第39-1話 見えている戦争、見えない戦争(1)
最初の報告が届いたのは、演習開始から二十三分後だった。
「北西森林、敵影なし」
青軍本部。
伝令役の学生から報告票を受け取ったエリアスは、余白に時刻を書き込んだ。
七時二十三分。
すぐに次が来る。
「中央街道、敵斥候らしき精霊兵を確認」
「数は?」
「推定一個小隊以下です」
「確認時刻」
「七時十九分」
エリアスは紙地図の中央街道に、小さな印をつけた。
四分前。
相手が斥候なら、もうそこにはいないかもしれない。
隣では、情報担当が新しい報告票を受け取っている。
「東は?」
「まだです」
ガイウスが腕を組んだまま地図を見る。
「静かだな」
「始まったばかりだから」
「もっと、こう……敵が来るとか」
「そのうち来るよ」
「分かってる」
青軍の初期配置は、前日に決めた通りだった。
中央に機動可能な予備を残し、東は最低限の守備。北と南にも偵察を出している。
白軍が準備段階で東側へ見せていた輸送量は、本物なのか。偽装なのか。
まだ、答えは出ていなかった。
*
東側を担当するリオネルの軽装偵察中隊は、街道を避けて林の中を進んでいた。
「止まれ」
手を上げる。
頭上の管理精霊が淡く光った。
後方に続いていた半透明の精霊兵が一斉に停止する。それまで進行方向へ細長く伸びていた魔法光も、その場に広がる楕円へ変わった。
中央軍から派遣された下士官が、小声で尋ねる。
「何か?」
「音」
リオネルは耳を澄ませた。
車輪。
一台ではない。
街道の方から聞こえる。
「荷車かな」
「そのようです」
「敵?」
「判断は学生指揮官に」
リオネルが横目で見る。
「そういう役だったな、あんた」
下士官は答えなかった。
*
リオネルは実偵察要員二人だけを連れ、林縁まで進んだ。
木々の間から街道を見る。
白軍の荷車。
十二。
いや。
後ろにもいる。
十五台以上。
護衛の精霊兵もついているが、兵力そのものは多くない。
リオネルは荷車ではなく、その下を見た。
車輪が土へ深く沈んでいる。
「積んでるな」
隣の学生が囁く。
「本物ですか?」
「少なくとも空じゃない」
紙片に記す。
東街道。
白軍輸送列、十五台以上。
重積載。
護衛、一個小隊程度。
七時三十八分。
通信魔道具を介して送った。
*
報告を受けたエリアスは、前日までの記録と並べた。
東側の借り上げ倉庫。
増加した荷車。
今朝確認された、重積載の輸送列。
さらに直後、別の偵察から報告が入る。
東丘陵南端。
白軍軽歩兵、一個小隊以上。
ガイウスが地図を指した。
「本当に東じゃないか?」
「東に部隊はいるね」
「だから昨日からそう言ってる」
「主力かどうかは別」
青軍総指揮官が会話を聞きつけた。
「フェルマー生。どう見る」
「東に一定以上の兵力がいるのは間違いないと思います。ただ、主力かどうかはまだ判断できません」
軍務系の参謀が口を挟む。
「輸送量が多い。軽歩兵も確認された。演習前から一貫している」
「はい」
「なら東だろう」
「そうかもしれません」
「それでは遅いぞ」
エリアスは反論しなかった。
その通りでもある。
情報が完全になるまで待っていたら、戦場では何も決められない。
総指揮官が地図を見た。
「第一予備中隊を東へ寄せる」
エリアスが顔を上げる。
「全部ですか?」
「半個中隊だ」
少し考える。
「それなら異論ありません」
命令が出た。
通信担当が前線へ伝え、中央に置かれていた予備の一部が東へ動き始める。
*
観戦武官天幕では、その動きがまったく違う姿で見えていた。
中央の立体戦場図。
青軍の一つの部隊表示が、中央から東へ動いていく。
その先には、白軍軽歩兵。
さらに丘陵の陰。
青軍からはまだ確認されていない二個小隊相当の白軍部隊が停止している。
一人の武官が腕を組んだ。
「青軍、寄せたか」
「半個中隊だけです」
学院教官が答える。
「慎重だな」
武官は白軍側を見る。
「東は陽動か?」
「半分は」
「半分?」
「取れるなら、本当に取るつもりです」
武官が小さく笑った。
「嫌な作戦だ」
*
白軍本部。
ヒルデガルドは、東部からの報告を受けていた。
「青軍予備、一部が東へ移動」
「一部だけ?」
「はい」
少し笑う。
「やっぱり」
マリエッタも輸送表から目を上げた。
