第38-1話 戦争を始める人々(1)
演習開始まで、三日。
まだ誰も戦っていない。
だが学院の中では、すでに大量の物が動き始めていた。
*
「精霊兵二千六百人分の糧食?」
物資管理棟。
担当学生が申請書を二度見した。
「はい」
青軍から来た第三学年の伝令役が答える。
「七日分です」
「誰が食べるの?」
「精霊兵です」
「食べないよ」
「え?」
「精霊兵、食べないよ」
伝令役は申請書を見る。
「でも、兵員数二千六百と――」
「それは演習上の兵力!」
隣の机から笑い声が上がった。
担当学生は額を押さえる。
「実際に食べるのは学生と軍人、それから演習担当者。青軍分はこっちの表!」
「すみません!」
「訂正印!」
「はい!」
*
その少し奥では、別の学生たちがもっと真剣な顔をしていた。
実際の食料、燃料魔石、天幕、乾燥薪、医療資材、水、予備衣類、厩舎用品、通信魔道具の交換部品。
帳簿の上では、すべて数字になる。
だが倉庫から出せば、誰かが運ぶ。どこかに置く。雨が降れば濡れる。壊れれば交換しなければならない。
そして青軍と白軍の双方へ、同じ条件で供給しなければならない。
*
「白軍から、追加荷車十二台の申請」
学生が言った。
物資担当の上級生が見る。
「理由は?」
「前進集積所の分散」
「規定外」
「却下ですか?」
「演習開始前なら、使用目的と返却予定を添えて再申請」
「青軍からは?」
「八台です」
「理由」
「予備輸送能力の確保」
上級生が少しだけ笑った。
「似たようなことをするね」
*
青軍作戦棟。
エリアスは、自分の机が思っていたより小さいことに不満を感じていた。
紙地図、部隊編成表、偵察予定、通信予定、兵站計画。
それだけで、ほとんど埋まる。
「狭い」
隣の参謀学生が言った。
「お前が広げすぎなんだ」
「必要なんだけど」
「兵站表まで置くなよ。お前の担当じゃないだろ」
エリアスが少し止まる。
「見るのはいいでしょう?」
「見るのはな」
そこへ青軍兵站担当の学生が来た。
「フェルマー生」
「はい」
「さっきの予備糧食の件」
「どうでした?」
「却下」
「どうして?」
「どうしてって」
兵站担当は少し呆れた。
「前進集積所に三日分置いた上で、さらに一日分を別に置きたいって言っただろ」
「うん」
「容量がない」
「別倉庫は?」
「ある」
「じゃあ――」
「遠い」
「何刻?」
「荷車で三刻半」
エリアスは考える。
「それなら――」
「待て」
兵站担当が遮った。
「お前が決めるんじゃない」
エリアスは口を閉じた。
*
兵站担当の学生が地図を指す。
「こっちも考えてる。前進集積所が使えなくなった場合、第二集積所から直接出す」
「輸送距離が伸びる」
「分かってる」
「雨が降ったら?」
「分かってるって」
エリアスは少し黙った。
兵站担当がじっと見る。
「何?」
「いや」
「言えよ」
「予備を置いた方がいいと思う」
「理由」
「雨じゃなくても止まるから」
「何が」
「何かが」
数秒。
兵站担当の眉が寄った。
「それ、理由になる?」
「僕には」
「俺を説得しろ」
*
エリアスは一度、兵站表を見る。
それから地図。
「第二集積所から前線まで、通常三刻半」
「そう」
「前進集積所なら一刻半」
「そう」
「前進集積所が止まった場合、二刻遅れる」
「だから?」
「二刻の遅れを、前線側の携行量だけで吸収できるのは?」
「一刻前後」
「一刻足りない」
兵站担当が少し黙った。
エリアスは続ける。
「一日分じゃなくていい」
「どのくらい」
「半日分」
「品目は?」
「全部じゃない。矢、治療資材、交換魔石。それと軽量携行食だけ」
