第48-1話 (オマケ) お茶会と三人の兄(1)
「そういえばさ」
休日を前にした夕食時、リオネルが突然言った。
「ヒルデガルドの家って、やっぱり貴族の家なんだよな」
ヒルデガルドがスープの匙を止める。
「今さら何?」
「いや、知ってるよ。知ってるけど、見たことない」
「何を?」
「貴族の生活」
ガイウスが横から入った。
「家、大きいのか?」
「普通よ」
エリアスが聞く。
「普通って、どのくらい?」
「普通は普通よ」
ヒルデガルドは少し考えた。
「……エリアスの実家よりは大きいと思う」
「じゃあ大きい」
即答だった。
リオネルが笑う。
「ほら。そういうの、一度くらい見たいじゃん。卒業したら、もうこんな機会ないかもしれないし」
その言葉で、五人の間が少しだけ静かになった。
卒業。
最近は、誰もがその言葉を以前より近く感じるようになっている。
マリエッタがヒルデガルドを見る。
「でしたら、一度皆さんをお招きしてはいかがですか?」
「え?」
「半日ほどのお茶会でしたら、ご家族にもそれほどご負担にはならないでしょうし」
ヒルデガルドの視線が、一瞬だけエリアスへ向かった。
すぐに戻る。
「でも、急に五人も」
「四人です」
「私を除いて?」
「もちろんです」
「分かってるわよ」
マリエッタが微笑む。
「私も少し早めに伺います。そうすれば、ヒルデさまも心強いでしょう?」
「……別に、一人でも平気だけど」
「ええ」
マリエッタは、それ以上何も言わなかった。
ヒルデガルドは少し考える。
「……まあ、一度くらいなら」
リオネルが身を乗り出した。
「ほんと?」
「家に確認してからよ」
「食べ物ある?」
ガイウスが聞く。
「あなたは何をしに来るつもり?」
エリアスも口を開く。
「僕も行っていいの?」
ヒルデガルドは危うく水をこぼしかけた。
「皆って言ったでしょう!」
「確認しただけなんだけど」
「いちいち確認しなくていいの!」
マリエッタは静かにお茶を飲んだ。
非常に順調だった。
*
その夜。
ヒルデガルドは実家へ手紙を書いた。
学院生活も残り少ないこと。
親しい同期四人を招きたいこと。
休日の午後、庭で簡単な茶会を開きたいこと。
学院の外出規定に従い、夕刻までには全員帰すこと。
母ヘレーネ・ヴァン・アルトハウゼン宛ての、ごく普通のお願いだった。
正式な訪問になるため、簡易的な精霊通信は使わない。
便箋を折り、封筒へ入れ、アルトハウゼン家の娘として封蝋を施す。
翌朝。
手紙は学院の魔導鳩によって、王都のアルトハウゼン邸へ届けられた。父エーベルハルト・ヴァン・アルトハウゼン伯爵は、いつものように早朝から出庁していた。
問題は。
その封書に、母より先に気づいた者がいたことである。
*
「お嬢様からでございます」
家令が、届けられた封書を確認していた。
屋敷へ届く書簡は、宛先と差出人を確認し、急ぎのもの、私的なもの、家政上のものなどに分けてから、それぞれの宛先へ回される。
もちろん、封を開けるわけではない。
その日も家令はいつも通り、ヒルデガルドの筆跡と封蝋を確認した。
「奥様宛てですね」
そこへ。
「ヒルデガルドから?」
声がした。
家令が顔を上げる。
長兄フロリアン・ヴァン・アルトハウゼンだった。内務系官署に勤める、すらりと背の高い洗練された貴族らしい風貌の青年である。
さらに、その後ろから次兄ライムント。財務系官署に勤めているが、剣術と馬術の鍛錬も欠かさない。事務官とは思えないがっしりとした体格をしている。
三兄セバスティアンもいた。細身で法務行政の官吏である。細かい法律書を見るために、モノクル(片眼鏡)を胸のポケットに入れている。
三人とも、たまたま実家へ戻っていた。
家令は嫌な予感がした。
非常に嫌な予感がした。
「左様でございます」
「何かあったのか?」
「私信でございますので」
完璧な回答だった。
フロリアンが頷く。
「そうだな」
終わった。
家令はそう思った。
ライムントが封書を見る。
「学院の封ではないな」
「お嬢様ご自身の封蝋でございます」
「急ぎか?」
「その旨の表示はございません」
セバスティアンが言う。
「母上宛て?」
「左様でございます」
三人。
黙る。
家令は封書を持ったまま、動かない。
フロリアンが言った。
「まあ、母上宛てなら、母上に渡すべきだな」
「おっしゃる通りでございます」
家令は内心で安堵した。
セバスティアンが続けた。
「ところで、ヒルデガルドが母上へ直接手紙を書くのは珍しいな」
安堵が消えた。
「そうか?」
ライムントが考える。
「学院関係なら、父上か家令宛てが多い」
「服か?」
「それなら母上だな」
「何か必要になったのか?」
家令は思った。
早く仕事へ戻っていただきたい。
*
伯爵夫人ヘレーネが封を開いたのは、それからしばらく後だった。
「まあ」
手紙を読んだ母が微笑む。
ちょうどそこへ。
まだいた。
三人とも。
「何だって?」
フロリアンが聞く。
「あなたたちには関係ありません」
ヘレーネは即答した。
三人が止まる。
「ヒルデガルドのことだろう?」
「ええ」
「何か困っているのか?」
「いいえ」
「では?」
ヘレーネは息子たちを見る。
少し考え。
おそらく、何も考えずに言った。
「学院のお友達を、お茶に招きたいそうよ」
三人の表情が緩んだ。
「なんだ」
「友人か」
「いいじゃないか」
ヘレーネは手紙へ視線を戻す。
「四人ですって」
「四人」
