第五話 因果の糸[1]
六歳になったロゼリアは、以前にも増して、屋敷中のだれからも愛される存在になっていた。
北方騎士団の兵士たちは、詰所に顔を出すたびに、日焼けした顔を綻ばせて手を振ってくれる。
使用人たちも廊下でロゼリアとすれ違うたび、足を止めて微笑ましそうに頭を下げた。
前世ではどこか一線を引いたまなざしだったように思う。けれど皆、我が子を見るような、屈託のない笑みを向けてくれる。
父と兄たちもますます過保護になった。なにかにつけて構ってくる。同じ顔をしているのに、向けられるまなざしも、愛情の質もまったく違う。
――運命を変えることができた。
なによりそれを強く感じさせているのは、前世ではもうこの世にいなかった二人の存在だった。
弟のレオネルは、年の離れた兄たちではなく、ロゼリアの後ろを必死についてくる。「ねえさま」と呼ぶ舌足らずな声、つないだ手の感触、膝の上によじ登ってくるぬくもり。こんなに愛おしいものだと、前世のロゼリアは知らなかった。
そして、母セラフィナも。近頃はお揃いの地味な装いで市井の人に紛れて、街を歩くのがお気に入りだった。
弟が生きていて、母が笑っている。それは決して当たり前などではない。ロゼリアにとって、何物にも代えがたい宝物だった。
書斎の窓辺には、柔らかな陽光が差し込んでいた。卓上に置かれた一通の書状を見つめていた父は、重いため息とともに机に両肘をついた。
「ついに、このときが来てしまったか……」
それは王太子妃の打診だった。
『令嬢とその実家を守るため、形式上、王太子妃候補としているが、アルノー家との紐帯を強めることは、我が国の安寧と繁栄そのもの。盟約がなくとも、ロゼリア嬢以外は考えられぬ』――という至高の栄誉たる言葉が綴られていた。
封蝋はいつものものではなく、内密の際に使用する国王の私的な紋章だった。つまりは非公式な書状。
であるにもかかわらず、羊皮紙の中でも白く、滑らかな高級品を使っているところから、未来の国母を選ぶことがいかに王家にとって重要かを意味していた。
「オギー」
手のひらで顔を覆うオーギュスタンの背を、セラフィナは優しくいたわった。
「……まあ、今すぐ返事を急かされるものではない」
オーギュスタンが安堵したように、大きく息をついた。
「陛下も無理を通すおつもりはないでしょうね。……ですが」
セラフィナが、ふと、真剣な面持ちで続けた。
「王家との盟約がある以上、いずれ、正式な話が来るのは避けられません。そのときのためにもロゼリアには、しっかりとした教養を身につけさせておかなくては」
「そうだな。……ロシュフォール夫人の件、進めておこう」
その一言にセラフィナの腕に、微かな力がこもった。
◇
それから間もなく、アルノー家に新しい風が吹き込んだ。
「本日より、お嬢さまの家庭教師を務めさせていただきます、マルグリット・ロシュフォールと申します」
深々と一礼したのは、金茶色の髪をきっちりと結い上げた、若い女性だった。
眼鏡の奥の青い瞳は理知的な光を湛え、背筋はまるで定規でも当てたかのように、真っ直ぐ伸びている。歩く姿、話す間合い、指先の角度に至るまで、その一挙一動が、完璧な淑女教育の結晶のようだった。
(相変わらずですわね、マギー先生)
前世でも六歳になったころ、マルグリットが家庭教師としてアルノー家にやってきた。
かつて王妃が未来の王女たちのため、若さと才能を見込んで直々に囲い込み、徹底的に鍛え上げた秘蔵っ子。それが彼女だ。
しかし、マルグリットは大恋愛の末、遠方へ嫁ぐこととなり、惜しまれつつも王宮を退いた。
退くまでの六年間、だれよりも、一番近くで王妃を見続けてきた人物。
つまり、王妃教育を見据えた家庭教師としては、最適任者と言って差し支えない。
(彼女が来たということは……前世と同じく、王太子妃候補の打診があったということで間違いなさそうね)




