第9-1話 五人の卓(1)
第七寮の前まで来たところで、リオネルが足を止めた。
「そうだ。夕飯、一緒に行かない?」
ガイウスが振り返る。
「いいな」
「食堂って初日から一人で行くと、どこに座っていいか分からないだろ」
エリアスは寮の大きな玄関を見る。
「別に、空いてるところでいいんじゃない?」
「そういう問題じゃないんだよ」
リオネルが言った。
「知らない人ばっかりの大食堂で一人で食うより、五人で食った方が楽しいだろ?」
「それはそうかも」
ヒルデガルドも頷いた。
「では、夕食開始の少し前に一階の談話室で」
「六時?」
「十五分前でいいでしょう」
マリエッタの答えに、リオネルがエリアスを見る。
「遅れるなよ」
「食事なんだから遅れないよ」
ガイウスが笑った。
「朝も同じくらい信用できればいいんだけどな」
「まだ一回しかないでしょう」
「一回目が入学式だから言ってるんだ」
男子居住区へ続く東側廊下の認証門の前で、三人はヒルデガルド、マリエッタと別れた。
彼女達は一階を横切り、西側へ向かう。
女子居住区へ続く階段は、二階を通らず三階まで上がる。男子は二階、女子は三階である。
学院案内には、『女子居住階は高層部に位置し、採光・眺望に優れる』と書かれていた。
寮の女子学生からは、『一階分余計に階段を上らせるための言い訳』と呼ばれていることを、彼女はまだ知らなかった。
*
夕方。
ヒルデガルドは約束より十分ほど早く一階へ降りた。
習慣だった。待たせるくらいなら、自分が待つ。
三階からの専用階段を下り、認証門に識別章を触れる。
淡い光が走り、扉が開いた。
一階は午後より静かになっていた。入学式の見送りに来ていた家族連れの姿は、もうほとんどない。
長い一日を終えた新入生たちが談話室の椅子に座り、学院案内を読んだり、今日知り合ったばかりの相手と話したりしている。
ヒルデガルドは談話室へ向かおうとして、足を止めた。
掲示板の横。木製の壁柱の低いところに、細い文字が刻まれている。
落書きだった。
学院の建物に傷をつけるなど、本来なら処分対象である。だが、ずいぶん古い。表面が擦れて、文字の角が丸くなっている。
彼女は少し屈んだ。
――六十九期、第七寮。
そこまでは読める。
その下には、こう続いていた。
『試験は終わる。失敗も終わる。だが、友人だけは選び間違えるな。四年では済まない。』
ヒルデガルドは眉を上げた。
立派な格言なのか、単なる愚痴なのか。判断に困る。
さらに下には、別の筆跡で小さく続いていた。
『書いた本人は卒業後二年で同期と結婚した。説得力については各自判断されたし。』
思わず笑った。
「それ、私もさっき見ました」
横から声がした。
ヒルデガルドが振り向くと、マリエッタが立っていた。
「読めました?」
マリエッタが聞く。
「ええ」
「最後まで?」
「……結婚のところまで」
マリエッタが少し笑う。
「私もです」
「六十九期なら、四年前の先輩ね」
「この寮を前に使っていた学年ですね」
ヒルデガルドは彼女を見る。
「詳しいのね」
「寮の案内に書いてありました」
「そこまで読んだの?」
「全部」
即答だった。
なぜかエリアスの顔が頭に浮かんだ。
対極だ。
「まだ、お友達はおりてこなさそうですね」
友人。
ヒルデガルドは、少しだけ違和感を覚えた。
エリアスとは友人なのだろうか。ガイウスとは今日会ったばかり。リオネルに至っては、名前を知ってまだ一刻も経っていない。
しかし、他に適当な言葉もなかった。
二人は談話室へ移った。
*
教室では、あまり個人的な話をしなかったため、改めて自己紹介をすることになった。
「マリエッタ・セランです。アステリア地方のレルナ郡から来ました」
「ヒルデガルド・フォン・アルトハウゼン。アルヴァリス出身です」
「アルトハウゼン家」
マリエッタは一度だけ頷いた。それ以上、家名について何も言わなかった。
ヒルデガルドは少し好感を持った。
「レルナ郡というと、農業が盛んなところね」
「はい。うちも農地と果樹園、それに少し家畜を」
「水路の多いところでしょう?」
「多いです。子供でも、どの水路がどの村へ行くかくらいは覚えます」
マリエッタは少し笑った。
「水を間違えると、本当に喧嘩になりますから」
「家を継がなくていいの?」
「兄が二人いますから」
さらりと答えた。
「それに父は、私が農業そのものより、水の配分や収穫量の帳簿ばかり見ている方が気になるらしいです」
「行政志望?」
「まだ決めていません。でも農政か水務には興味があります」
アステリア地方は、アルヴァリスから大河を少し下った東から南東に広がる、王国でも有数の灌漑農業地帯である。
土地は肥えている。だが、水が豊富だからこそ、誰が、いつ、どれだけ使うのかが問題になる。
ヒルデガルドにも、それくらいは知識として分かった。
「王都とは、ずいぶん違いそうね」
「たぶん」
マリエッタは答えた。
「でも、アルヴァリスの市場で売られているものを見ると、意外と近いですよ」
その時、談話室の入口から声がした。




