第四話 木漏れ日の邂逅[1]
晴れ渡った秋の空は驚くほど高かった。
雲一つない群青から降り注ぐ陽光は、朝晩の肌を刺すような冷え込みが噓のように、気怠いほどに暖かい。
そんなある日の昼下がり――。
「お嬢さまー!」
厨房から顔を出したのは、料理長のマルセル。恰幅のいい体を揺らしながら、抱えきれないほどのフィナンシェが山と積まれた籠を、得意げに差し出してくる。
「今日はいつもより多めに焼いたんです。持っていってください」
「わあ、ありがとう、マルセル」
にっこりと笑い、ロゼリアはその籠を受け取った。
一年ほど前、弟の死を回避するため、この焼き菓子を平らげたあの一件以来――「ロゼリアさまは大の甘党で、特にフィナンシェがお好き」という認識が、屋敷中にすっかり定着してしまった。
だれも、その裏にある本当の理由など知る由もない。
(皮肉なものだわ。苦い記憶の味だというのに)
四歳の子どもであったなら、不快感を露わにするところなのだが、やり直しの人生を送る彼女は溢れんばかりの笑顔を返した。
甘い蜂蜜の香りを吸い込みながら、ロゼリアは籠を抱えて、屋敷の中を歩き回った。
「マクシムにいさま、カイゼルにいさま、フィナンシェをどうぞ」
「わあ、ありがとうロゼ!」
「今日も持ってきてくれたんだね」
休憩時間を狙って学習室を訪れると、ひとつずつ手渡す。兄たちの家庭教師にも。
「ハロルドせんせいも。どうぞ」
「ありがとうございます、お嬢さま」
廊下で洗濯物を抱えていた侍女にも、庭の手入れをしていた庭師にも。詰所で休憩を取っていた兵士たちのもとにも足を運んだ。
「みなさん、きゅうけいのおともに。どうぞ」
「お嬢さま、いつもありがとうございます」
日に焼けた顔を綻ばせる兵士たちに、次々と菓子を配って回る。だれもが幼いロゼリアの気まぐれな善意を、微笑ましく受け取ってくれた。
敷地内を一周するころには、籠はずいぶんと軽くなっていた。が、
「まだあるわ……」
小さな体で籠を大切に抱え直すと、屋敷の裏手に広がる森へと足を向けた。
木々の間を抜ける風は心地よく、頭上の葉が、さらさらと優しい音を立てている。土を踏みしめる感触、遠くで聞こえる小鳥たちの囀り。
何度歩いても、飽きることのない道のりだった。
(そういえば……前世ではこんなことをしようとすら思わなかったわ)
ちょうどこのころ――レオネルを失い床に伏せていた、母セラフィナが静かに命を絶ち、悲しみと後悔だけが色濃く残る、暗く、つらい季節を過ごしていた。
けれど今、こうして陽だまりの中を歩きながら、甘い菓子の香りをまとっている自分がいる。家族は皆、健やかに笑い合っている。
こんなにも穏やかな時間、前世ではついぞ味わったことがなかった。
(変えられたのね、本当に)
胸の奥にじんわりとした温かさが広がる。
と、同時に、その温かさの奥底には、あの日、耳にした「黒牙の狂獣」の話が、小さな棘となって引っ掛かったままになっていた。
「ドリィ、いる?」
いつもの大樹に近づき、ロゼリアは声をかけた。
「今日も来てくれたんだ! 嬉しいよ、ロジー」
ふわりと現れたうさぎの姿をしたドリィが嬉しそうに、ロゼリアの足元で軽やかに跳ねる。
「フィナンシェを持ってきましたの。あなた、これ好きでしょう? 食べながら作戦会議よ」
籠を掲げてみせると、ドリィの瞳が、期待に満ちたように輝きを増した。
「やった! ロジーのくれるお菓子、大好き」
くすりと笑いながら、ロゼリアはいつもよりもっと深い場所へ歩き始めた。だれにも聞かれてはならない作戦会議をするからだ。
そういうときはいつも決まって、森の奥へと向かう。
――「お嬢さま。森の奥にはむやみに入るものではないですよ。どんな危険が潜んでいるかわかったものではありませんから!」
いつだったか、森の深い場所にしか自生しない植物の葉っぱをうっかりくっつけて帰ってしまって以来、乳母から口を酸っぱくして言われているが、ロゼリアにとっては周囲が杞憂に狂奔しているだけだった。
ドリィが傍にいてくれるのだ。
なんの心配もない。
さて今日は、自身の死後の出来事について、もっと詳しく聞いておかなければならない。




