第32-1話 戦争を動かすもの(1)
精霊時計が動き始めた。
第四段階。
相手の指揮官はいない。 代わりに、止まらない時間があった。
*
ほとんどの学生が、まず後方兵站基地から荷車と河船を出し、前線の部隊を進めた。
地図の手前にある基地は、大きな白青色の光を保ったまま、いくら物資を出しても小さくならない。
無限供給。
だが、そこから先は違う。
道路と河川に沿って伸びる補給線の上を、親指ほどの輜重車と河船が進んでいく。荷を積み、運び、降ろし、戻る。そのすべてに時間がかかる。
ガイウスは早かった。
「第一中隊、街道を東へ。第二中隊は河川沿い」
青く光る部隊駒が二方向へ進み、その後ろを輜重車が追う。二本の補給線はまだ緑だった。
「前方集積所、ここ」
街道の分岐を指定すると、到着した輜重車から荷が降ろされ、小さな青白い光が現れる。
すぐに教官が聞いた。
「輜重兵は?」
ガイウスが止まる。
「……後方から回します」
人員を前へ移すと、集積所の荷役能力が上がった。同時に、後方基地の積載速度が落ちる。
「こっちが下がるのか」
「人間は二か所に同時にはいない」
「分かってます」
少し離れた地図では、リオネルが河川、南街道、北街道の三方向へ一斉に輸送を出していた。
「分けた方が安全だろ」
エリアスが横から見る。
「輜重兵も?」
「全部に置いた」
「何人ずつ?」
「均等」
三本の補給線が、ほぼ同時に緑から黄色へ変わった。
「え?」
教官が横を通る。
「荷役能力不足」
「でも全部に人はいます」
「少しずつな。輸送は止まっていない。ただし、全部遅くなった」
リオネルは三本の線を見比べた。
「……嫌な仕組みだな」
「現実の方がもっと嫌だ」
*
エリアスは、まだ何も動かしていなかった。
後方基地。河港。街道。橋。前線。
各部隊の消費量。輜重兵の総数。荷車と河船の往復時間。
一年次なら、五人で分担した。
ガイウスが部隊運用。マリエッタが物資。リオネルが輸送。ヒルデガルドが手続きと情報。そして自分が、それぞれの時間を合わせた。
今は、その全部が一枚の地図の上で同時に動く。
「フェルマー生」
教官が言った。
「止まっているぞ」
「はい」
「時間も進んでいる」
「分かっています」
エリアスはようやく河船を一便出した。次に荷車。前線の部隊は二方向へ分ける。
速くはない。 だが、補給線は青から緑の範囲に収まった。
「前方集積所は?」
「まだ作りません」
「なぜ」
「どこが詰まるか見てから決めたいので」
教官はそれ以上言わなかった。
*
三十分。
地図の北側に細い雨の表示が現れ、街道の色が暗くなった。
北街道の補給線が緑から黄、さらに橙へ変わる。輜重車の動きが目に見えて遅くなった。
『泥濘化』 『移動速度低下』 『時間当たり輸送量低下』
教室のあちこちで声が上がる。
「迂回!」
「南道へ回せ!」
「橋が混む!」
エリアスも北街道を使っていた。ただし、流していたのは糧食と飼料の一部だけだった。
「また分けてる」
ヒルデガルドが言う。
「一つにすると、止まった時に困るから」
「一年次から変わらないわね」
「変える理由ある?」
「ないけど」
ヒルデガルドも自分の地図へ戻る。彼女の北街道も橙だったが、南の河川線はまだ緑だった。
「船を増やす」
河港へ輜重兵を移す。
河川輸送は改善したが、今度は後方基地の荷車積載が落ちた。
ヒルデガルドの眉が寄る。
「一つ直すと、別が落ちるのね」
「人を動かしましたから」
隣からマリエッタが答えた。
*
五十分。
エリアスは最初の前方集積所を作った。
前線から一日弱。街道と河川が交わり、河船から荷車へ積み替えられる小さな町だった。
そこへ輜重兵をまとめる。
河船が着き、木箱が降ろされる。淡い青白い光が現れ、そこから前線へ新しい補給線が伸びた。
それまで黄色だった区間が緑へ戻る。
ガイウスが横目で見る。
「便利だな。俺も作るか」
「物資ある?」
ガイウスが予定地を見る。まだ荷車二台分しか届いていない。
「……足りない」
「作るだけならできると思う」
「でも?」
「すぐ空になる」
「嫌な言い方するな」
一時間を過ぎる頃、エリアスの集積所は前線へ物資を出すたび小さくなり、後方から河船が着くとまた膨らんだ。
