第33-2話 勝つための条件(2)
午後四時。
第二拠点。赤い光が消え、青へ変わる。エリアス側、奪回。
同時に、第二拠点の後方へ小さな臨時集積所が現れた。南側の集積所から運んだ荷を、戦闘前に少しずつ前送していたものだった。大きくはない。半日分にも満たない。
それでも、最後の二時間を支えるには足りる。クラウゼンがすぐ反撃する。騎兵は疲労で移動力不足。歩兵は間に合うが、矢は少なく、魔法支援の交換用魔石も残りわずか。
「押せ!」
クラウゼンの攻撃。一度。エリアス、防御。損耗。
二度。また守る。青い駒が一つ倒れる。
戦闘可能兵力、六割九分。
六割七分。六割六分。臨時集積所も小さくなる。ヒルデガルドが時計を見る。
*
十七時四十分。
「もう一度!」
クラウゼンが命じる。精霊判定。攻撃。エリアス、守備。
第二拠点を示す光が点滅する。青。赤。青。
維持。十七時五十二分。クラウゼンが最後の予備を動かす。エリアスは第一拠点から兵を出さない。
「援軍を出せば?」
ガイウスが呟く。
「駄目」
ヒルデガルドが答える。
「なんで?」
「第一を空けたら、条件を落とす」
*
十七時五十九分。
第二拠点、青。第一拠点、青。エリアス側、戦闘可能兵力六割四分。
第二拠点の臨時集積所は、ほとんど光を失っている。残量、わずか。それでも、まだゼロではない。精霊時計の針が進む。
十八時。鐘。
*
「終了」
教官の声。地図上のすべてが止まる。部隊。荷車。
河船。補給線。一斉に静止した。誰も、すぐには話さない。
判定。第一拠点、エリアス。第二拠点、エリアス。
戦闘可能兵力、六割四分。
条件達成。クラウゼンは、敵にエリアスより多くの損害を与えている。占領地域も広い。局地戦の勝利数も上。
でも。
「勝者」
教官が言った。
「フェルマー生」
*
クラウゼンは、しばらく地図を見ていた。
「納得いかない?」
エリアスが聞く。
「……少しな」
「僕も途中なら、クラウゼンが勝ってると思う」
「途中なら?」
「うん」
クラウゼンが顔を上げる。
「丘を取った」
「取られた」
「橋も」
「うん」
「西岸集落も」
「うん」
「損害も、そっちの方が多い」
「そうだね」
「なのに」
エリアスは黒板を見る。クラウゼンも見る。
第五日 十八時。
東岸第一拠点・第二拠点を保持。
戦闘可能兵力 六割以上。
エリアスが言った。
「敵をたくさん倒した方が勝ちとは書いてなかったから」
*
少し離れたところで、将官志望の学生がぽつりと言った。
「面白くない戦い方だな」
別の学生も続く。
「戦っている感じがしない」
エリアスは特に言い返さなかった。だが、教官が聞いていた。
「なら」
学生たちが止まる。
「君たちは何のために戦う?」
誰も答えない。教官が地図へ歩く。クラウゼンが取った丘、橋、集落を一つずつ指す。
「これらを取ることか」
次に、光を失って倒れている精霊駒。
「敵を殺すことか」
静かになる。
「戦術は敵を撃破するための技術だ」
教官は言った。
「だが、軍事行動の目的が敵の撃破そのものであるとは限らない」
黒板を指す。
「目的達成のために敵を倒すのであって」
振り返り、学生の眼を見て言った。
「敵を倒すために目的を作るのではない」
*
クラウゼンは少し悔しそうに、それでも頷いた。
「自分は前へ出すぎました」
「そうだ」
教官が答える。
「だが、前へ出た判断自体が誤りだったとは限らない」
「え?」
「フェルマー生の前線は弱かった」
「はい」
「もっと早く補給線の限界を認識して止まり、前方集積所へ十分な物資を積み、兵力を整えていれば?」
クラウゼンが地図を見る。
「第二拠点を保持できた可能性があります」
「そうだ」
今度はエリアスを見る。
「逆に、クラウゼン生が止まった時、お前が早く攻めすぎていれば?」
「損害が増えたと思います」
「補給は?」
エリアスは自分の南側集積所を見る。
「あの時点では、まだ前送が足りません」
「なら?」
「第二拠点を取れても、十八時まで持たなかったかもしれません」
「そういうことだ」
教官は二人から離れる。
「勝敗は、能力だけで決まらない。相手、目的、時間、地形、疲労、補給。その組み合わせで変わる」
*
授業後。五人は大判地図の周りに残っていた。ガイウスがエリアスの部隊駒を一つ摘まむ。
「お前、本当に戦わないな」
「戦ったよ」
「最後だけ」
「必要だったから」
「ガイウスなら二日目くらいに全軍突撃してそう」
リオネルが言う。
「しない!」
「三日目くらいですか?」
マリエッタ。
