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◇
交流晩餐会の一週間前、朝靄の残るエントランスホールに、旅装を整えた父オーギュスタンの姿があった。
ずらりと並んだ革のトランクを、使用人たちが荷馬車へ運び込んでいく。
武装した護衛の騎士たちが馬を並べて待機している姿は圧巻だった。
てきぱきと指示を飛ばしていた執事長が、忘れ物がないか最終確認に入った。父は留守中の領地経営や軍備管理について執政官や騎士団長らと細かな調整を終えると、家族の顔をじっくりと眺めてから言った。
「では、行ってくる。……留守の間、皆、母上の言うことをよく聞くように」
「いってらっしゃいませ、お父さま」
家族揃っての見送りの中、ロゼリアは、努めて普段通りの笑みを浮かべていた。内心では、心臓が痛いほど激しく脈打っている。
(――わたくしも、いよいよだわ)
馬車に乗り込む父の背中を見送りながら、ロゼリアは、これから自分が踏み出そうとしている一歩の重さを、あらためて噛みしめていた。
夜。
「行ってしまわれましたね、旦那さま。二週間も屋敷を離れるなんて、大丈夫なのでしょうか」
ロゼリアの髪を梳き終えたカトリーナは、猪毛のブラシをドレッサーに片付けながらつぶやいた。
「ふふっ、カトリーナってば。騎士団長さまが張り切っていらしたでしょ? そんなことを言ってはかわいそうよ」
ロゼリアはわざとらしく咳をしながら、寝台へと潜り込んだ。
ドリィが自然に部屋に引きこもっていられるよう、下準備はすでに整っていた。
「おつらいですか?」
「ええ、少しだけね。大事を取って、今日はもう寝るわ。おやすみ、カトリーナ」
「おやすみなさいませ、お嬢さま」
枕元の蝋燭を一本残して、カトリーナは部屋を回りながら燭台や壁の蝋燭を手際よく消していく。
「あ……待って!」
扉近くの蝋燭を消そうとしたカトリーナにロゼリアは声を掛ける。薄闇の中、きょとんとしたカトリーナが振り返った。
「いかがなさいましたか?」
蝋燭に照らされたカトリーナを見たとき、ロゼリアはぐっと胸にこみあげるものがあった。
(もう、会えないかもしれない……)
カトリーナだけではない。父にも母にも兄弟たちにも。
今朝の父のように、出立のあいさつを告げることも叶わない。
いっそのこと言ってしまおうか。だが、それでは秘密の計画が露呈して、第一皇子への道が断たれてしまう。
「……いいえ、なんでもないわ。ごめんなさい」
「体がおつらくて、心細いのでしょう。なにかあったらすぐにお呼びくださいね」
カトリーナはにこりと笑みをこぼし、頭を下げると、退室していった。
「ごめんなさい。本当のことを言えないわたくしを許して」
祈るようにそっとロゼリアは呟いた。
◇
屋敷が寝静まった頃。ロゼリアは、自室に招き入れたドリィと向き合っていた。
「本当にいいのね?」
「もう何度も聞いたよ、それ」
苦笑交じりに答えるドリィの周囲に、光が揺らめき、全身を包み込んだ。徐々に輪郭がぼやけ、やがて、光の中からロゼリアそっくりの少女が現れた。
「……変な感じですわ。鏡を見ているみたい」
「いや、ぼくだって自分がロジーになるなんて……っ、へ、変な、感じ……です、わよぉ?」
自信なさげな語尾を聞いてくすりと笑いながら、ロゼリアは旅支度に着替えた。
動きやすい平民風の服に、地味な色合いのマント。姿見に映る自分は、公爵令嬢の面影などどこにもない。
「じゃあ、行ってくるわね。……くれぐれも、無理はしないで」
「そっちこそ。困ったことがあったら、すぐに呼んでよね。初めて行く国なんでしょ?」
ドリィの――いや、ロゼリアの姿をしたドリィの声に、小さく頷き返す。
窓から差し込む月明かりを頼りに、ロゼリアは足音を忍ばせて、屋敷の裏口を抜けた。
荷物は両手にぶら提げたトランクふたつ。見送りの家族も使用人もいない。父の出立のときのような壮観さは微塵もない。
「行ってまいります」
ロゼリアはそっと目を閉じた。
夜気は冷たく澄んでいた。振り返ることなく、ロゼリアは屋敷をにする。
グランセイル大陸の先端、中立都市連合リュミエールを目指す、大冒険の幕が切って落とされた。
《つづく》
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