第30-1話 盤上の戦争(1)
戦争というものを、エリアスはまだ知らなかった。
知っているのは、数字だった。
兵士が千人いれば、一日にどれだけ食べるのか。荷船一隻に、どれだけ積めるのか。街道を荷車が何台通れるのか。雨が降れば、どれだけ遅れるのか。
そういうものなら、少し分かる。
一年次の千人の移動課題や、行軍演習でも、考えたのはだいたいそんなことだった。
どの道を通れば早いのか。どこで休ませるのか。食料をどれだけ持たせるのか。予定より遅れた時、どこを削れば取り戻せるのか。
だが、三年次に入って始まった戦術論は、少し違った。
「ヴァレンティ生。騎兵をそこへ置く理由を説明しなさい」
「格好いいからです」
教室に笑いが起きた。
「減点するぞ」
「敵の側面を取るためです」
「最初からそう答えなさい」
リオネルが肩をすくめる。
戦争というものを。
少なくとも今日の授業では、そんなふうに学ぶらしい。
*
統学院軍務棟、第三戦術教室。
普通の教室とは造りが違っていた。
机は壁際。中央には、大きな四角い盤が六つ並んでいる。
盤の表面には細かな格子。その上には、小さな人型の駒が立っていた。
槍兵、重装歩兵、弓兵、騎兵、軽歩兵。
それぞれ親指ほどの大きさしかない。
だが、動く。
「騎兵、前進二」
教官が命じる。
騎兵の駒が淡い青色の光をまとった。
ぱから、ぱから。
小さな馬が蹄を鳴らし、盤上を二枡進む。騎手の身体も馬の動きに合わせてわずかに上下している。
学生たちから声が上がった。
「精霊駒だ」
リオネルが身を乗り出す。
「これ欲しいな」
「何に使うんです?」
マリエッタが聞いた。
「部屋で競走させる」
「学院備品ですよ」
「分かってるって」
ガイウスは目を輝かせていた。
「槍兵も動くのか?」
「当然だ」
教官が答える。
「だが、今日学ぶのは玩具の動かし方ではない」
教室が静かになる。
「諸君は一年次の行軍演習で、部隊を動かすことの難しさを経験したはずだ」
教官は盤上を見渡した。
「二年次からは、その部隊を何のために、どう使うかを学ぶ」
騎兵を摘む。
「騎兵は速い」
次に槍兵。
「槍兵は騎兵の突撃を受け止めやすい」
弓兵。
「弓兵は離れた敵を攻撃できる」
重装歩兵。
「重装歩兵は正面戦闘に強い」
最後に軽歩兵。
「軽歩兵は正面から重装歩兵と殴り合えば負ける」
少し間を置く。
「では、弱い兵なのか?」
軍務志望らしい男子学生が手を挙げた。
「いいえ。偵察、側面行動、追撃などに使用できます」
「そうだ」
教官は頷いた。
「強い兵と弱い兵がいるのではない。得意な仕事と、不得意な仕事がある」
*
最初の課題は単純だった。
双方が騎兵、重装歩兵、槍兵、弓兵、軽歩兵など、同じ構成の小部隊を持つ。
一度に動かせるのは、一駒だけ。
交互に一駒ずつ動かし、相手の本拠へ到達するか、相手の指揮駒を取れば勝ち。
ただし、兵種によって移動距離、攻撃範囲、正面から戦った時の優劣が違う。
最初の二人が盤についた。
騎兵が走る。
槍兵が向きを変え、小さな槍が一斉に前へ倒れた。
騎兵が突っ込む。
青い光と緑の光がぶつかり、一瞬、二つの光が激しく明滅する。
次の瞬間。
騎兵を包んでいた光が消えた。
小さな馬が前脚から崩れ、騎手も盤上へ倒れる。
「おお」
学生たちから声が上がった。
教官は倒れた駒を指した。
「戦闘結果は精霊術式が判定する。兵種、位置、向き、そのほか盤に設定された条件によって結果が変わる」
倒れた騎兵を起こす。
再び淡い青光が灯った。
「ただし、これは戦場を完全に再現するものではない。そこを勘違いするな」
*
「軍人将棋みたいね」
ヒルデガルドが言った。
「軍人将棋って何?」
エリアスが聞く。
「……あなたの地方にはないの?」
「川運将棋ならある」
「何それ」
「荷船を動かす」
「絶対つまらない」
「結構難しいよ」
「今度説明して」
「いいよ」
「アルトハウゼン生、フェルマー生」
教官の声が飛んだ。
二人が振り向く。
「はい」
「授業を始めていいか?」
「失礼いたしました」
ヒルデガルドは即座に学院礼。
エリアスも一拍遅れて真似した。
*
ガイウスは強かった。
「騎兵、前進!」
