第47-2話 (オマケ) ガイウス、大地に立つ(2)
神はいた。
しかも。
軍務院にいた。
*
それを知ったのは、数週間後だった。
朝。
兵舎前の掲示板に、新しい派遣命令が貼られた。
統学院軍務志望学生実兵共同研修 派遣要員
何でも、先日の総合軍事演習について、中央軍側から意見が出たらしい。
精霊兵は優秀だ。
だが、本物の兵士ではない。
人間は命令された速度で永遠に歩かない。疲れる。腹が減る。足が痛くなる。装具が擦れる。聞き間違える。判断を間違える。
調子が悪くても隠す者がいる。逆に、まだ歩けるのに集中力が落ちる者もいる。
部下の顔を見て、その違いを判断することも指揮官の仕事である。
また、総合演習で運営や統制側を担当した軍務志望学生にも、実兵との共同訓練を経験させるべきだという。
もっともな話だ。
非常に教育的である。
そこで卒業前の補完課程として、数日間だけ中央軍から兵士を派遣することになった。
その派遣要員。
リサ・ベルナー。
私。
エッダ・クロイツ。
いる。
ニナ・ロッシ。
いる。
「三人ともじゃん」
エッダが言った。
「珍しいね」
私は派遣先を見る。
統学院。
そして、その下。
研修対象学生。
何人もの名前が並んでいた。
その中に。
ガイウス・レオニス。
あった。
私は右を見る。
エッダがいる。
左を見る。
ニナがいる。
三人。
黙る。
ニナが呟いた。
「ガイくん」
エッダの目が光った。
「来たわね」
私の胸の奥で、何かが燃え上がった。
いや。
違う。
これは任務だ。
国家の将来を担う士官候補生を教育するという、中央軍兵士として非常に重要な任務である。
断じて。
それ以外ではない。
ただ。
神はいる。
それだけは認めよう。
*
その夜。
兵舎の机に研修要項が広げられた。
三人で囲む。
「まず確認しておきたいことがあります」
私は言った。
エッダが頷く。
「何?」
「私たちは中央軍兵士です」
「知ってる」
「これは任務です」
「もちろん」
ニナも頷く。
「任務」
よし。
「したがって、個人的な理由で訓練内容を変更したり、学生の配置に口を出したりすることは」
「論外ね」
「駄目」
そこは全員一致だった。
我々は軍人である。
「では」
私は紙を置いた。
「正々堂々と行きましょう」
「何に?」
エッダが聞いた。
私は彼女を見る。
エッダも私を見る。
ニナが言った。
「ガイくん」
「それよ!」
言ってから。
しまったと思った。
エッダが笑う。
「リサも同じじゃない」
「違う! 私は教育上の」
「はいはい」
研修要項を見る。
初日、基本行軍・装具運用。
私は歩兵。
得意分野だ。
「初日は私ね」
エッダがすぐ反応する。
「何が?」
「行軍指導」
「学生全員を班分けするって書いてあるけど」
「……そうね」
二日目、魔法支援下の部隊行動。
エッダの口元が上がる。
「二日目は私」
「だから全員があなたのところに来るとは」
三日目、斥候・警戒・小部隊行動。
ニナ。
無言。
笑う。
「ちょっと待って」
私は言った。
「なんで三人とも、自分のところにガイウスが来る前提なの?」
沈黙。
重要な問題だった。
研修は班別ローテーション。
どの学生が、どの兵士の担当になるかは当日決定。
「教官に希望を」
「駄目」
ニナが即答した。
「職務に私情」
エッダも頷く。
「それは駄目ね」
「じゃあ配置表を」
「触ったら処罰されるわよ」
「……そうね」
三人で研修要項を見る。
何もできない。
軍規というものは。
実によくできている。
*
そこで我々は作戦を変更した。
担当になった場合に、どうするか。
私の作戦。
信頼できる先輩兵士。
士官になるなら、兵士を理解する必要がある。
私は歩兵としての経験を惜しみなく伝える。
装具の調整、歩調、休憩、水分、足の手入れ。
教範だけでは分からない現場の知識。
やがて彼は気づくだろう。
――リサ兵長。
――あなたのおかげで、兵士というものが分かりました。
――あなたのような人が、そばにいてくれたら。
「リサ」
私は現実に戻った。
「何?」
エッダが呆れた顔をしている。
「今、どこ行ってた?」
「どこにも」
「顔」
「何よ」
「気持ち悪かった」
失礼な。
エッダは自分の作戦を説明した。
「男なんてね、疲れたら食べ物よ」
「兵站?」
「そう」
行軍後。
疲れ果てたガイウス。
エッダが野営食の食べ方を教える。
――エッダさん、これうまいな!