兵站担当が地図を見る。
「場所は?」
「ここなら」
「湿地に近い」
「高床倉庫」
「容量が小さい」
「半日分なら入る」
しばらく考えてから、兵站担当が言った。
「……再計算する」
「お願いします」
「最初からそういう話をしろ」
「したつもりだった」
「『何か止まる』しか言ってない」
「そうだった?」
「そうだよ」
*
少し離れたところで、ガイウスが笑っていた。
「何?」
エリアスが聞く。
「いや」
「何」
「お前でも、説得しないと動かせないんだな」
「当然じゃない?」
「昔なら勝手にやってそう」
「できないよ」
「そこじゃなくて」
エリアスが首を傾げる。
ガイウスはそれ以上言わなかった。
*
白軍兵站室。
こちらは、もっと静かだった。
机の上には輸送予定表、倉庫一覧、荷車と荷船の運行表、前進備蓄と予備備蓄の配置表が並んでいる。
マリエッタは三枚の紙を横に並べた。
「第一輸送列は通常通り」
「はい」
担当学生が記録する。
「第二輸送列は、積載率を六割に下げます」
「空きを作るんですか?」
「はい」
「何のために?」
「途中で積み替えるためです」
次の紙。
「第三列」
担当学生が少し困った顔をした。
「これ、本当に動かすんですか?」
「動かします」
「空荷で?」
「半分だけ」
「無駄では?」
「無駄です」
即答だった。
周囲の手が、わずかに止まる。
*
ヒルデガルドが後ろから覗いた。
「珍しいわね」
「何が?」
「マリエッタが無駄を作るなんて」
マリエッタは第三列の予定を見る。
「無駄ではあります」
「でも?」
「役割があります」
「何の?」
「見せるための」
*
ヒルデガルドが少し笑った。
「エリアスに?」
「はい」
「輸送量から兵力配置を読むと思う?」
「読むと思います」
「私もそう思う」
マリエッタは地図を見る。
「ただ、全部を偽装にはしません」
ヒルデガルドの目が少し変わった。
*
マリエッタは説明する。
第一列は本物。主力補給。
第二列も本物。ただし、途中で行き先を変更できる。
第三列は一部だけ本物で、残りは空荷。
「つまり」
ヒルデガルドが言う。
「見破られても困らない?」
「はい」
「空荷だと分かれば?」
「本物も混ざっています」
「全部本物だと思われれば?」
「兵力配置を誤認する可能性があります」
「無視されたら?」
「必要な物資は、実際に届きます」
ヒルデガルドはしばらく予定表を見た。
「嫌な仕組みね」
「ありがとうございます」
「褒めてる」
「分かっています」
*
その日の午後。
青軍情報班には、白軍側の準備行動に関する資料が少しずつ集まり始めていた。
もちろん、全部は見えない。
演習開始前とはいえ、相手軍の作戦書類を読めるわけではない。
ただし、演習地域へ入る荷車、借り上げられた倉庫、荷船の登録、訓練用魔石の受取量。
そうした隠しきれない動きはある。
*
リオネルが一枚の報告を持ってきた。
「白軍、東街道の荷車が増えた」
「どのくらい?」
「昨日より十四台」
「積んでる?」
「分からない」
「車輪は沈んでた?」
リオネルが止まる。
「……何?」
「荷物が重ければ」
「見てない」
「じゃあ次は見て」
「俺、偵察中隊長なんだけど」
「うん」
「荷車の車輪を見る仕事?」
「今は」
「地味」
*
ガイウスが別の報告書を見る。
「東に兵力置くんじゃないか?」
「かもしれない」
「じゃあ、こっちも増やす?」
「まだ」
「なんで」
「荷車だけだから」
リオネルが言う。
「でもマリエッタだろ?」
「うん」
「じゃあ何かある」
エリアスは少し困った顔をした。
「それも困る」




