第十一話 巡り合う魂[3]
◇
今日の菓子を食べ終えたドリィは、やれやれといった様子で、ベッドに身を預けた。
なんとかカトリーナのノックよりも先に部屋へ戻ることができた。
おかげで、抜け出していたことは、侍女たちにも兄弟たちにもだれにも、気づかれずに済んだらしい。
ふかふかの寝具に沈み込みながら、ドリィは満足げに頬を緩めた。
「んー、今日のお菓子も、おいしかったなぁ」
マルセルお手製の焼き菓子の優しい甘さの余韻が、まだ口の中に残っている。
むしろ、このひとときが待ち遠しくて、ロゼリアの姿で閉じこもり生活を続けていると言っても、過言ではないくらいだった。
天井を見上げながら、ぼんやりと先ほどの出来事を思い返す。
「そういえば、あいつ。結局なんだったんだろう?」
素性も名乗らず、偉そうな口ぶりで話しかけてきたあの金髪の少年。
不遜な態度のくせして、妙に整った顔立ちと育ちの良さそうな所作が、無性に癪に障って、おいしい焼き菓子を食べたあとも、頭の片隅にちらちらと引っかかっていた。
「どこかで会ったような気も……するような、しないような」
しばし腕を組むようにして考え込んでいたドリィの表情が、やがてじわじわと曇り始めた。
「……ん? 待って」
精霊であるドリィにとって、魂というものの本質は、見た目や年齢に左右されるものではない。
どれほど姿を変えようとも、その魂の奥底にある「その人らしさ」までは変わらない。ましてや、あの少年は輪廻転生を経て生まれ変わったわけでもない。彼は間違いなく――。
「いやいやいや、まさか……そんな、ね?」
そうつぶやいてはみたものの、一度浮かんだ疑念は、どんどん形を帯びていく。
あの値踏みするような視線。人を小ばかにしたような独特の傲慢さ。そしてなにより、あの整った顔立ち。
「噓でしょ。さっきの、王太子じゃん!」
がばっと寝台の上で身を起こす。心臓がどくんと大きく跳ねた。
なぜあの場で気づかなかったのだろう。森での休息でパワーが充溢し、少々ハイになっていたことは、認めざるを得ない。
だが、それにしたって、よりにもよってロゼリアが王太子妃になり、リュシアンと信頼関係を築こうと決意した、まさにその矢先の出来事だ。
ドリィとしてならだれになにを言おうと、大した問題ではない。
だが、今の自分はロゼリアの姿をしている。あの態度、あの言い草。すべて、ロゼリア・ド・アルノーの名とともに、リュシアンの記憶へと刻まれてしまったに違いない。
「うぅー……とんでもないこと、しちゃったかも」
両手で顔を覆い、しばらくその場でじたばたと悶える。だが、いくら悔いても今さらどうにもならない。
ならば、いっそのこと。
「うん、うん。大丈夫、大丈夫。あのロジーだもん。絶対うまいこと切り抜けるよ、きっと」
言い聞かせるように何度も頷く。ソウルメイトへの全幅の信頼――もとい、すべての面倒事を丸ごと投げ渡すような気持ちで、ドリィはふかふかの寝具の中へと、勢いよく潜り込んだ。
「……とりあえず、寝よ」
胸の奥に燻るかすかな罪悪感にはひとまず蓋をして。ドリィは遠く南の空の下にいる、ロゼリアの帰還を待つことにした。
◇
そのころ、ロゼリアは馬車の中で、膝の上に地図を広げていた。
窓の外はすでに、橙の夕暮れに藍色の帳が下り始めている。
(今日はどの国まで進めるかしら)
車内の小さな灯りを頼りに指先で街道をなぞりながら、これまでの行程と残りの距離を頭の中で計算する。
馬車を牽くのは、普通の馬ではない。かつて野生であった万哩馬を家畜として調教したという、遠距離移動に特化した特別な乗り物だ。
俊敏性も持続力も、そのへんの馬とは比べ物にならない。往路でも使用したが、これなしではとてもじゃないが大陸の先端の半島まで、五日で移動するなどという荒業は不可能だ。
なにより厄介――いや、好都合なのは、こちらが「止まれ」と命じない限り、長時間休みなしで走り続けてしまうというその気性と強靭な心肺機能だ。
ふと、車輪の音に紛れて、かすかな寝息が御者台のほうから聞こえてくる。
見れば、二人いる御者のうちの一人が、相方に手綱を任せて眠りこけていた。ロゼリアはくすりと笑い、座席に座りなおす。
「昨夜は宿の寝具でぐっすり休めましたし……」
指先で頬に触れながら、独り言のようにつぶやく。
旅の疲れはある程度抜けている。ならば、今夜は無理に宿を探して足を止めるよりも、このまま夜通し走ってもらったほうが賢明かもしれない。
「そのほうが、早くドリィと代わってあげられますものね」
口元に柔らかな笑みが浮かぶ。
今ごろドリィはあの窮屈な屋敷の中で、どれほど気を張り詰めているだろうか。
木の精霊であるドリィにとって屋敷の中は、決して居心地の良いものではないはずだ。
一日でも早く、あの子をこの役目から解放してあげなくては。その思いが、旅路を急ぐなによりの原動力になっていた。
眠っている一人を起こさないよう、もう一人の御者にそっと声をかける。
「今夜はこのまま進んでいただけませんか? 急いでいるの」
「へい。承りました、お嬢さん」
短いやり取りのあと、馬車の速度が心持ち増したような気がした。窓の外を流れる景色が、また一段と濃くなった藍色の闇の中へと、少しずつ溶け込んでいく。
ロゼリアは膝の上の地図を丁寧に折り畳んだ。
この先もまだ長い旅路が続く。けれど、その路の先に待っている者がいる。それだけで、この揺れもいくらか耐えられるものに思えた。
座席の背もたれに身を預けると、瞼が少しずつ重くなっていく。
「おやすみなさい、ドリィ。……もう少しだけ待っていてね」
小さなつぶやきを最後に、ロゼリアはゆっくりと目を閉じた。
夜を駆ける無骨な馬車の揺れに身を任せながら。
❖ つづく ❖
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