第33-1話 勝つための条件(1)
翌週。
第三戦術教室には、前回と同じ大判地図が並んでいた。ただし、今回は一枚では終わらない。
対戦する二人に一枚ずつ。机二つ分の地図の上には、河川、丘陵、森林、湿地、街道、橋、集落、二つの前線拠点。そして手前には、大きく光る後方兵站基地。そこから前線へ、道路と川に沿って細い補給線が伸びている。
輜重車と河船が、その上を動く。さらに。霧。敵側の地図で何が起きているかは、偵察しなければ見えない。
第三段階までの戦術。第四段階の兵站。今度は、両方だった。ガイウスが地図を見る。
「全部?」
教官が答えた。
「全部だ」
リオネルが補給線を見る。
「前回のやつも?」
「当然」
「嫌な予感するな」
「良い予感を持つ必要はない」
*
教官が黒板に三行だけ書いた。
第五日 十八時。
東岸第一拠点・第二拠点を保持。
戦闘可能兵力 六割以上。
「以上」
学生たちが待つ。教官は何も言わない。一人が手を挙げた。
「敵主力の撃破は?」
「勝利条件にはない」
「敵指揮所の占領は?」
「ない」
「損害を与えた量は?」
「直接の評価対象ではない」
軍務志望の学生たちが少しざわついた。教官が続ける。
「読めるだろう」
黒板を指す。
「諸君が達成すべきものは、そこに書いてある」
*
部隊は一個大隊。三個歩兵中隊、一個軽歩兵中隊、少数の騎兵、弓兵、魔法支援、工兵、輜重。戦力そのものは、ほぼ同じ。後方兵站基地の物資も無限。
違うのは、どう使うか。どこまで運べるか。そして、どれだけ残せるか。部隊駒の疲労は、青、緑、黄、橙、赤。
補給線も、距離と輸送状態に応じて色を変える。前方集積所を作れば線を短くできる。ただし、そこにある物資は、運んだ分だけ。使えば小さくなる。
輜重兵を前へ出せば、後ろの処理能力が落ちる。敵だけを見ていれば、味方が止まる。補給だけを見ていれば、敵が来る。
「開始」
精霊時計が動いた。
*
最初の対戦はヒルデガルド。相手は軍務志望の上位学生だった。第一日。
互いに偵察。接触。小競り合い。第二日。相手が中央街道を押す。ヒルデガルドは退かない。
ただ、森沿いの一個小隊だけを、夜間、大きく北へ回した。部隊駒の光が青から緑へ。さらに黄色へ近づく。その小隊への補給線も、距離が伸びるにつれて緑から黄へ変わった。
マリエッタが観戦席から言う。
「疲労も上がっています」
エリアスも見る。
「補給線も黄色」
「明日、動けなくなるかも」
「でも何か狙ってる顔だな」
リオネルが言う。ヒルデガルドは自分の部隊ではなく、霧の向こうにいる対戦相手を見ていた。
*
第三日、早朝。相手の騎兵が南へ動いた。中央街道の偵察に反応したらしい。その瞬間。
ヒルデガルドが北から軽歩兵を出した。丘の影から河川沿いへ。黄色い光をまとった小隊が一気に進む。その先。
敵の前方集積所。
「そこ?」
ガイウスが身を乗り出す。敵側も気づく。だが、騎兵は南。歩兵は中央。戻す。
間に合わない。軽歩兵が集積所へ到達すると、そこを示していた赤い光が揺らいだ。占領判定。敵の集積所から伸びていた二本の補給線が、一気に橙へ変わる。
矢と飼料の前送が止まった。
「どうして北?」
教官が聞いた。ヒルデガルドは答えた。
「彼は、中央の圧力を見せれば、南側の騎兵でこちらの迂回を探すと思いました」
対戦相手が苦笑する。
「また俺を読んだのか」
「前の試合から」
「怖いな」
「褒め言葉として受け取ります」