――そう? まだあるわよ。
――ほんとか!
――いっぱい食べなさい。
私は言った。
「お母さんじゃん」
「誰がお母さんよ!」
ニナ。
「私は偶然」
「何が?」
「給水所で偶然会う」
「うん」
「装具点検で偶然隣になる」
「うん?」
「休憩で偶然隣に座る」
「待って」
「帰営も偶然一緒」
エッダが言った。
「それ待ち伏せよ」
「斥候は得意」
「職能を悪用するな!」
*
最終的に、三つの協定が成立した。
一、職務を曲げない。二、研修を妨害しない。三、抜け駆けしない。
「異議なし」
「なし」
「ない」
全会一致。
なお。
三番目については、締結時点で誰も相手を信用していなかった。
*
翌日。
新しい情報が入った。
学生の班構成である。
私は何気ない顔で見た。
本当に。
何気なく。
ガイウス・レオニス。
いた。
その周囲には、エリアス・フェルマー、リオネル・ヴァルカ、マリエッタ・セラン、ヒルデガルド・ヴァン・アルトハウゼン。
私の指が止まる。
「女」
エッダが言った。
「二人」
ニナが補足した。
我々三人は、軍事的脅威評価に入った。
マリエッタ・セラン。
商家出身。
成績優秀。
落ち着いている。
演習では白軍兵站を担当。
「家庭的?」
私が言う。
「商家でしょ」
エッダが答える。
「でも兵站得意」
「料理できるかは別」
「危険」
ニナが結論した。
次。
ヒルデガルド・ヴァン・アルトハウゼン。
貴族令嬢。
容姿端麗。
魔法能力上位。
演習では白軍作戦担当。
四年間。
同じ学院。
「四年」
私が言った。
「長いわね」
エッダが言った。
「寮も?」
「学院寮」
「毎日?」
「たぶん」
三人。
黙る。
これは。
強敵だった。
だが。
追加情報が入った。
「アルトハウゼンって子」
エッダが言う。
「別の男子といつも一緒らしいわよ」
「誰?」
「フェルマー」
私は名簿を見る。
青軍の作戦を組んでいた学生。
「確実?」
「派遣下士官が、あの二人はいつも何かやってるって」
ニナが頷く。
「なら除外」
「待って。確定じゃ」
「除外」
早い。
ヒルデガルド。
脅威評価から消える。
残る。
マリエッタ・セラン。
三人の視線が、その名前に集まった。
本人の知らないところで。
マリエッタは、中央軍女性兵三名から最重要警戒対象に指定された。
*
研修前夜。
私は装具を点検した。
靴。
よし。
制服。
よし。
髪。
……よし。
「リサ」
エッダが言った。
「何?」
「髪、いつもより長くやってない?」
「規定内よ」
「聞いてない」
「あなたこそ靴、磨きすぎじゃない?」
「装具整備は兵士の基本」
向こうではニナが小さな鏡を見ている。
二人で振り向く。
ニナ。
鏡をしまう。
「何?」
「何してた?」
「異常なし」
「何の!?」
三人とも。
完璧だった。
軍人として。
たぶん。
「明日は仕事だからね」
私は念を押した。
「当然」
「学生に変なところ見せない」
「もちろん」
「抜け駆けなし」
「当然」
ニナが寝台に入る。
「おやすみ」
「おやすみ」
「おやすみ」
消灯。
暗くなる。
私は目を閉じた。
明日。
ガイウスは、本物の兵士と行動する。
精霊兵ではない。
疲れ、汗をかき、腹を減らし、それでも歩く人間たち。
私たちは、それを教えるために行く。
これは教育だ。
国家の将来を担う士官候補生を育てる、重要な任務だ。
断じて。
他意はない。
……たぶん。
*
同じ頃。
統学院男子寮。
ガイウスは、翌日の研修要項を読んでいた。
「実兵共同研修か。面白そうだな」
向かいの寝台で、リオネルが本を読んでいる。
「行軍あるよ」
「いいじゃん」
「また走る気?」
「走る必要があれば」
その瞬間。
ガイウスの背中を。
ぞくり。
悪寒が走った。
「うおっ」
リオネルが本から顔を上げる。
「何?」
「いや……なんか今、寒気がした」
「風邪?」
「かなあ」
窓は閉まっている。
部屋も暖かい。
ガイウスは首を傾げた。
「まあいいか」
毛布を被った。