命令と同時に、淡い青光をまとった騎兵が走る。
相手が弓兵を下げる。
ガイウスは追わない。
中央へ向きを変えた。
「そこ?」
相手が驚く。
「そっちが空いたからな」
「でも弓兵を取れるぞ」
「取ってる間に本陣取られるだろ」
数手後。
相手の指揮駒へ騎兵が突入した。
小さな騎兵が槍を突き出す。指揮駒を包んでいた淡い緑光が一度強く揺れ、ふっと消えた。
駒が盤上へ倒れる。
勝負あり。
ガイウス、勝利。
軍務志望の学生たちが集まる。
「いい動きだった」
「騎兵志望か?」
「いや。歩兵」
「その体ならそうだろうな」
「どういう意味だ?」
笑いが起きる。
ガイウスも笑った。
*
ヒルデガルドも強い。
ただし、ガイウスとは違った。
「弓兵、後退」
淡い緑光をまとった弓兵が一枡下がる。
相手が追う。
もう一度、後退。
相手の騎兵が前へ出る。
「逃げてばっかりだな」
対戦相手が言った。
ヒルデガルドは答えない。
三手後。
騎兵が深く入りすぎた。
槍兵が進路を塞ぐ。
弓兵が射線を取る。
「あ」
「遅いです」
弓兵の駒が小さな弓を引いた。
光の矢が飛ぶ。
騎兵を包んでいた青い光が弾け、駒が横倒しになった。
「最初から?」
「二手目から」
「一手目は?」
「考えてませんでした」
相手が苦笑する。
*
そして、エリアス。
「……負けた」
盤上では、彼の指揮駒が光を失って倒れていた。
リオネルが横から覗く。
「弱くない?」
「普通だと思う」
「エリアス、こういうの得意そうなのに」
「僕もそう思ってた」
「本人が言う?」
二戦目は勝った。
三戦目は負けた。
四戦目は勝った。
その後も勝ったり負けたりして、最終的には三勝三敗。
見事なくらい普通だった。
リオネルが記録を見る。
「三勝三敗」
「半分勝った」
「前向きだな」
ヒルデガルドも寄ってくる。
「どうして?」
「何が?」
「あなた、ルールは理解してるでしょう」
「してるよ」
「だったら、もう少し勝てそうなのに」
エリアスは盤を見る。
「相手もルール知ってるから」
「……それはそうでしょう」
「だから難しい」
ヒルデガルドは、よく分からない顔をした。
*
午後。
戦術盤が変わった。
今度は六角形。
盤面いっぱいに六角の区画が並び、平地、森林、丘、河川、湿地、集落、街道、橋が配置されている。
精霊駒の意味も、午前とは違った。
一つの駒が、一個分隊を表す。
そして、手番の規則も変わる。
「第二段階だ」
教官が言った。
「午前中は一回に一駒だけ動かした。ここからは違う」
盤上へ複数の駒を置く。
「自分の手番では、自軍のすべての部隊に一度ずつ行動を命じることができる。全軍の行動を終えたところで、相手の手番へ移る」
学生たちの表情が少し変わった。
一駒ずつなら、相手の動きを見てから次を考えられた。
今度は違う。
自分の手番の間に、複数の部隊を一つの意図の下で動かさなければならない。
「動かさない部隊があっても構わない。だが、一度手番を終えれば、次に動くのは相手だ」
教官は盤面を指した。
「午前中は兵種の機能だけを見てもらった。ここからは、地形も加わる」
騎兵を街道へ置く。
「街道では移動力が上がる」
森林へ。
「森林では落ちる」
重装歩兵を丘へ。
「高所は防御に有利」
河川へ。
「渡河中は脆弱になる」
弓兵を高所へ置く。
「高所からは射界が広がる。ただし、森林は射線を遮る」
学生たちが一斉にノートを取る。
エリアスも書いた。
地形、移動、攻撃、防御、補正。
数字が増えた。
少し面白くなってきた。
*
「さらに」
教官は敵の正面と側面へ駒を置く。
「側面攻撃」
もう一つを背後へ。
「包囲」
三方向から敵駒へ光が走る。
敵を包んでいた淡い青光が赤く揺らぎ、明滅した。
正面の重装歩兵が盾を押し込み、側面から軽歩兵が斬りかかる。その直後、背後から騎兵が突入した。
敵駒の光が消え、盤上へ倒れる。
「兵士は正面だけを見て戦うわけではない。しかし、複数方向から圧力を受ければ戦闘効率は落ちる」
教官は学生たちを見る。
「戦術とは、強い駒を敵へぶつけることではない。自軍の機能を組み合わせ、地形を利用し、敵に不利な状況を押しつけることだ」




