第27-1話 秤の両側(1)
『履行条件に、確定不能事項を含む』
翌朝。
エリアスは、その一文を三度読んだ。
「……分からない」
隣でヒルデガルドが言った。
「昨日も言ってたわね、それ」
「分からないものは分からないよ」
「そういうところだけ潔いのよね」
向かいのマリエッタは、すでに別の資料を開いていた。
三人は昨日と同じ通商官庁の会議室にいる。
エリアスの正面には法務官。ヒルデガルドとマリエッタの向かいには通商官。
机の上には、昨日より多くの資料が積まれていた。
法務官が口を開く。
「先方から、これ以上の説明はない」
エリアスが手を挙げた。
「法務官殿。確認してもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「『確定不能』という訳語自体は、正しいのでしょうか」
「通訳官二名が確認している。原語には『未来において真偽を定められない』という意味合いもあるそうだ」
「未来において……」
エリアスは呟いた。
昨日、気になった条文を見る。
『売り手は、封印時に確認された上級魔石としての品質を、引渡時まで保証する』
未来。
品質。
保証。
「マリエッタ」
「はい」
「昨日の話、もう一度確認していい?」
「魔石の劣化ですか?」
「うん」
*
マリエッタが資料を開いた。
今度は数字が並んでいる。
「上級魔石でも、保管中の魔力減衰は起こります。ただ、通常の商取引で問題になるほどではありません」
「どのくらい?」
「今回の種類なら、良好な封印下で三か月あたり平均一パーセント未満です」
「少ないね」
「少ないです」
「でも、ゼロではない」
「はい」
「個体差は?」
「あります」
「最大は?」
「分かりません」
エリアスの指が止まった。
「分からない?」
「過去の実績なら分かります。でも、次の百二十箱のうち、どれがどれだけ減衰するかまでは」
「つまり」
エリアスは契約書を見る。
「平均なら予測できる」
「はい」
「でも、特定の一箱が引渡時にどの品質なのかは、今は確定できない」
「そうですね」
法務官が腕を組んだ。
「だが、それの何が問題なのだ」
もっともな疑問だった。
エルヴァでは、未来の品質を保証する契約など珍しくない。
腐敗しやすい食料、湿気を吸う穀物、揮発する油、錆びる金属。
品質が変化し得るからこそ、売り手が一定の品質を保証する。
エリアスの父の店でも同じだった。
「僕も、そこが分かりません」
*
昼前。
エルセリア側の神前契約官が通商官庁へ来た。
昨日までとは違う。
今日は交渉ではない。
制度確認のための実務者協議だった。
随行する通訳官と魔石商会の実務者。
エルヴァ側からは法務官と通商官。
学生三人は、その後ろの補助席に座った。
発言は、求められない限りしない。
神前契約官は四十代ほどの女性だった。
白い長衣。胸元には、天秤の二枚の皿を模した小さな銀飾り。
法務官が尋ねる。
「昨日いただいた回答について確認したい」
通訳される。
契約官が頷く。
「『履行条件に、確定不能事項を含む』とは、第四条の品質保証を指すのか」
短い返答。
通訳官が訳す。
「その可能性が高い、とのことです」
「可能性?」
「契約精霊は、理由を文章で説明するわけではありません。拒否時の術式反応から、契約官が分類しています」
エリアスは小さく息を吐いた。
なるほど。
神様が契約書を赤字で添削して返してくれるわけではない。
*
法務官が続けた。
「しかし、我が国では一般的な品質保証だ」
エルセリア側へ訳される。
契約官が答える。
通訳官が訳した。
「理解している、とのことです」
「では、なぜ受理されない?」
返答。
「エルセリアの契約精霊は、未来の事実そのものを固定する契約を受理しません」
法務官の眉が動く。
「未来の事実?」
「はい」
「品質保証は、未来の事実を固定しているのではない」
「先方は、そう読んでいるようです」
そこで、エリアスは第四条を見た。
『売り手は、封印時に確認された上級魔石としての品質を、引渡時まで保証する』
エルヴァ人が読めば、意味は明白だ。
品質が基準を下回ったなら、売り手が交換する。値引きする。不足を補う。
つまり、悪くなった時の責任を売り手に負わせる。
だが。
「……あ」
小さな声が出た。
法務官がこちらを見る。
「何か気づいたか」
エリアスは姿勢を正した。
「発言してもよろしいでしょうか」
「よい」
「この『保証する』という言葉を、先方ではどういう意味に取っているのでしょうか」
通訳官が訳す。
エルセリア側で短いやり取りが起きた。
契約官が答える。
通訳官が少し困った顔をした。
「直訳すると……『その状態であることを、契約上の真実として定める』です」
部屋が静かになった。
エリアスは、もう一度条文を見る。
同じだった。
また。
同じ言葉が、違っていた。
*
エルヴァでは、「品質を保証する」とは、品質が基準を下回った時の責任を売り手が負うという意味だった。
未来の品質が変化しないとは言っていない。
対して、エルセリアの神前契約では違う。
品質を保証する。
それは契約精霊に対して、その品質が引渡時にも存在することを、契約上の事実として登録することになる。
しかし、魔石は自然に減衰する。
減衰量には個体差がある。
今の時点で、三か月後の状態を確定できない。
だから、契約精霊は受理できない。
ヒルデガルドが小さく言った。
「またなのね」
エリアスが見る。
「うん」
契約。
保証。
どちらも翻訳は間違っていない。
なのに。
意味が違う。
*
だが、マリエッタが手を挙げた。
通商官が頷く。
「発言してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「それなら、エルセリアでは将来引渡しの品質保証をどうしているのでしょう」
もっともだった。
未来の品質を確定できないなら、遠距離取引などできない。
通訳官が質問を伝える。
契約官が答えた。
「引渡時に品質を再判定するそうです」
「再判定?」
「はい」
「基準以下なら?」
「契約に定められた補償義務が発生します」
法務官の目が細くなる。
「……我が国と同じではないか」
通訳官が苦笑した。
「結果としては、かなり近いようです」
「では、何が違う」
しばらくやり取りが続いた。
そして。
答えが出た。
違うのは、契約の書き方だった。
*
エルセリアでは、未来の品質そのものを約束しない。
代わりに、現在の状態を確定する。
引渡時に再び測定する。
そして、基準を下回った場合に何をするかを、あらかじめ契約する。
つまり。
『上級魔石としての品質を引渡時まで保証する』
ではなく。
『引渡時に上級魔石の基準を満たさない場合、同等品との交換義務を負う』
あるいは、
『不足する魔力量に応じ、代金を減額する』
と書く。
未来の事実は固定しない。
未来に起きた事実に対する、人間の行動を固定する。
エリアスは思わず言った。
「なるほど」
法務官が見る。
「何がだ」
「精霊が固定しているものが違うんです」
「説明しろ」
「はい」
エリアスは考えながら言葉を選んだ。
「エルヴァでは、人間が将来の結果について責任を負います。だから『品質を保証する』で通じます」
法務官が頷く。
「そうだ」
「でも、エルセリアの契約精霊は未来の結果を作ってくれるわけではない」
「当然だろう」
「はい。だから」
エリアスはエルセリア側の契約官を見る。
「精霊が固定するのは結果ではなく、その結果が起きた時に、人間が何をするかなんじゃないでしょうか」
通訳される。
契約官が、初めて少し笑った。
そして頷いた。




