第十三話 最初の一手[2]
◇
年が明け、立太子の儀まであと二か月。
王都ローズエマリスは、かつてないほどの活気に包まれていた。
国中の貴族たちの馬車が、続々と王都の巨大な城門をくぐっていく。暗殺や襲撃といった不測の事態を警戒し、平時より王都の検問が厳しくなるのに加え、儀式二週間前になると入城が締め切られる。
そのため、多くの貴族が先んじて王都入りを済ませていた。おかげで街の人口は、通常の数倍にまで膨れ上がっている。
ここ、ステラフォンテーヌ宮殿もまた、その熱気と無縁ではいられなかった。
北門に隣接する荷受広間には、国中の家門から届けられた祝いの品々が、山と積まれている。
金銀の装飾が施された箱、ずしりと重そうな木箱、絹布に包まれた美術品――そのどれもが、次期王太子の門出と王家の繁栄を寿ぐ、心のこもった贈り物だ。
だが、その贈り物の善意をそのまま鵜呑みにできないのが王宮である。
「魔力反応、異常なし。……次」
「こちらの箱、微弱な呪詛紋様を検知。破棄対象に回してください」
宮廷魔術師たちが品物の上に魔法陣を展開させながら、ひとつひとつ丹念に検分を進めていく。
こういった祝いの品もまた、当日の混雑を避けるため、二か月前から徐々に数が増えていく。
呪いや毒の魔法が仕込まれていないか。ピーク時には深夜にまで及ぶこともあるという、過酷なものだった。
そこへ、ふらりと一人の少年が姿を現した。
金の髪を軽やかに揺らしながら、悠然とした足取りで広間の中央へと歩み寄ってくる。青い瞳が興味深そうに、山積みの献上品を眺め回した。
「リュシアン殿下!?」
作業をしていた魔術師の一人がはっと顔を上げ、慌てて駆け寄ってくる。
「殿下。そちらはまだ検閲前の品にございます。そんなに近づかれては危のうございます」
「よい。見ているだけだ。僕に構わず作業を続けろ」
リュシアンは鷹揚に手を振ってみせた。
だが、魔術師たちにしてみれば、未検閲の品々のそばに儀式を控えた次期王位継承者たる第一王子を置いておくなど、生きた心地がしない。とはいえ、当の本人が頑として聞き入れない以上、無理に退けるわけにもいかず、彼らは落ち着かない様子で作業を再開した。
積まれた品々をひとつ、またひとつと眺めながら歩く。差出人の家名が記された木札をなんとはなしに確認していたリュシアンの視線が、ふと一点で止まった。
――アルノー公爵家。
木札に刻まれた文字を見た瞬間、脳裏に一人の少女の顔が浮かんだ。
四階という高所をものともせず、蔓を使って駆け上がっていった少女。同時に、あのナイトドレスと素足を思い出しかけ、リュシアンは慌ててその記憶を頭から振り払った。
「この箱を開けろ」
「で、殿下、お待ちください! 検閲前にございます。お手を触れてはなりません!」
伸ばしかけた手を魔術師が悲鳴に近い声で制止する。リュシアンは小さく舌打ちをしながらも、大人しくその手を引いた。
「……わかった。ならば」
一拍置いて、リュシアンは居並ぶ魔術師たちをぐるりと見渡した。
「これを先に検閲しろ。そして、済み次第、僕の部屋まで運べ」
有無を言わさぬ、きっぱりとした命令。魔術師たちは顔を見合わせたものの、その言葉に逆らうという選択肢は初めから存在しなかった。
「畏まりました」
深々と一礼した魔術師の一人が、アルノー公爵家の献上品を検分の列の先頭へと運んでいく。遠ざかるその背中を見送るリュシアンの口の端が愉悦を孕んでわずかに持ち上がった。
なぜこれほどまでにあの箱が気になるのか。
自分でもその理由をうまく説明することができなかった。ただ、確かめずにはいられない。一刻も早く。そんな落ち着かない衝動だけが、胸の奥にちりちりと燻っていた。
◇
検閲を終えたアルノー公爵家の献上品が自室に運び込まれるまで、それほど時間はかからなかった。
「殿下、お持ちいたしました」
侍従が置いていった木箱を前に、リュシアンはしばらくの間、腕を組んだまま微動だにしなかった。
今さらながら、こんな些事に心を割いている自身が、どこか腑に落ちない。それでも、箱に伸ばされた指先からは、隠しきれない高揚がにじみ出ていた。
留め具を外し、ゆっくりと蓋を持ち上げる。
緩衝材として敷き詰められた白銀の極細羊毛の中に、一振りの細工の施された短剣があった。
柄には見たこともない色合いの魔鉱石が埋め込まれている。淡く発光するその石は、おそらく、アルノー領内でしか採れない希少な代物なのだろう。刀身の付け根には、魔よけの紋章が精緻な彫金で施されていた。
「……これは」
思わず感嘆の声が漏れる。武骨さと繊細さを兼ね備えた見事な意匠だった。
国境の防衛を担う誇り高き武門の家系だからこそ、選び得る代物だ。単なる儀礼品にしては、あまりにも実用性と美しさが際立っていた。
剣をそっと箱に戻すと、次に手に取ったのは一本の葡萄酒のボトルだった。ラベルには見慣れぬ紋章と共に醸造年が刻まれている。
そして、そのボトルにリボンで結び付けられるようにして、一枚の便箋が添えられていた。
手に取った瞬間、ふわりとほのかな香りが鼻先をかすめた。
「――薔薇?」
便箋そのものにも目を奪われる。シルクのようになめらかな、純白の子羊皮紙。そこに綴られた文字は流れるように美しく繊細で、それでいて、ひとつひとつの筆致に揺るぎない意志のようなものが感じられた。
『立太子の御盛儀、心よりお祝い申し上げます』
リュシアンは声に出さず、目だけで文字を追っていく。
『第一の月、澄み渡る大気が新たなる年の胎動を告げる、陽だまりあたたかなこの佳き日に、殿下の王位継承者としての輝かしい未来の門出をお祝いできますこと、我がアルノー家にとってこの上ない喜びにございます』
一文字ごとに、丁寧に選び抜かれた言葉が、静かに胸の内へと染み込んでくる。
『お祝いの品として、儀礼用の短剣と、殿下のご生誕の年に我が領内で醸造された葡萄酒を献上いたしました』
わざわざその年に仕込まれた葡萄酒を選ぶという、行き届いた心配りに、息を呑む。




