第十二話 帰還と王命[1]
がたんと、車輪が最後の一揺れを残し、馬車が静かに止まった。
「お客さん、この辺りでよろしいですかい?」
御者の声に、ロゼリアは重い瞼をゆっくりと持ち上げた。
窓の外に広がるのは、月明かりに浮かぶ見覚えある街道の分かれ道。屋敷の門まではまだ距離のある場所だった。
「ええ、ここで結構ですわ。ありがとう」
小銭を手渡しながら、外套でさりげなく口元を隠す。
深夜にこんな場所で降りる若い娘を、御者は不審げに一瞥したが、それ以上、詮索してくる様子はなかった。
オルヴェリアに入ってからは、往路と同じく、ノエルヴァルトのひとつ手前の駅で魔導列車を降り、そこから流しの馬車を拾って移動してきた。
屋敷の門前に堂々と馬車を乗りつければ、いくら深夜とはいえ、たちまち「何事か」と大騒ぎになる。最後の最後でそんな風になるのは、絶対に避けねばならなかった。
馬車を見送ると、ロゼリアは外套の前をかき合わせ、月明かりだけを頼りに、屋敷までの道を一人歩き始めた。
見慣れたアルノー邸の輪郭が、ゆっくりと大きくなってくる。
闇に沈んだその姿を見上げた瞬間、張り詰めていた気が、ふっと緩むのがわかった。
(帰ってきましたわ)
夜間警備の兵がいる正門の手前で方向を変えると、屋敷の東側に回る。岩躯変転で塀をすり抜けると、裏手へ回り、裏口から屋敷に入った。
弾む息と足音を殺して、四階まで階段を上ったロゼリアは、自室の扉をそっと押し開けた。
天蓋付きの寝台の上、月明かりに照らされて、赤い髪の少女がぽつんと座っていた。窓の外を見つめていたその横顔が扉の音に、はっとこちらを振り向く。
「ドリィ!」
「ロジー……!」
二人の声が重なった。
ロゼリアが駆け寄ると、ドリィも寝台から飛び降りるようにして、その胸に飛び込んでくる。しっかりと抱きしめれば、懐かしい、木漏れ日のような優しい匂いが、ロゼリアの鼻先をくすぐった。
「よかった……無事に帰ってきたんだね」
「ええ。ただいま、ドリィ」
しばらくの間、二人は互いの無事を確かめ合うように、そのまま抱き合っていた。
旅の埃と疲労が染み付いた体を、ドリィが厭う様子もなく、ぎゅっと抱きしめ返してくれることに、ロゼリアは胸の奥が熱くなるのを感じた。
体を離すと、ロゼリアはあらためてドリィの顔を見つめた。
「ありがとう、ドリィ。あなたに無理を言って、屋敷にいてもらったのに……思ったような結果にならず、本当になんと言って詫びればよいか」
声が自然としおらしくなる。
精霊や妖精の類というものは、本来、純粋無垢で気ままなものだ。
それを人間のわがままに付き合わせ、こんな屋敷の中に、十二日間も閉じ込めてしまった。
「窮屈だったでしょう? ……ごめんなさい」
深く頭を下げようとしたロゼリアの肩を、ドリィがぽんぽんと叩いた。
「気にしないでよ。体調の悪いふりして、ずっと部屋にいただけだからさ。お菓子、おいしかったし」
にへらと緩んだ笑顔で返され、ロゼリアは思わず脱力してしまった。
「もう。ドリィったら」
くすりと笑いがこぼれる。張り詰めていた気持ちが、その気の抜けたひと言ですっと軽くなった。やはり、この子には敵わない。
「わたくしが留守の間、なにか変わったことはありませんでした?」
ふとそう尋ねると、ドリィはきょとんと首を傾げた。
「えっ? 別になかったんじゃないかなあ。ぼく、部屋の中にいたから、よくわかんないけど」
その答えに、なんとなく歯切れの悪さを感じないでもなかったが、
「そう? 平穏無事に過ごせたのなら、なによりだわ」
寝静まった深夜の屋敷の静寂も手伝ってか、ロゼリアはそれ以上追及しなかった。
ドリィもまた、なにかを言いかけた気もしたが、ふいと視線を逸らし、それきり口を噤んでしまった。
再会の抱擁もそこそこに、ロゼリアは部屋の隅に置いていたトランクを開け、荷ほどきを始めた。
中に詰まっているのは、令嬢の長期旅行とは到底思ぬほど、最小限に絞られた荷物だった。もっとも、その大半の時間は移動に費やされていたのだが。