*
ただし、代償は大きかった。第四日。北へ回した軽歩兵中隊の疲労は橙から赤。戦闘力低下。
さらに、その部隊へ伸びる補給線も橙。前方集積所を急造したが、運び込めた量が少ない。物資を出すたび、地図上の小さな光が目に見えて縮んでいく。
「ヒルデガルド」
エリアスが小声で言う。
「かなり危ないよ」
「分かってる」
「昨日の夜間行軍、やらない方が安全だった」
「安全にやったら、あの集積所は取れなかった」
「失敗したら?」
「負けてたでしょうね」
「それ嫌じゃない?」
「あなたは嫌でしょうね」
彼女は笑った。結果。ヒルデガルド、勝利。
戦闘可能兵力、六割一分。
ぎりぎり。ガイウスが息を吐く。
「六割一分……」
「一分も六割だ」
リオネルが言う。
「一分足りなければ負けです」
マリエッタが訂正する。
「足りたからいいの」
「怖いなあ」
「あなたは心配しすぎ」
*
ガイウスの番。彼は正面から強かった。歩兵をまとめ、弓兵を後ろへ置き、工兵を橋の防御へ回す。敵が来る。
受ける。押し返す。精霊駒がぶつかるたび、青と赤の光が激しく明滅した。一戦目、勝つ。
二戦目、また勝つ。ただし、第三日。前線は進んだ。その分、補給線も伸びた。
緑だった線が黄へ変わる。前方集積所の矢が減る。飼料も減る。
「あと何本?」
ガイウスが聞く。精霊表示が答える。
『弓兵一斉射、七回分』
「七回あれば――」
横から教官。
「明日もある」
ガイウスが黙る。次の攻撃。一斉射を使わない。
「我慢した」
リオネルが言う。
「うるさい」
「成長だな」
「殴るぞ」
*
そして、エリアス。対戦相手が決まった時、周囲が少しざわついた。軍務志望。戦術成績上位。
特に第二、第三段階で強かった学生。エドワルド・クラウゼン。将来は中央軍。本人も「将官を目指す」と公言している。
第四段階の兵站演習では中位。エリアスとは、ちょうど逆だった。
*
開始。第一日。偵察。接敵。クラウゼンが中央丘陵を取った。
エリアスは争わない。
「放棄?」
誰かが言う。第二日。敵、前進。エリアスは一個中隊を下げる。
第一河川線、放棄。クラウゼン、占領。観戦席の軍務志望組から声が上がる。
「また下がった」
「戦術じゃ相変わらずだな」
エリアスには聞こえている。でも、返事をしない。
*
クラウゼンは速かった。中央丘陵を取る。橋を取る。西岸集落を取る。
赤い光が地図上を次々と塗り替えていく。その後ろから、補給線も伸びていく。最初は緑。やがて黄色。
クラウゼンは途中の集落に前方集積所を作った。判断は正しい。河船と荷車を集め、輜重兵も置く。だが、進軍の方が速い。
集積所から前線へ伸びる線は、また長くなった。エリアスは、そのたびに少し戦って、少し下がる。青く光る駒のいくつかが倒れるが、主力は崩れない。戦果判定では、クラウゼン優勢。
エリアス劣勢。ガイウスが地図を見る。
「大丈夫なのか?」
ヒルデガルドは答えない。エリアスの部隊ではなく、クラウゼンの後ろを見ていた。
*
三日目。クラウゼンの第一中隊は東へ、第二中隊は中央へ、騎兵は北へ進んでいた。勢いがある。だが、その後ろ。
補給線が一本の街道と中央橋梁へ集中している。輜重車が長い列になっていた。糧食、矢、飼料、治療資材。全部、同じ経路を通る。
前方集積所はある。だが、そこへ補充するための線が長い。ヒルデガルドが小さく言った。
「……あ」
「何?」
ガイウスが聞く。
「エリアス、負けてない」