「全部は来ませんでしたね」
「来ないでしょうね」
「エリアスですか」
「たぶん」
白軍総指揮官が二人を見る。
「青軍が警戒している。東への前進は予定通り行うのか?」
ヒルデガルドは地図上の東橋を指した。
「橋までは進めたいです」
「罠の可能性は?」
「あります」
「それでも?」
「今なら取れます」
「取った後は」
「守ります」
総指揮官が少し意外そうな顔をした。
「追撃しないのか」
「今のところは」
マリエッタが補給表を引き寄せる。
「橋頭堡の維持だけなら、現在の輸送計画で足ります。橋より先へ広げるなら増便が必要です」
「増やせるか?」
「できます。ただし、増やせば青軍から見えます」
ヒルデガルドが頷いた。
「なら、まだ増やさない」
命令が前線へ流れた。
*
東橋は、広い橋ではなかった。
石造りの橋を挟み、西側を青軍一個小隊相当が守っている。
その後方には、中央から移動してきた予備半個中隊。
まだ展開の途中。
白軍の最初の一隊が、丘陵裾から姿を現した。
軽歩兵。
その後ろに盾兵。
さらに魔法支援。
「白軍前進!」
青軍指揮官の頭上で、管理精霊が光る。
精霊兵が散開する。
弓兵が前へ出る。
最初の魔法弾が空気を裂いた。
青白い光が橋前で炸裂し、数体の精霊兵の姿が大きく揺らぐ。
消えはしない。
だが、管理精霊が示す部隊状態がわずかに悪化した。
青軍が弓と魔法矢で応射する。
白軍は散開。
密度が落ち、それに合わせて頭上の魔法光も薄く横へ広がった。
*
遠目には、人間の部隊同士が戦っているように見える。
だが、刃を受けた精霊兵は血を流さない。
損耗限界に達すれば形が崩れ、淡い光となって消える。
それでも、隊形を乱せば進軍は遅れる。
疲労すれば動きは鈍る。
指揮が崩れれば、部隊としての戦闘力を失う。
精霊兵だからといって、無理な命令が無理でなくなるわけではない。
学生たちは、本物の兵を扱うように命令しなければならなかった。
*
青軍本部へ、東橋から報告が続けて届く。
「白軍、橋東端まで前進」
「敵魔法支援を確認」
「守備隊、損耗一割強」
ガイウスが地図へ近づいた。
「俺の大隊から一個中隊出せる」
エリアスは首を振った。
「まだ」
「橋を取られるぞ」
「分かってる」
「なら出した方がいい」
エリアスは地図から目を離さない。
「白軍の他の部隊が静かすぎる」
「だから?」
「東に全部いるなら、中央と南から何か見えてもいい」
「隠れてるのか」
「たぶん」
ガイウスが橋を指す。
「でも、あれは本物だろ」
「うん」
そこが問題だった。
偽装だと思って捨てれば、白軍は本当に橋を取る。
本物だと思って主力を動かせば、別の場所を空ける。
どちらかを選べば、どちらかを捨てることになる。
エリアスは黙った。
*
東橋では、青軍守備隊がじりじりと押されていた。
白軍の盾兵が橋東端へ入り、軽歩兵が側面から魔法攻撃を加える。
青軍も後着した予備を投入し、一度は押し返した。
だが、白軍は退かない。
やがて、両軍の学生指揮官が規定距離内へ入った。
「指揮官戦、成立!」
青軍学生が剣を抜く。
白軍指揮官は長槍を返した。
一撃。
剣が受ける。
魔法光が弾ける。
白軍の槍がもう一度伸び、青軍指揮官が二歩下がった。
その背後で、精霊兵の列が揺らぐ。
白軍の盾兵が橋を越えた。
一隊。
さらに一隊。
橋上の管理精霊が、占有状態の変化を示す。
東橋。
失陥。
*
報告が青軍本部へ届いた。
「白軍、橋西端を確保。守備隊は後退中」
ガイウスがエリアスを見る。
「取られた」
「うん」
「まだ出さない?」
「出さない」
軍務系参謀が強い声で尋ねた。
「理由は?」
エリアスは橋と中央を見比べる。
「白軍に橋を取らせる方が、今は安いです」
室内の空気が変わった。
「安い?」
「橋を取り返すために今ここから主力を動かして、別の場所を空ける方が高い」
総指揮官が聞く。
「白軍が橋からさらに出てきたら?」
「補給が増えます」
「増えなければ?」
「橋頭堡止まりです」
「増えたら?」
エリアスは東へ伸びる街道を指した。
「今より多くのものが見えます」
総指揮官は、しばらく地図を見た。
「橋守備隊へ。第二防御線までの後退を許可」
ガイウスは不満そうだった。
だが、何も言わなかった。




