第10-1話 武器を選ぶ(1)
翌朝、最初の授業が始まる前に、担任のエレノア・ミルセティアは教室へ入ると、いつものように教卓へ置いた書類の端を二度揃えた。
「授業を始める前に、寮班内の役割について確認します。」
学生たちの視線が集まる。
統学院では、同じ期、同じ寮に所属する学生を原則五人ずつの班に分ける。生活上の連絡だけでなく、共同課題、演習、当番、学院行事など、多くの場面でこの班が基本単位になる。
四年間。
昨日知り合ったばかりの人間と、それだけ長く組む可能性がある。
ミルセティアは名簿を見た。
「第七寮、第一班。班長レオニス生」
ガイウスが顔を上げ、背筋をさらに伸ばした。
「はい」
「班長は班員の上官ではありません。出欠確認、連絡事項の取りまとめ、共同課題で意見が割れた場合の進行役を担当します。何でも自分で決める役ではありません」
「はい」
ガイウスの返事はよく通った。
ミルセティアは一度だけ頷く。
「逆に、班員も班長へ全部押しつけないように。五人班は、一人の優秀な学生に四人が従うための制度ではありません」
そこで少し間を置いた。
「異なる能力を持つ五人が、一人では処理できない課題にどう対処するかを見るための制度です」
エリアスは昨日の最初の課題を思い出した。
同じ地図を見たのに、五人が最初に確認しようとしたものは全部違っていた。
隣ではヒルデガルドも、同じことを考えたらしい。
一瞬だけ視線が合った。
ミルセティアは次の名前を読み上げ、班長の顔の確認を続けた。
こうして、第七十三期、第七寮第一班の五人としての教育過程が正式に始まった。
*
その日の午後、最初に剣を持たされた時、エリアスは思った。
――重い。
もちろん、本物の軍用剣ではない。
学院の初年度実習で使うのは木製の訓練武器である。刃はないが、長さも重心も実物に近く作られている。
「持ち方が違う」
隣から声がした。
ガイウスだった。
彼は片手剣を握っている。
似合っていた、というより妙に自然だった。
腰を落とし、腕を伸ばす。木剣が空気を切り、低い音を立てた。
エリアスは自分の木剣を見る。
同じものには見えない。
「これ、疲れない?」
「慣れれば」
「その答え、信用できないんだよな」
ガイウスが笑った。
*
学院西側の身体教育棟。その一角に武術演習場がある。
床は土ではなく、厚い木板を硬く組んだものだった。壁には片手剣、長剣、短剣、槍、杖、盾、弓、細身の刺突剣、二本一組の短剣など、多種の訓練武器が並んでいる。
担当教官は四十代の退役軍人だった。
バルタザール・クロイツ。
太い首、短く刈った黒髪、左耳の上には古い傷がある。しかし声は意外に穏やかだった。
「最初に誤解を解いておく」
学生たちが静かになる。
「ここは剣士を育てる場所ではない」
クロイツは壁際の武器を指した。
「諸君は将来、行政官、外交官、財務官、監察官、軍人、警察官、魔法実務官、その他さまざまな職へ進む。初年度に全員が武術を学ぶ理由は、自分で武器を振るうためだけではない」
木剣を一本持ち上げる。
「武器を持った人間に、何ができて何ができないのかを知るためだ」
何人かが木剣を見る。
「もう一つ。今日の授業では身体強化を含む魔法の使用を禁止する。魔法込みの戦闘訓練は別にある。まず、自分自身の身体と武器だけで何ができるかを覚えろ」
ガイウスが小さく頷いた。
「軍務課程へ進まない者は、二年目以降、武術の多くが選択科目になる」
学生たちの間で少しざわめきが起こる。
一人が手を挙げた。
「つまり、一年で終えることもできますか?」
クロイツはその学生を見る。
「望むなら」
少しだけ笑う。
「ただし一年あれば、自分が武術に向いていないことくらいは理解できるでしょう」
小さな笑いが起きた。
*
最初の課題は武器選択だった。
「好きなものを一つ取れ。ただし今日選んだものを四年間使えという意味ではない。自分の体格、間合い、性格に何が合うか考えるための最初の選択だ」
学生たちが壁際へ向かう。
ガイウスは迷わず片手剣を取った。
「やっぱりそれ?」
エリアスが聞く。
「家でも使ってたからな」
構えた姿を見れば納得できた。
