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◇
それから一年という月日が、瞬く間に過ぎ去り、ロゼリアは十三歳になっていた。
あの夜から、地道に音を拾い集め、一年かけて、少しずつ少しずつ、情報の補完と更新を続けてきた。
ロゼリアの握っている情報は今や、父オーギュスタンの手元にある「交流晩餐会の日程表」と見比べても、なんら遜色ない域にまで到達している。
マルグリットから教わる勉強も、この一年は晩餐会のために応用できるものがないかと、頭の片隅では常にアンテナを張り巡らせていた。
そして今、いよいよ、その成果を発揮するときが目前に迫っていた。
「今度、かの国との停戦百年を記念して開催される交流晩餐会に出席することになった。開催地は中立都市連合リュミエールだ」
夕食の席で父オーギュスタンが、そう告げたのは、晩餐会まであと三週間と迫ったある晩のことだった。
「リュミエール……グランセイル大陸の先端にある、あの半島ですね」
長兄マクシムが興味深そうに相槌を打つ。
ロゼリアは努めて平静な表情を保ちながら、内心で、静かに息を呑んだ。
(ええ。存じておりますとも、もちろん)
どれもこれも、大地集音で聞いた通りの内容だった。
現在オルヴェリアとヴァルクライスの間には、正式な国交がない。だからこそ、どちらの領土でもない、中立の地が選ばれたのだろう。
あらゆる国の人々と物資が集まる、自由交易の盛んな都市。
かつて地理の授業で学んだ遠い異国の名前が、こんな形で、自分の運命と交わろうとは。
「大陸の先端? 父さま、そんな遠方まで行かれるのですか? 何日ほど家を離れるのです?」
寂しそうに末っ子のレオネルが尋ねると、それにつられて父も眉根を寄せた。
「二週間ほどだ。せっかく足を延ばすのだから、ついでにいろいろ見ておこうと思ってな」
「まあ、そうなのですね!」
魔法では収集しきれなかった情報が飛び出し、咄嗟に聞き返す。「せっかくだから」という父の言葉を受けて、ロゼリアは表情を曇らせた。
(……わたくしはとんぼ返りの予定ですわ。ゆっくりしたい気持ちはあるのだけれど)
往き帰りにかかる時間から見れば、滞在時間などほんの僅か。だが、その短い時間の中にロゼリアはすべてを賭ける覚悟でいた。
「どうした? ロゼリアも寂しいと思ってくれるか?」
「当然ですわ。どうかお気をつけて」
夕食を終え、自室に戻ったロゼリアは、窓辺に立ち、遠い夜空を見上げた。
(ようやく。……ようやく、ここまで来たわ)
胸の奥から抑えきれない高揚感が、じわじわと込み上げてくる。
前世の理不尽な死から、幾度となく季節を重ね、知識を蓄え、積み上げてきた日々。そして今、ついに、因縁の相手へと繋がる、細い糸を手繰り寄せようとしている。
(「黒牙の狂獣」の尻尾を掴む好機よ。どんな恐ろしい猛獣か、わたくしが直に確かめてやりますわ)
自嘲めいた笑みが口元に浮かんだ。
祖国を滅ぼすとされる第一皇子。もっとも、ロゼリアには、父以外の参加者がだれであるか知らない。
ましてやかの国の参加者の情報など持ち合わせていない。
けれど、なぜか不思議なことに根拠のない確信があった。この晩餐会の場で必ずや手掛かりを掴めるはずだと。
指先でそっと窓ガラスに触れる。冷たいガラス越しに、遠く北の空に瞬く星々を見つめながら、ロゼリアはゆっくりと深呼吸した。
三週間後。――すべては、そこから始まる。
◇
翌日、授業を終えたロゼリアは、エントランスホールまでマルグリットを見送ると、その足で屋敷裏手の森へと向かった。
「ドリィ、大事な話があるの」
「なになに、改まって。……もしかして、例の晩餐会の話? なにか進展あった?」
さすがにこの一年、何度も悩みを打ち明け、相談を重ねてきた相手だ。ドリィはすぐに察して、木の根元に腰を下ろす。
「ええ。ついに作戦も佳境を迎えるわ。三週間後、わたくしはリュミエールへ向かいます」