「負けてるだろ」
「局地戦では」
「じゃあ何」
彼女はエリアスを見る。本人は敵の駒ではなく、精霊時計と補給線の色を見ている。
「歩かせてるのよ」
「誰を?」
「敵」
*
第三日午後。エリアスはまた後退した。今度は、東岸第二拠点の手前まで。その一方で、自軍の後方では二つの小さな前方集積所が光っている。
一つは河川沿い。一つは南街道沿い。どちらも大きくない。だが、補給線は緑か黄色の範囲に収まっていた。
クラウゼンが言った。
「ここまで下がるのか?」
「うん」
「第一拠点まで切られるぞ」
「まだ切られてないよ」
「時間の問題だ」
エリアスは少し考えた。
「そうかな」
クラウゼンの眉が動いた。
*
第四日。状況変化。盤面の北西部に雨が降った。中央丘陵から橋へ続く街道が泥濘化する。
両者に同じ雨だった。だが、影響は同じではなかった。クラウゼン側。長く伸びた主補給線が、黄色から橙へ変わる。
中央橋梁では輜重車が詰まり始めた。前方集積所への補充量が落ちる。騎兵は飼料不足で移動力低下。第二中隊の疲労は黄色から橙へ。
弓兵の矢は残り四割。クラウゼンが地図を見る。
「河船は?」
精霊表示。
『河港荷役能力不足』
「輜重兵を回す」
前方から人員を戻す。河港の処理能力は上がった。代わりに、前方集積所から各部隊への荷役が落ちる。補給線の一部が赤く点滅した。
「……なんだこれ」
一方、エリアス側。北側の線は同じく橙。だが、南街道と河川の二系統が残っている。前方集積所の一つは小さくなった。
もう一つは、まだ一日分以上を持っている。第一拠点は保持。第二拠点は敵側。
戦闘可能兵力、七割四分。
クラウゼンは六割九分。
*
クラウゼンは、そこで初めて進軍を止めた。補給を待つ。部隊駒の橙色が、休息によって少しずつ黄色へ戻る。前方集積所へ荷が入り、縮んでいた光がわずかに大きくなる。
エリアスも攻めない。一刻。二刻。地図上は、ほとんど動かない。
「地味」
リオネルが言う。
「今、かなり重要な時間だと思います」
マリエッタが答える。
「見た目は地味」
「エリアスは何で攻めない」
ガイウスが聞く。
「まだ早いんでしょう」
ヒルデガルドが答えた。
*
第五日、午前。
エリアスが初めて主力を動かした。クラウゼンが保持する第二拠点へ、二個中隊。ただし、一つは正面。もう一つは、前日まで動かしていなかった南側から。
湿地沿い。速度は遅い。でも、疲れていない。青い光をまとった中隊駒が、湿地を一枡ずつ進む。
南側の前方集積所から、その部隊へ短い緑の補給線が伸びている。クラウゼンが気づく。
「そこにいたのか」
「いたよ」
「なんで昨日使わなかった」
「疲れるから」
「……」
「今日必要だったし」
*
正午。接敵。クラウゼン、防御。強い。
戦術自体は、やはりクラウゼンが上だった。青と赤の光が正面でぶつかる。判定。青い駒が一つ、光を失って倒れた。
エリアス側、損耗。押し返される。
「取れないぞ」
ガイウスが言う。エリアスは第二波を出さない。一度、下がる。クラウゼンが追うか迷う。
追わない。正解。ただ、守備兵の疲労は黄色から橙へ近づく。前方集積所の矢も減る。
午後二時。エリアス、再攻撃。今度は南。クラウゼンが予備を振る。
中央が薄くなる。エリアスは正面中隊を再び前進させた。
「珍しく戦術やってる」
ヒルデガルドが笑う。
「失礼だな」
リオネルが言う。
「でも下手よ」
「もっと失礼」




