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【第一章 完結 ♕ 第二章 開幕】処刑された公爵令嬢は、敵国皇子と国を盗る  作者: 有明 莉琉
第二章 獅子は木天蓼の夢の中

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第十二話 帰還と王命[3]




 短い旅路ではなかった。初めて足を踏み入れる異国の地で、無事にここへ帰ってこられるという保証など、どこにもなかったのだ。

 それでも、こうして変わらぬ日常の中に戻ってこられた。



(本当に、良かった)



 じんわりとこみ上げてくる涙を、そっと瞬きで押し留める。テーブルの向こうから、母セラフィナが優しい眼差しを送っていた。



「さあ、ロゼリア。まずは腹ごしらえよ。マルセルがあなたの好物を、腕によりをかけて用意してくれたそうだから」



 セラフィナの一言に兄弟たちも席へと着き始める。湯気の立つ料理の匂いが、食堂いっぱいにふわりと広がった。


 感傷に浸る暇は、そう長くは与えられなかった。食事を終えるやいなや、ロゼリアはエントランスホールへ向かった。



「わざわざお出迎えありがとうございます、ロゼリアお嬢さま。もう体調はよろしいのですか?」



 扉を開けると、金茶髪をきっちりと結い上げた家庭教師(カヴァネス)のマルグリット・ロシュフォールが、いつもどおりの完璧な佇まいで前庭(フロントコート)を歩いてくるところだった。



「ええ。ご心配をおかけいたしました」

「それを聞いて安心いたしました。本日からさっそく、今までの分もしっかり取り戻していただきますからね」

「はい、マギー先生。お手柔らかにお願いいたしますわ」



 苦笑交じりに答えながら、ロゼリアは屋敷内へマルグリットを招き入れる。


 中断していた学びの時間が何事もなかったかのように、再び動き出す。旅の余韻に浸る間もなく日常という名の歯車がぴったりと噛み合い、回転を始めようとしていた。




   ◇




 月が替わり、十番目の月――薄衣の月(ブリュメール)を迎えた、ある日のことだった。



「旦那さま。ノエルヴァルトの聖堂より、火急の使いが参っております」



 執事長の声に、応接間の空気がにわかに張り詰めた。ロゼリアは手にしていた作業中の刺繍枠を、そっと膝の上に置いた。


 聖堂の役人が直々に訪れるということ自体、決して軽い用件ではない。

 役人は白と紫を基調とした荘厳な法衣を纏い、一分の隙もない所作で、封蝋の施された書状を恭しく持っていた。



「アルノー公爵閣下に、王命をお届けに上がりました。王都のエペ・ド・マリス大聖堂から各地の聖堂に送られた特別親書であります」



 そう告げると、役人はその書状をオーギュスタンへと丁寧に手渡した。役人は深く一礼すると、踵を返し、正門へと向かって歩き始めた。


 役人の足音が遠ざかるのを聞きながら、オーギュスタンは封蝋に刻まれた紋章を、しばらくの間、じっと見つめていた。


 王命の公文書。この場で軽々しく封を切り、読み上げられるものではない。



「……皆を、書斎に集めてくれ」



 短く命じる声には、隠しきれない緊張がにじんでいた。





 夕刻。書斎に家族全員が集められた。机の上の書状を、燭台の揺らめく炎が静かに照らす。


 オーギュスタンが慎重な手つきで封蝋を割った。羊皮紙を広げると、一同の視線が、一斉にその文字へと注がれる。



「オーギュスタン・ド・アルノー公爵殿。来春、新芽の月(ジェルミナル)、立太子(りったいし)の儀に伴って臣従(しんじゅう)の礼を執り行う。オルヴェリアの高潔な盾たる公爵殿。汝がその強大なる軍事力をもって第一王子を支持し、これを盛り立てることを期待する」



 一文字一文字、噛みしめるように、オーギュスタンが読み上げていく。



「ついては、汝が誇る未来の若き跡継ぎと、麗しき令嬢を伴い、王都へ出頭されたし」



 書斎に響く父の声を聞きながら、ロゼリアは膝の上で指をそっと組み合わせた。


 読み終えると、しばしの沈黙が書斎に降りる。オーギュスタンは、書状に記された文面から目を離さなかった。

 辺境を守る公爵として、王命を賜るという重みが、その横顔に深く刻まれている。



「……リュシアン殿下の立太子の儀か」



 オーギュスタンがつぶやくと、傍らのマクシムが緊張した面持ちで姿勢を正した。



「父上、私も共に参るのですね」

「ああ、マクシム。次期公爵のお前と、そして――」



 視線がゆっくりとロゼリアへと向けられる。



「ロゼリア」

「はい、お父さま」

「お前も共に王都へ出頭することになる」



 静かに頷きながらも、ロゼリアの内心では抑えきれない鼓動が早鐘を打ち始めていた。



(ついに、来ましたわ!)



 リュシアンの立太子の儀。それは、王太子妃候補筆頭という自らの立場を、確固たるものへと一段階押し上げる、またとない機会にほかならない。

 あの晩餐会での屈辱も、帰路の馬車で練り上げた数々の策も、すべてはこの日につながっている。


 ロゼリアは膝の上で組んだ指に力を込めた。


 窓の外では、まだ沈まず西の空に残った太陽が、ちぎれ雲の間から何本もの光の束を降らせていた。

 まさしく、希望の光。これこそ、黒牙の狂獣との取引の失敗を覆す一手になるのだと、ロゼリアはあらためて確信する。


 来春の王都行きに向けて、新たな戦いの幕が、今、切って落とされようとしていた。






  ❖ つづく ❖





© 2026 有明 莉琉/Riru Aria

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