「そっかぁ。遠い場所なんでしょ? でもいつでも話しかけてよ。いざというときは駆けつけるから」
「ありがとう」
自信たっぷりに胸を叩くドリィが頼もしくて、安堵の笑みがこぼれた。
「それでね、さっそくお願いしたいことがあるのだけど。……わたくしがいない間、わたくしの代わりに屋敷で過ごしてほしいの」
一拍の間があった。ドリィがぴたりと動きを止める。眉根を寄せ、珍しく困惑した顔だった。
「……うん? 待って、どういうこと? よくわかんなかった」
「ですから、わたくしがリュミエールに行っている間、ドリィにはわたくしの代わりに――」
「ちょ、っ? え? ぼくにロジーになりすまして過ごせって?」
「ええ、その通りですわ」
力強く頷くロゼリアに、ドリィは明らかに動揺した様子で、ぶんぶんと首を振る。
「無理無理無理! 絶対無理だから!」
「どうして?」
「どうしてって……ロジーの真似なんてできるわけないよ」
「やる前から決めつけるの? 情けないのね。前世からわたくしのことずっと見てきたのですもの。できるわよ」
「ずっと見てきたからこそだよ! ぼくにそんな言葉遣い無理だよ。あの、ぺこって頭下げるのだって、ぼくにはできない。絶対にボロが出る!」
必死な様子で言い募るドリィ。しかし、ロゼリアも引き下がるわけにはいかなかった。
ここで引いてしまっては、これまで必死に立ててきた計画が頓挫してしまう。
そしてなにより、破滅の未来を受け入れることになってしまう。そんな結末に甘んじるなど、絶対に許されない。
「あなたしかいないのよ、ドリィ。森に住む生き物の姿にも、人型にもなれる、上位精霊であるあなたにしかできないことなの」
静かに諭すような声。そこには、揺るぎない信頼がにじんでいた。
「屋敷の中で過ごしてくれるだけでいいの。なんなら体調が悪いということにして、部屋から出なくてもいいわ。マギー先生には、しばらくの間、授業はできそうにないと伝えておくわね。ただあの屋敷にいてほしいの」
「いや、それだって十分難しいじゃないか。なんせあの兄弟たちだよ? ちょっとしたロジーの仕草の違いくらい、すぐに気づくんじゃないの?」
もっともな指摘である。
それでも、ロゼリアはまっすぐにドリィを見据えた。
「そうかもしれませんわね。けれど、気づいていて? あなた、先ほどからすべて推測でものを言っているわよ」
「それは……」
ドリィの瞳が、たじろぐように小さく揺れる。
「九年前、あなたから聞いたあの絶望的な未来を、わたくしは一日たりとも忘れたことはないわ。家族を守るだけでは足りない。国そのものを守らなくては意味がない。そのための、たったひとつの糸口が、今、目の前にあるの。……お願い、ドリィ!」
森の梢を風が静かに揺らす。長い沈黙が、二人の間に降りた。
ドリィはしばらくの間、じっと考え込むように、俯いたあと、ゆっくりと息を吐いた。
「……わかったよ」
やがて諦めたような声が返ってきた。ロゼリアが顔を上げると、諦念の響きには不似合いな静かな覚悟がドリィの瞳に宿っているように見えた。
「ロジーには敵わないや。……その代わり、さっきロジーの言ったとおりにするからね。屋敷から一歩も出ない。だれかと長話もしない。返事は『ええ』か『いいえ』だけ。ボロが出そうになったら、頭が痛いふりして部屋に引きこもる。それでいい?」
「ええ、十分よ。ありがとう、ドリィ」
ロゼリアは安堵の笑みを浮かべ、両手でそっとドリィを包み込むように抱き寄せた。
木漏れ日のような温もりが指先から伝わってくる。
「ぼくもロジーの力になりたいからね。……でも、ちゃんと無事に帰ってきてよ」
ドリィは拭いきれない不安を声ににじませ、力強くロゼリアを抱き返した。その腕の中、噛み締めるように、ゆっくりと頷く。
「約束するわ」
木漏れ日の下、二人だけの誓いが、静かに交わされた。すべての準備は、これで整った。あとは決行の日を待つばかりだった。




