第一話 冤罪の紅薔薇[1]
少女の名はロゼリア・ド・アルノー。オルヴェリア王国の公爵令嬢である。
生まれた瞬間から王太子妃候補筆頭、未来の王妃として注目されていた。
王太子の婚約者として十六歳で王宮に入って二年。
その日も王妃教育を受けるため離宮のサロンへ向かっていた。最後の角を曲がったところで、ロゼリアは微かに眉をひそめた。
「ロゼリアさま、国王陛下の命により参上いたしました。ご同行を願います」
通路を塞ぐように立っていたのは近衛兵たちだった。金刺繍の施された軍服に、鏡面のごとく磨かれた胸当てには王家の紋章である獅子の細工が刻まれている。
只事ではない雰囲気に気圧されついていくと、そこは小謁見の間だった。
重厚な扉が近衛兵によって左右に開け放たれる。
(なぜこのような場所に?)
疑問に思いながらも、体が自然と美しいカーテシーを描くと、一歩ずつ、静かに赤絨毯の上を進み始めた。
縦長のアーチ窓から斜めに差し込む美しい自然光を掻き消すように、シャンデリアが真っ白な光を広間の中心に立つロゼリアへ容赦なく浴びせていた。
一段高くなった部屋の最奥に両陛下が並んで椅子に座る。その傍らには婚約者である王太子――リュシアン・ド・オルヴェリアが立っている。
二十名ほどの貴族たちから少し離れた場所に、光の精霊王の寵愛を受ける、ロゼリアの義妹――聖女メリゼルが、今にも泣き出しそうな表情で身を縮めていた。
冷笑、侮蔑、好奇に満ちた視線がロゼリアを刺す。
(まさか、疑いをかけられているのは――……わたくし?)
予感が確信へと変わるのとほぼ同時に国王が小さく顎をしゃくった。
「これより、ロゼリア・ド・アルノー公爵令嬢の審問を行う。罪状は以下のとおりである」
壇上の脇に控えていた法官が手にした羊皮紙を広げる。
「アルノー公爵令嬢は三日前、国家の心臓たるアニマ・プラント一基を意図的に破壊した」
冷徹な声で告げられたのは、記憶のどこを探しても見つからない悍ましい罪状だった。
「この暴挙により王都西街への供給が一時完全に停止。魔導鉄道の運行にも大幅な乱れが生じ、影響は全土に及んだ。国民を未曾有の混乱へと陥れ、国家の安寧と存続を脅かしたるは明白なり」
法官が読み終えると、周囲の貴族たちにどよめきが広がる。
「まぁ、なんと恐ろしい!」
「未来の国母ともあろうお方が?」
ロゼリアは声が震えそうになるのをこらえて、一歩歩み出た。
「――お待ちください、陛下」
まっすぐに顔を上げる。声だけでなく手も震えていた。
「わたくしは施設に近づいたことすらございません。王太子殿下の婚約者である身で自由に外出することもできません。これはなにかの間違いでございます」
「しかし、現場から貴女の魔力痕が検出されているのですよ、ロゼリア嬢」
遮ったのは大司教だった。皺の刻まれた顔には憐れむような、それでいて憂うような苦笑が浮かんでいる。
「魔力の痕跡は嘘をつきません。それとも、聖なる調査結果が虚偽とおっしゃるので?」
「そうではございません。ただ、事実として――」
「言い訳は見苦しいぞ、ロゼリア」
リュシアンの声がロゼリアの言葉を断ち切った。
金色の髪が陽光に輝く。前方を見据えていた青い瞳が初めてこちらに移る。だがそこにあったのは、婚約者へ向けられるまなざしではなかった。
「そのような疑いをかけられる者を、王家に迎えるわけにはいかない。貴様との婚約、今日ここで解消させてもらう」
「リュシアン、さま……っ」
(わたくしを、信じてはくださらないの?)
あまりにも淡々とした声に息が詰まりそうになる。庇う言葉ひとつ、探す素振りすらない。
「お姉さま!」
震える声を上げたのは、ミルクティーベージュの髪を揺らす少女――メリゼルだった。毛先にいくほど淡い桃色に染まる髪が、光を弾いてきらめく。
涙を浮かべた彼女はロゼリアの元へ駆け寄ろうとした。が、その腕を、両陛下の傍らにいたリュシアンが壇上から降り、そっと掴む。
「よせ」
短く発せられたその一言には、婚約者であったロゼリアへは一度も向けられたことのない、甘く、労わるような響きがにじんでいた。
メリゼルははっと我に返ったように動きを止め、涙を浮かべながら力なく俯く。
「お姉さまがそんなことをするはずありません。……どうか、どうか温情を!」
頬を伝う涙はきれいすぎてロゼリアの目にはあまりにも芝居がかって映った。居並ぶ貴族たちの間からはため息が漏れる。
「聖女さまのなんとお優しいこと」「あれほど姉君を思っておられるのに」――そんな囁きが波紋のように広がっていくと、それまで沈黙を守っていた国王が深く息を吐き、静かに片手を上げた。
「――ここでのこれ以上の弁明は無用。事の真偽を再度調査し、追って沙汰を言い渡す。それまでは地下に留め置け」
近衛兵が二人、ロゼリアの両脇に立った。冷たい金属の感触が両手首を固定する。
魔力封じの手枷だった。嵌められた瞬間、体の奥底に絶えず流れていたはずの魔力の脈動が、ふっと途絶える。
「陛下、どうかお待ちを。……わたくしは、本当に――」
言葉は最後まで届かなかった。
近衛兵に引きずられるようにしてロゼリアは小謁見の間をあとにする。
振り返ると、リュシアンはすでに背を向けていた。メリゼルだけが悲しげな瞳でじっとロゼリアを見つめていた――。




