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◇
彼はヴァルクライス帝国の招待客たちが固まる一角から、明らかに距離を置いた場所に立っていた。
会場の奥、出入り口からは最も遠い、上座に近い位置。そこだけ周囲とは違う空気が漂っている。
まるで彼の絶対的な冷徹さに圧され、空気ごと凍りつかせているようだった。
近づく者はだれもいない。遠巻きに好奇と畏怖の入り混じった視線を向ける者はいても、実際に声をかけようという豪胆な人物は見当たらなかった。
壁際の柱を背に、静かに会場の様子を俯瞰するその様は、まるで玉座から臣下を見下ろしているかのような圧倒的な気品と威厳を放っていた。
その佇まいだけでも、近づく者の足を竦ませるには十分すぎるほどだった。
ロゼリアは人の波に紛れながら、少しずつ、着実に、距離を詰めていった。あくまで自然な足取りを装いながら、時折、給仕係から飲み物を受け取る素振りを見せたり、近くの彫刻に見入るふりをしたりしながら、じりじりと、間合いを詰めていく。
(それにしても……)
歩きながら、胸に生じた疑問に思考を巡らせていた。
今宵の晩餐会は、両国ともに両陛下ならびに王族・皇族各殿下も揃って出席を見送り、その名代としてそれぞれの重臣や貴族が派遣されている。
だが、
(なぜあの方だけは参加なさっているのかしら? わたくしとしてはこの上ない幸運ですけれど)
その事実自体が、すでにただならぬなにかを示唆しているように思えてならない。
単なる思い違いであってほしいという、一縷の望みも胸の片隅にはあった。そして、もしあの人物が第一皇子でなかったなら、ここまでの苦労はすべて無駄になってしまう。
そんな迷いを抱えたまま、さらに数歩、距離を詰めたときだった。
「――殿下、本日はご機嫌麗しゅう」
近くを通りかかったヴァルクライス帝国の壮年の貴族らしき人物が、彼に向けて恭しく一礼した。
「……ああ」
短く、そっけない返事だが、問題はそこではない。
(で、「殿下」? では、やはり……!)
その敬称をはっきりと耳にした瞬間、ロゼリアの中に最後まで残っていた迷いが、音を立てて消え去った。
間違いない。あの方がヴァルクライス帝国の第一皇子。
心臓が大きく跳ねる。長い長い足踏みの果てに、ようやく手繰り寄せた。
あとは、どうやってこの距離を、言葉を交わせるほどの間合いまで縮めていくか。
ロゼリアはそっと視線を巡らせた。広間のいたるところで談笑が続いている。しかし、彼の周囲だけがぽっかりと、静かな空白地帯を保っていた。
正面から近づけば、間違いなく、周囲の耳目を集めてしまうだろう。
しかも、話そうとしている内容が内容だ。間違ってもだれかの耳に入ってしまうのはまずい。
(どこか人目のない場所でお話しできないかしら?)
そう思案した、そのときだった。
彼が不意に壁際から体を起こした。そして、だれにともなく会釈をすると、談笑する人々を横目に、大広間の端にある扉のほうへと、迷いのない足取りで歩き始めた。
ロゼリアはその背中を見失わないよう、警戒を怠らない足運びであとを追い始めた。