糧食。矢。交換用魔石。飼料。
在庫が、呼吸するように増減する。
エリアスが小さく言った。
「……面白い」
「何が?」
「一年次は、置いた物資を数字で追ってたでしょう」
「ええ」
「これは流れてる」
ヒルデガルドも地図を見る。
荷車、河船、集積所、前線。 すべてが同時に動いていた。
「確かにね」
*
一時間十五分。
中流河港が点滅した。
『船員・人足不足』
河川の補給線が黄色から橙へ変わり、河船が次々と止まる。
「船はあるのに?」
リオネルが声を上げた。
「動かす人間がいない」
教官が答える。
「どこ行ったんですか」
「上流の町で祭礼。臨時雇いの人足が集まらない」
「そんな理由?」
「そんな理由で船は止まる」
エリアスの主補給路も橙へ変わった。
「……これは困る」
ヒルデガルドが笑う。
「今日は早いわね」
「何が?」
「困るって言うの」
エリアスは答えず、前方集積所を見る。
在庫、一・四日分。前線部隊の携行分、半日。
陸路へ全量を回せば、北街道はまだ泥濘。南道は遠い。
「一日なら持つ」
「河川が戻る保証は?」
「ない」
「じゃあ?」
エリアスは前線の進軍速度を一段落とした。
「消費を減らす」
ガイウスが聞きつける。
「進軍を遅らせるのか? 目的地への到着も遅れるぞ」
「赤くなってから止まるよりいい」
エリアスは部隊の疲労表示を指した。
ガイウスは少し考え、頷いた。
*
一時間二十五分。
マリエッタの前線部隊の一つが黄色へ変わった。
補給は届いている。だが、休息が足りない。
「補給だけ見ていました」
「物資が届けば、兵が休めるわけではない」
教官が答えた。
「はい」
部隊を止める。
すると後続が詰まり、補給線が緑から黄色へ変わった。
マリエッタは少し眉を寄せる。
「本当に、全部つながっていますね」
*
一時間三十五分。
エリアスの地図で、河船が一隻、予定より早く河港を離れた。
「……?」
指示していない。
船の周囲が点滅する。
『臨時出航』 『積載量 六割』
『船頭判断 下流水位低下予測 満載待機を回避』
補給線が一瞬、赤へ変わった。予定外の出航で次便との間隔も崩れる。
「そういうのもあるの?」
「現場は、君の机の上の駒ではない」
教官が答える。
「でも、勝手に出航したら」
「結果として正しいかもしれない。間違いかもしれない。判断しろ」
エリアスは、六割積載の船、後続船、前方集積所を順に見た。
「続行」
「理由は?」
「戻す時間の方が無駄です。それに、水位低下が本当なら今出た方がいい」
「予測が外れたら?」
「輸送量が減ります。次の便を早めます」
教官は頷いた。
*
一時間四十分。
雨が弱まり、北街道が橙から黄、やがて緑へ戻った。
教室中で一斉に荷車が動き始める。
ところが、輜重兵を前方へ広げすぎた学生の地図では、後方基地の積載が追いつかない。
荷車はある。 物資も無限にある。 それでも、出発できない。
基地の前で荷車が列を作っていた。
リオネルが言う。
「無限に物があるのに、何で足りない感じになるんだよ」
「運ぶ人と積む人は無限ではないからです」
マリエッタが答える。
「嫌な授業だな」
「さっきからそればかりですね」
*
一時間五十分。
エリアスの前方集積所は、残り〇・六日分。
河川輸送は回復し始めているが、次の船が着くまでには時間がある。
前線の一個中隊は緑。もう一個は黄色。
進めば目的地域へ早く着く。ただし、集積所は空になる。
止めれば疲労は回復し、輸送も追いつく。
エリアスは時計を見る。
残り十分。
「第一中隊、停止。休息」
「第二中隊も?」
教官が聞く。
「第二は進めます」
「片方だけ遅れる。隊形も伸びるぞ」
「はい。でも、二つとも止める必要はありません。それに、第二中隊が前へ出れば、集積所からの輸送距離も短くなります」
教官は地図を見て、短く頷いた。
終了三分前。
六割積載で先に出た河船が、前方集積所へ到着した。
荷が降ろされ、小さくなっていた光が少し戻る。
ほぼ同時に、下流の水位表示が変わった。
『低下』
後続の大型船が速度を落とす。
エリアスは先に出た船を見た。
「当たった」
「船頭の判断が?」
「はい」
教官が言う。
「君の判断ではない」
「そうですね」
「覚えておけ」
エリアスは頷いた。