「セラン家のお嬢さんも?」
「ええ。マリエッタさんね」
セバスティアンが聞く。
「ほかは?」
ヘレーネは読み上げた。
「フェルマー生、レオニス生、ヴァルカ生」
三人。
止まる。
フロリアンが確認した。
「……男子三名?」
「そう書いてあるわね」
ライムントが聞く。
「女子はセラン家の娘だけ?」
「ええ」
セバスティアンが腕を組む。
「このフェルマーというのは?」
母が顔を上げた。
「知りません」
「ヒルデガルドとは?」
「同じ班のお友達でしょう?」
「どの程度の?」
「知りません」
三人。
黙る。
兄たちは有能だった。
フロリアンは内務系官署、ライムントは財務系、セバスティアンは法務行政に籍を置いている。
少なくとも仕事中なら、証拠のない推測を事実として扱うような男たちではない。
だが。
妹のこととなると、行政官としての訓練はしばしば役に立たなかった。
「平民か?」
ライムントが聞く。
「男子三人とも、そうらしいな」
フロリアンが答える。
セバスティアンが腕を組んだ。
「ヒルデガルドは人を疑わないところがある」
兄二人が見る。
「あるか?」
「……ないな」
セバスティアンは少し考え直した。
「だが、だからこそ危険だ」
何が危険なのかは、誰も説明しなかった。
ヘレーネは三人を見た。
「あなたたち」
「はい」
「邪魔しないでくださいね」
「もちろん」
三人同時だった。
母は信用しなかった。
*
休日の朝。
ヒルデガルドは早くから実家へ戻っていた。
マリエッタも午前中には到着している。
「こちらはいかがでしょうか」
メイドが淡い色のドレスを広げた。
ヒルデガルドは首を傾げる。
「少し華やかすぎない?」
「お茶会でございましたら、この程度でしたら華美には過ぎません」
マリエッタも、隣に掛けられた一着を見る。
「こちらも素敵ですね」
「ヒルデさまにはお似合いになると思います」
メイドの言葉に、ヒルデガルドはもう一度そのドレスを見る。
「でも、袖が少し目立たない?」
「お庭でお召しになるのでしたら、むしろそのくらいの方がよろしいかと存じます」
「そう?」
マリエッタが微笑んだ。
「私もそう思います」
その一言で、候補に戻った。
マリエッタにも衣装が用意されていた。
ヘレーネが若い頃に着ていたドレスを、今の流行に合わせてわずかに仕立て直したものだった。
「本当にお借りしてよろしいのでしょうか」
「母がぜひって言ってるんだから、気にしなくていいのよ」
「でも、大切なお品でしょうし」
「しまっておくだけより、着てもらった方が母も喜ぶわ」
メイドも静かに頭を下げる。
「奥様も、そのように仰せでございました」
それならば、とマリエッタもようやく袖を通した。
落ち着いた色合い。
装飾は控えめ。
だが、生地と仕立ての良さは一目で分かる。
ヒルデガルドが少し離れて眺めた。
「やっぱり似合う」
「ありがとうございます」
「髪も上げた方がいいわね」
「ヒルデさまも、その方がお似合いになると思います」
メイドはすでに髪飾りを数点用意していた。
「これは?」
「本日の装いですと、少々華やかすぎるかと存じます」
「じゃあ、こっち」
「そちらでしたら」
学院では制服姿ばかりである。
友人と一緒に装いを選ぶ機会など、四年間でもほとんどなかった。
マリエッタは、そのやり取りを少し離れて眺めながら笑った。
ヒルデガルドは普段より明らかに楽しそうだった。
*
庭の大きなパーゴラでは、使用人たちが午後の茶会の準備を進めていた。
白いクロス。
茶器。
菓子皿。
花器。
配膳順や席次の確認といった定型的な準備は、屋敷付きの補助精霊が使用人の指示に従って静かに進めている。
ヒルデガルドは、その周囲を行ったり来たりしていた。
「その花、もう少しこっちの方がよくない?」
「こちらでございますか?」
「そう。せっかく庭なんだから」
「かしこまりました」
花器が少し動く。
しばらくすると、今度は菓子の配置が気になった。
「こちらのお菓子は真ん中の方が――」
「ヒルデさま」
マリエッタが小声で呼ぶ。
「何?」
「皆さんは、お仕事でなさっていますから」
「あ」
ヒルデガルドが止まった。
近くにいたメイドは何事もなかったように微笑む。
「お気遣いには及びません、お嬢様」
その完璧な応対が、かえってマリエッタを申し訳なさそうにさせた。
「すみません。私までお邪魔してしまって」
「とんでもございません。どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」
ヒルデガルドは少し反省したらしく、今度こそ椅子に座った。
だが。
三十秒ほどすると。
「ねえ、あの茶器――」
マリエッタが横を見る。
ヒルデガルドは口を閉じた。
「……何でもない」
メイドたちは、誰一人笑わなかった。
そこもまた、プロだった。
*
少し離れた回廊から。
三人の兄が、その様子を見ていた。
普段は学院の制服姿で帰省する妹が、今日はドレスを着ている。
髪も上げている。
装飾品まで身につけている。
しかも。
妙に楽しそうだ。
三人とも止まった。
「……なぜ、あんなにめかし込んでいる」
フロリアンが言う。
「茶会だからだろう」
ライムントが答える。
セバスティアンが言った。
「男子が来るからでは?」
沈黙。
三人の視線が、揃って妹へ向く。
「確認が必要だ」
「同意する」
「当然だ」
この時点で。
茶会の平穏は、かなり怪しくなっていた。




