第42-2話 取り返さない攻勢(2)
ヒルデガルドは地図上の駒を動かした。
「南を下げます」
総指揮官が聞く。
「結局?」
「はい。でも、全部じゃない」
南部集落から主力を後退させる。
その北。
高地。
道路。
「ここで止める」
マリエッタが見る。
「補給距離は三割ほど縮みます」
「東は?」
「維持できます」
「中央予備は?」
「戻せます」
ヒルデガルドが頷いた。
「なら、それで」
白軍総指揮官が聞く。
「南部集落を青軍に返すことになるぞ」
「取りに来れば」
「来なければ?」
ヒルデガルドは少し笑った。
「もっと面白いですね」
*
午後。
白軍南部で撤収が始まった。
青軍偵察が確認し、報告が本部へ入る。
「白軍、南部集落から後退」
軍務参謀が立ち上がった。
「今だ」
総指揮官が見る。
「何が」
「奪還です。空いた」
別の学生も同意する。
「領域点を戻せます」
エリアスは地図を見る。
南部集落。
白軍は後退。
集落そのものは、ほぼ無傷。
「行かなくていいと思います」
軍務参謀が振り返る。
「またか」
「白軍が下がった理由は、中継地点を取ったからです」
「だから成功したんだろう」
「はい」
「なら成果を取るべきだ」
「成果はもう取っています」
「何を?」
エリアスは白軍の新しい線を見る。
短くなった。
「向こうを下げました」
「土地は?」
「いりません」
軍務参謀の顔が、明らかに不満になる。
「演習判定では土地も点になる」
「分かっています」
「なら」
「南部集落へ行けば、僕たちもまた広くなります」
静かになった。
エリアスは昨日まで白軍がいた場所を見る。
「同じことをしたくないです」
*
青軍総指揮官が聞く。
「では放置するのか?」
「偵察だけ置きます」
「白軍が戻れば?」
「また考えます」
「領域点は捨てる?」
「今は」
総指揮官は少し考えた。
「採用する」
軍務参謀は何も言わなかった。
*
観戦武官天幕。
白軍は南から後退。
青軍は追わない。
立体図上、その間に奇妙な空白ができた。
一人の武官が首を傾げる。
「誰もいない」
「はい」
「得点地点だぞ」
「はい」
「青軍は取らないのか」
学院教官が答える。
「取らないようです」
武官が少し笑った。
「学生演習で、土地を取らない戦争を始めたか」
別の武官が言う。
「だが白軍を下げた」
「青軍は進んでいない」
「それでも白軍は狭くなった」
*
少し離れた席。
官吏らしい服装の観戦者が、記録用紙に何かを書いていた。
隣の軍人が見る。
「誰を見ている」
「参謀です」
「フェルマー生?」
「それだけではありません」
視線を白軍側へ移す。
「兵站担当の学生も」
「セラン生か」
「そうです」
官吏は白軍の輸送線を見る。
「撤退判断を可能にしたのは、あの数字でしょう」
*
夕方。
雨はほぼ止んだ。
ガイウスの第一大隊は、中継地点から帰還した。
泥だらけ。
だが、損耗は少ない。
「勝った」
ガイウスが言う。
リオネルが振り向く。
「また?」
「今回は一方的」
「すごいすごい」
「軽いな」
ガイウスは水を飲み、地図を見る。
南部集落。
空白。
「取らなかったのか」
「うん」
「せっかく下がったのに」
「うん」
ガイウスは少し考える。
「前なら、俺、怒ってたな」
リオネルが聞く。
「今は?」
「……ちょっと怒ってる」
「変わってないじゃん」
「でも」
ガイウスは地図を見る。
白軍は昨日より狭い。
「俺たち、あそこまで行ってないんだよな」
「うん」
「なのに、向こうが下がった」
「うん」
ガイウスが呟く。
「変な感じだ」
エリアスも地図を見る。
「僕も」
*
白軍本部。
ヒルデガルドも、同じ空白を見ていた。
「来なかった」
マリエッタが答える。
「ですね」
「普通、取るでしょう」
「領域点がありますから」
「取らなかった」
「はい」
ヒルデガルドは椅子の背にもたれた。
「嫌ね」
「何がです?」
「私なら」
少し考える。
「たぶん、取ってた」
マリエッタが言う。
「昨日までなら?」
ヒルデガルドが彼女を見る。
「何、その言い方」
「いえ」
少し笑った。
*
白軍総指揮官が地図の前へ来た。
「明日以降だが」
二人が見る。
「戦線は安定した。東橋は維持。南は新防御線。中央も再編できる」
ヒルデガルドが頷く。
「はい」
「青軍も攻めてこない」
「今日のところは」
「なら」
総指揮官は青軍側を見る。
「次はこちらから動くべきかもしれない」
ヒルデガルドの目が少し変わった。
マリエッタは輸送表を見る。
「どの程度なら可能か、計算します」
*
夜。
観戦武官天幕。
判定上は、まだ白軍優勢だった。
東橋は白軍が保持。南部前方からは後退したものの、領域点もなお白軍が上回る。中央中継地点は青軍が確保した。
一方で、両軍とも戦線を短縮したことで継戦能力は回復し始めていた。
一人の武官が言う。
「振り出しに戻ったように見える」
別の者が答える。
「違う」
「何が」
「最初は、互いに相手を知らなかった」
立体図。
白と青。
二つの軍が向かい合う。
「今は知っている」
*
その頃。
青軍本部では、エリアスが翌日の地図を作っていた。
リオネルが横から覗く。
「何してる」
「白軍が攻めるなら、どこかなって」
「攻めると思う?」
「たぶん」
「なんで?」
エリアスは今日、白軍が下がった線を見る。
短い。
補給距離も縮んだ。
予備も戻る。
部隊も休める。
「僕なら」
一度、言葉を止めた。
「攻められるようにするために、下がるから」
リオネルが少し嫌そうな顔をする。
「お前とヒルデガルドって」
「何?」
「似てないのに、時々すごく嫌なところで話が通じるよな」
エリアスは地図から顔を上げた。
「そう?」
「褒めてない」
*
同じ頃。
白軍本部でも、ヒルデガルドが地図を見ていた。
マリエッタが計算結果を置く。
「明日なら」
「うん」
「一個大隊相当を、半日だけ攻勢運用できます」
「半日」
「それ以上は予備輸送力を食います」
「十分」
ヒルデガルドは青軍側を見る。
エリアスが戦場を小さくした。
だから白軍も、小さくした。
そして。
小さくなった戦場には、もう一度、戦力を集中できる。
「じゃあ」
ヒルデガルドは新しい駒を取った。
「今度は、こっちから行きましょう」
白い駒が。
青軍中央へ置かれた。




