第27-2話 秤の両側(2)
それなら、修正は難しくなかった。
第四条。
旧文。
『売り手は、封印時に確認された上級魔石としての品質を、引渡時まで保証する』
削除。
代わりに、
『引渡時に双方指定の検査人が品質を確認する。上級魔石として定める基準を下回る場合、売り手は不足分に応じた同等品を追加し、または双方合意の算定方式により代金を減額する』
とする。
さらに、自然減衰、封印破損、輸送事故、買い手側の保管責任について、誰が、どの時点から、どのリスクを負うかを条文として整理する。
今度は、エルヴァの法務官、エルセリアの神前契約官、双方の商人が、全員同じ意味になるまで一つずつ確認した。
*
そこで、別の問題が出た。
「封印は?」
マリエッタだった。
「契約成立後、引渡時まで売り手側が保管する箱について、品質確認のために開封する必要が出た場合は?」
エルセリア側の実務者が答える。
「契約官立会いで開封します」
「輸送途中で封印が破損した場合は?」
「輸送者の責任を確認します」
「自然災害なら?」
「不可抗力条項です」
エリアスが第十一条を見る。
そこにも、エルヴァでは当然と思っていた文章がある。
一瞬。
嫌な予感がした。
「法務官殿」
「なんだ」
「不可抗力も確認した方がいいと思います」
法務官が少しだけ笑った。
「私も今、そう思ったところだ」
*
結局、その日のうちに契約は成立しなかった。
第四条だけではない。
危険負担、封印破損、不可抗力、契約解除。
細かなところで、双方の「当たり前」が何度もぶつかった。
だが、昨日とは違う。
ぶつかるたびに、
「意味が違うかもしれない」
と疑うことができた。
それだけで、話は進んだ。
*
翌日。
再び、通商官庁の小礼拝室。
中央には修正された契約書。
その横には、エルセリアから運ばれた魔石箱。
学生たちは、前回と同じく壁際にいた。
白衣の神前契約官が前へ出る。
契約書へ手を置く。
テレシアの名を呼ぶ。
短い祈り。
静寂。
箱の表面で、細い銀色の線が光った。
前回と同じ。
エリアスは息を止める。
銀線が箱の縁を走る。
角を曲がる。
側面へ。
前回は、そこで消えた。
今日は。
消えない。
一本。
二本。
細い線がつながっていく。
やがて箱の中央に、天秤を思わせる紋様が淡い銀色に浮かんだ。
契約官が目を開けた。
箱を見る。
契約書を見る。
そして頷く。
「受理されました」
誰も、すぐには拍手しなかった。
エルヴァ側の法務官が確認する。
「これをもって、エルセリア側においても契約成立と理解してよろしいか」
通訳される。
契約官が答えた。
「はい」
法務官が頷く。
「では」
エルヴァ側の商人代表を見る。
「今度こそ、契約成立です」
ようやく、拍手が起きた。
*
建物を出る。
昼を少し過ぎていた。
朝から薄くかかっていた雲が切れている。
運河の水面に陽が落ち、船の波が細かな光を岸まで運んでくる。
マリエッタが大きく息を吐いた。
「終わりましたね」
「うん」
エリアスが答える。
ヒルデガルドが隣を歩く。
「結局」
彼女が言った。
「どちらが正しかったのかしら」
エリアスは考えた。
「どっちも?」
「ずるい答えね」
「じゃあ、どっちも間違ってた」
「もっと悪くなったわ」
マリエッタが笑う。
エリアスは少し考え直した。
「同じ言葉を、同じ意味だと思ったのが間違いだったんじゃないかな」
ヒルデガルドが黙る。
「契約も」
エリアスは続ける。
「保証も」
「テレシアも?」
「たぶん」
ヒルデガルドは空を見る。
「やっぱり、異なる秤を持っていたのね」
エリアスも空を見上げた。
青い。
よく晴れている。
「同じ秤かもしれないよ」
「どうして?」
「載せるものが違うだけで」
ヒルデガルドは少しだけ考えた。
「……それ、今度ナディルに言ってみようかしら」
「やめた方がいいと思う」
「なぜ?」
「また神学の話になるから」
「あなたが始めたんでしょう」
「僕?」
「今」
マリエッタが笑った。
三人の横を、荷船が一艘ゆっくりと通り過ぎていった。
積まれているのは、見慣れた木箱、見慣れた荷札、見慣れた商人たち。
その先。
アルヴァリスの河港には、エルセリア使節団の旗を掲げた河船が停泊していた。
初めて結ばれた、二つの国を直接つなぐ正式な商取引。
その契約書には、前回と変わらず、同じ神の名が記されていた。




