第十二話 帰還と王命[2]
丁寧にたたまれた衣類を取り出しながら、ふと苦笑が漏れる。
この旅でロゼリアは、前世から通算して初めて、自身の手で自分の衣類を洗濯した。慣れない手つきで水を汲み、石鹸を泡立て、なんとかしわを伸ばし、宿の椅子の背もたれや寝具のフレームにかけて乾かした。
それらを思い出すと、我ながらよい経験をした。
おかげで、明朝カトリーナに渡す洗濯物は、最小限で済みそうだった。
「このくらいの量でしたら、不審がられませんわね」
小さくつぶやきながら、手早く荷物を仕分けていく。
着替え、書類、化粧品や香水。すべてをあるべき場所へ丁寧に片付け終えると、ロゼリアは休む間もなく、部屋の隅にある机へと向き直った。
「えー、ロジー、まだ寝ないの?」
寝台の縁に座ったドリィが不満げな声を上げる。ロゼリアは椅子に腰掛けながら苦笑を浮かべた。
「頭の中に考えが溢れて止まりませんの。これでは寝ようにも寝られませんわ。それに、馬車の揺れで思うように書き留められなくて……」
そう言って手帳を開いてみせる。中を覗き込んだドリィが、思わず目を丸くした。
「わぁ、ぐにゃぐにゃ!」
「ふふっ、こんな文字を書いたのは、はじめて羽根ペンを手に取った一歳のとき以来ね」
ページというページを、ぐにゃりと歪んだ判読すら難しい文字が、隙間なくびっしりと埋め尽くしている。
移動する馬車の中で、揺れに耐えながら、必死に書き綴った思考の断片たち。まずはこれの解析からかから取り掛からねばならない。
「というわけだから、わたくしはもう少し起きていますわ。ドリィは久しぶりに宿り木に戻って寝られるのね。ゆっくりと休んで」
にこりと微笑むと、ドリィは少しだけ名残惜しそうな顔をしながらも、素直に頷いた。
「うん。……ロジーも、あんまり無理しないでね。帰ってきたばかりなんだからさ」
「ええ、わかっているわ」
窓辺に立ったドリィが、こちらを振り返り、小さく手を振る。
「おやすみなさい、ロジー」
「おやすみなさい。ドリィ、本当にありがとう」
ひらりと手を振り返すロゼリアを最後に、ドリィは窓枠に足をかけ、夜の闇の中へと身を躍らせた。四階の窓から飛び降りると、まっすぐに森の宿り木を目指して。
結局、ドリィは四日前のあの珍事件――平民の少年に扮したリュシアンとの予期せぬ遭遇のことを、打ち明けられずじまいだった。
胸の奥に小さな棘と罪悪感を抱えたドリィは、あっという間に夜の森の中へと消えていった。
一人になった部屋で、ロゼリアは羽根ペンを取ると、真新しい紙の上に思考の続きを書き記し始めた。
窓の外では、ロゼリアを見守るように、月が静かにその手元を照らしていた。
◇
翌朝、身支度を整えたロゼリアが食堂に姿を見せると、そこにはすでに家族全員が顔を揃えていた。
「ロゼ!」
真っ先に椅子から立ち上がったのは長兄マクシムだった。金茶の髪を揺らしながら、大股に歩み寄ってくる。
「お前が床に臥せている間、俺は生きた心地がしなかった。抱きしめさせてくれ!」
ロゼリアの返答を待たずに、力強い腕に包まれる。アメジストの瞳が、心なしか潤んでいるように見えた。
「あっ、兄さまずるい。ぼくも!」
負けじと、マクシムの腕の中へ割り込むようにして、末弟レオネルが、勢いよく飛びついてくる。
「あーあー、そんなにしたらロゼが潰れちゃうって」
次兄カイゼルは、そんな二人の様子を少し離れた場所から、呆れ半分と出遅れた悔しさ半分で眺め、茶化す声を上げた。
「お嬢さま、本当に良かったです。無事回復されて」
専属侍女カトリーナの声には、隠しきれない安堵がにじんでいた。栗色の髪の下、碧眼がうっすらと赤らんでいる。
彼女もまた、この十二日間、心を痛めていた一人だった。
「お食事とお菓子だけは残さず召し上がっていただけるので、必ず元気になられると信じておりましたよー!」
給仕の一人が明るい声でそう続けた。周囲から思わずくすくすと笑いが漏れる。
(食に対しての情熱が素晴らしいわね、ドリィったら)
内心で密かに苦笑する。ドリィらしい仮病の演じ方に、今さらながら、感心してしまった。
久しぶりに見る家族と使用人たちの顔。一人一人を見渡しながら、ロゼリアは深々と頭を下げた。
「ありがとう、皆さま。ご心配をおかけしましたね」
頭を上げると、皆、心底ほっとしたような表情でロゼリアを見つめていた。つられて瞳の奥がじわりと熱を持つ。




