ、なにに心を動かされるか――そのすべてを踏まえて、贈る品と添える言葉を慎重に選び抜いた。
完璧なまでの選定に、きっと彼は驚きを隠せないはずだ。
(ふふっ、せいぜい動揺なさいませ。そして『これほど僕の好みを理解してくれる女性はほかにいない』と、深く感じ入るがよいわ)
まだ今世では、第一王子と直接まみえたことも、言葉を交わしたこともない。しかし、あの贈り物と添え状により、非の打ちどころのない第一印象を植え付けられるという確信があった。
笑いを噛み殺しながら、ロゼリアは部屋の中をあらためて見渡した。
年に数回しか使われないこの大邸宅は、先遣隊として一足先に王都入りしていた使用人たちの手によって、すっかり整えられていた。
磨き上げられた調度品、塵一つない絨毯、あちこちに活けられた、温暖な王都に咲く季節の花々。
廊下の向こうからは、荷馬車に積んできたたくさんの荷物を屋敷内へ運び入れる使用人たちの、忙しなく行き交う足音が聞こえてくる。
その中に見覚えのあるミルクティーベージュの髪を見つけ、ロゼリアは思わず足を止めた。
(メリゼル……)
先遣隊の一人として王都へ来ていたらしい。
母カミーユの姿は見当たらない。彼女はノエルヴァルトのアルノー邸に残っているのだろうか。
廊下でほかのハウスメイドに指示を出しているメリゼルの横顔は、以前よりも随分としっかりとしたものに見えた。
(なんの因果かしら)
胸の内でそっとつぶやく。
今、この王都ローズエマリスに、前世の因縁の相手が皆、揃おうとしている。リュシアン、メリゼル、そしてロゼリア自身も。まるで、運命という名の糸が引き合い、再びこの地で結び直されようとしているかのように。
けれど、そんな答えの出ない迷宮に囚われている暇はない。
ドレスの新調とそれに合わせた宝飾品の選定。最高の状態で当日を迎えるため、徹底的に己を磨き上げる。
数日後には、国王・王妃両陛下への拝謁の場が設けられている。今日はさっそくドレスの最終デザインと素材を決定し、採寸することになっている。
「お嬢さま。仕立て屋がまいりました」
「ありがとう、カトリーナ」
鞄の中からドレスの意匠案の束を取り出すロゼリアの背中に、カトリーナの肩が小さく揺れた。
「ふふ、本日のお嬢さまは、随分と前のめりでいらっしゃいますね。あまりの張り切りように、仕立て屋の針が狂ってしまわないか心配ですわ」
「まあ、意地悪をおっしゃらないで。わたくしが纏う新しいドレスですのよ? あなたも心待ちにしているでしょう」
大事そうに意匠案を抱え、応接間に向かう主をカトリーナが追う。その口元は優しくほころんでいた。
窓の外では、王都ローズエマリスの街並みが冬の凛と澄んだ陽射しを受けて、輝くように広がっていた。
❖ つづく ❖
© 2026 有明 莉琉/Riru Aria
【無断転載・翻訳禁止】All Rights Reserved. Reproduction and translation are prohibited.