「お前まで?」
ヒルデガルドが笑う。
*
「でも」
ガイウスがエリアスを見る。
「俺なら途中で不安になる」
「僕も不安だったよ」
「見えなかったぞ」
「出しても何も変わらないし」
「そういうところ、怖いよな」
リオネルが言う。
「何が?」
「本人は緊張してるのに、外から見ると平然としてるところ」
「分かる」
ヒルデガルドが頷く。
「何で二人とも」
マリエッタが笑った。
*
ヒルデガルドが自分の記録票を持ってきた。
「私は六割一分」
「うん」
「あなた六割四分」
「うん」
「三分負けた」
エリアスが首を傾げる。
「同じ相手じゃないよ」
「分かってる」
「じゃあ比較できない」
「分かってるって言ってるでしょう」
「じゃあ何?」
彼女は少し考えた。
「なんとなく悔しいだけ」
エリアスは少し笑った。
「次は勝てるよ」
「それ、慰めてる?」
「違う」
「でしょうね」
*
ガイウスが二人の間に割って入る。
「俺はお前ら二人とも嫌だ」
「何で?」
「片方は何考えてるか分からんし」
「失礼ね」
ヒルデガルドが眉を寄せる。
「もう片方は何もしてないように見えて、最後に勝ってる」
「何もしてなくはない」
「俺はマリエッタと組む」
リオネルが言う。
「なぜです?」
「一番普通だから」
「褒めていませんね」
*
教官が教卓から声をかけた。
「まだ帰らないのか」
五人が振り向く。
「失礼しました」
荷物をまとめる。その時、教官が紙を一枚、掲示板へ貼った。ガイウスが最初に気づく。
「何だ?」
近づく。大きな文字。三年次野外戦術演習 実施要領
「来た」
ガイウスの声が明るくなる。
「なんで嬉しそうなんだよ」
「三日間だって!」
「だから嫌なんだよ」
マリエッタが横から読む。班単位。指定区域内での行動。偵察、警戒、伝令。経路選択、地形利用。野営、補給。そして最後に。対抗班あり。
ヒルデガルドがそこで止まった。
「対抗班」
リオネルも覗き込む。
「つまり、向こうも動く?」
「そういうことでしょうね」
「一年の行軍演習より面倒になってない?」
「進級したんだから当然でしょう」
*
エリアスは、もう一度最初から読んだ。
「伝令もあるんだ」
「あるわね」
「地図みたいに、全員へ同時に命令できないってこと?」
「たぶん」
「味方がどこにいるかも?」
「報告が来るまで分からないこともあるでしょうね」
エリアスは少し考える。
「その報告が来るまでに、動いてるかもしれない」
ヒルデガルドが彼を見る。
「敵も味方もね」
教室では、偵察した場所が光り、報告された時刻も表示された。補給線の色も、疲労も、荷車の位置も、精霊が絶えず更新してくれた。だが、外では違う。偵察に行くのも、報告を持って戻るのも、命令を届けるのも学生だ。荷車が遅れても、地図の線が橙色に変わって教えてはくれない。
その間にも、敵は動き、味方も動く。エリアスが小さく言う。
「地図が教えてくれなくなるんだね」
「そうね」
「敵も見えない」
「味方も全部は見えない」
「補給が遅れてるかどうかも、報告が来るまで分からない」
「届いた報告が、もう古いかもしれない」
少し沈黙。
「難しくなってない?」
「進級したんだから当然でしょう」
「さっきも聞いた」
*
リオネルが後ろから二人の肩へ腕を乗せた。
「なあ、早く飯行こうぜ」
「重い」
ヒルデガルドが腕を払う。
「賛成」
ガイウスはもう歩き出している。マリエッタが掲示をもう一度見る。
「各自携行品、天幕、軍用糧食、雨具……」
「見なかったことにしない?」
「無理です」
マリエッタは掲示から目を離した。
「今日は保存魚の日ですよ」
エリアスの足が止まる。
「やめようかな」
「駄目です」
五人は歩き出した。
*
廊下の窓から、夕方の訓練場が見えた。学生たちが小隊単位で走っている。その向こうには学院を囲む丘陵。さらに、森。エリアスは少しだけ足を止めた。地図なら、部隊の疲労は色で分かった。
補給線が悪くなれば、線の色が変わった。荷車も河船も、どこにいるか見えた。実際には歩く。疲れる。濡れる。腹が減る。見えなくなる。
報告は遅れる。命令も遅れる。そして、その間にも相手は動く。その中で、決める。
「エリアス?」
ガイウスが振り向く。
「行くぞ」
「うん」
エリアスは四人の方へ歩いた。今度は、一人で全部考える必要はない。その代わり、自分が考えたことを他の誰かに伝えなければならない。それはそれで、地図の上よりずっと難しいのかもしれない。
五人の声が、夕方の廊下へ遠ざかっていった。