大柄だが、力任せではない。肩が開きすぎず、足運びも軽い。木剣の先がほとんど揺れない。
リオネルはしばらく壁を眺めたあと、短めの剣を二本取った。
「二つ?」
ヒルデガルドが聞く。
「一本だと片手が暇だから」
「そういう理由?」
「半分」
片方を逆手、もう一本を普通に持つ。
正面から力比べをする気がないことだけは、構えを見れば分かった。
ヒルデガルドは細身の刺突剣を選んだ。
エリアスが少し意外そうに見る。
「それ使うの?」
「何?」
「剣とか、あまりやらなそうだったから」
「貴族家の娘よ」
「関係ある?」
「ある家もあるの」
軽く構えてから、一度だけ突く。
動きはきれいだった。
「慣れてるんだ」
「意外そうね」
「少し」
「そこは言わなくていいの」
マリエッタは短い杖を選んだ。
「剣じゃないんだ」
「農具に近い方が扱いやすいです」
エリアスが頷く。
「なるほど」
そして、自分の番になった。
壁を端から端まで見る。
剣、短剣、杖、槍。
少し考えて、短めの槍を取った。
ガイウスが見る。
「槍?」
「剣より軽く感じる」
「それだけ?」
エリアスは槍を前へ出してみた。
「あと、遠くから届く」
リオネルが笑う。
「最初から近づかない気だ」
「近づかなくていいなら、その方がいいでしょう」
横を通りかかったクロイツが聞いていた。
「理由としては悪くない。フェルマー生、槍術の経験は?」
「ありません」
「剣は?」
「もっとありません」
「では、良い選択だったかどうかはこれから決まりますね」
*
基礎訓練が始まった。
足運び、構え、間合い、攻撃、退避。
ガイウスはすぐに目立った。
木剣を打ち込む音が違う。一撃は重いが、力任せではなく、相手へ当たる直前できちんと止まる。
クロイツが何度か頷いた。
「レオニス生。力は十分です。次は力を使わない練習を」
「はい」
「強く振るだけなら簡単です」
ガイウスは素直に速度を落とした。
それでも剣先はほとんどぶれなかった。
*
ヒルデガルドも予想以上だった。
相手の木剣を正面から受けない。避ける。流す。一歩だけ踏み込み、胸当ての中心へ細い剣先を当てる。
「一本」
クロイツが告げる。
相手の学生が目を丸くした。
「速い」
ヒルデガルドは剣を下げた。
「受けたら負けると思ったから」
細身の武器は力比べに向かない。だから正面からぶつからない。
相手の肩、足、視線。動きが始まる前のわずかな変化を見る。
魔法は使っていない。
それでも、人を見る癖そのものは消えないらしい。
エリアスが感心した。
「ここでも同じなんだ」
「何が?」
「相手を見てから動くところ」
「当たり前でしょう」
「なるほど」
妙に納得した顔をしているので、ヒルデガルドの方が少し調子を狂わされた。
*
リオネルは、さらに分かりやすかった。
正面から来ない。
近づく。ずらす。離れる。
右から来たと思えば左へ回る。二本の短剣で相手の長剣を止めようとせず、片方で軌道を外し、もう片方で肩へ触れる。
「一本」
「また逃げた!」
相手が文句を言う。
リオネルは笑った。
「当たらなきゃいいんだろ?」
「戦えよ」
「戦ってるよ」
クロイツが間へ入った。
「ヴァルカ生」
「はい」
「今の考え方は悪くありません」
リオネルが少し得意そうな顔をする。
「ただし、逃げ道を失った時に何もできない戦い方でもあります」
笑顔が少し消えた。
「覚えておきなさい」
「はい」
*
エリアスはというと、地味だった。
槍を構える。
相手が来る。
下がる。
突く。
届かない。
また下がる。
「逃げてばかりだな」
相手が言う。
「近づかれたくないから」
「槍なんだからそうだけどさ」
次に相手が踏み込んだ時、エリアスは石突きを使って身体を一歩横へずらした。
槍先を返す。
胸当てへ、こつ、と当たった。
「一本」
本人が一番驚いた。
「入った」
クロイツが言う。
「フェルマー生。槍を線だけで考えないように」
「線?」
「突くための棒ではありません。相手との距離を支配する武器です」
エリアスは少し考えた。
その言い方なら分かる。
次から動きが少し変わった。
相手を倒すことより、相手を自分が嫌な距離へ入れない。
その方が、ずっとしっくりきた。




