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◇
木漏れ日の下、少年がフィナンシェに再び手を伸ばしかけた、そのときだった。
「――ねえ」
呼びかけたドリィの声色が、それまでとは明らかに違う、張り詰めたものに変わった。
「だれか来る」
ロゼリアははっと息を呑んだ。ドリィが二人の手を引いて、近くの茂みへと促す。だが、その手を少年がすっと引いた。
「大丈夫」
小さな声だった。だが、先ほどまでの弱々しく儚げな響きとは違う。
「きっと僕を探しに来たんだ」
少年はゆっくりと立ち上がった。
土の汚れがついた衣服を軽く払う。振り返ったその顔には、どこか吹っ切れたような、すっきりとした表情が浮かんでいた。
「そう。……では、ここでお別れね」
ロゼリアもまた静かにそう告げた。引き止める理由はない。迎えが来たのならなおのこと。
少年はしばらくの間、視線を落とした。それから、まっすぐにロゼリアを見つめる。
「……悪かった。情けない話をして」
「そこは、『情けない話をして悪かった』じゃなくて、『話を聞いてくれてありがとう』でいいと思うわよ」
からりとした口調で返すと、少年は一瞬、虚を突かれたように瞬きをした。それから、ほんの微かに口の端を緩める。
「そうかもしれないな」
短くそう呟くと少年は踵を返し、木々の間へと消えていった。
足音が遠ざかり、やがて、完全に聞こえなくなる。
「行っちゃったね」
「ええ。わたくしもそろそろ帰るわ。遅くなると屋敷が大騒ぎになるもの」
「そっか……」
ドリィが寂しそうに呟いた。
「作戦会議はお預けね」
ロゼリアは小さく肩をすくめた。それ以上、なにを言うでもなく、二人は森の入り口まで、ゆっくりと引き返した。
「じゃあ、ロジー。また今度ね」
「ええ、また」
森の入り口で、ドリィとも別れる。
木漏れ日の中に溶けるように消えていく背中を見送ってから、ロゼリアもひとり屋敷への道を歩き始めた。
夕暮れの気配が近づき、空が淡い橙色に染まり始めている。土を踏みしめる足音だけが響いていた。
(無事に迎えの方と合流できているといいのだけれど)
歩きながら、ふと、先ほどの少年の姿を思い返す。
(ちょうどマクシムお兄さまとカイゼルお兄さまの間くらいの背丈だった。年齢も近いのかしら……)
そう呟いて、ロゼリアは足を止めた。
(――……わたくし、つい前世のくせで、屋敷の人以外と話すときは大陸共通語を使っていたのに)
夕焼けに染まる道の真ん中で、ロゼリアは眉を寄せた。
少年との会話をあらためて頭の中で反芻する。あの少年はたどたどしさなど微塵も感じさせず、大陸共通語を驚くほど流暢に操っていた。
まるで生まれたときからそうであったかのように、自然に。
(あの年齢で、あれほどすらすらと大陸共通語が話せるなんて)
兄たちはまだ簡単な単語しか話せないはずだ。それなのに、あの少年は身の上を語る言葉すら、淀みなく紡いでみせた。
(――いったい何者だったのかしら)
夕暮れの風が、さらさらとロゼリアの赤い髪を無邪気にもてあそんでいく。
答えの出ない問いを胸に残したまま、彼女は再びゆっくりと、屋敷への道を歩き出した。
《つづく》
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