第19話 (オマケ) 大したことない罠
最終日の朝。
五人は丘陵沿いを進んでいた。雨は上がっている。空はまだ曇っていたが、雲の切れ間から時折薄い陽が差す。足元は湿り、草も濡れ、二日分の疲労も残っていた。
「止まって」
マリエッタが言った。
全員が足を止める。長柄鎌の先が、草の間に張られた細い紐へ触れていた。
エリアスが覗き込む。
「罠?」
「たぶん」
ガイウスが周囲を見る。
「踏むとどうなる?」
リオネルが枝を一本拾った。
「試す?」
ヒルデガルドが横を見る。
「自分で踏みなさいよ」
「枝でやるよ」
リオネルが紐を押す。
ぱん、と頭上の枝から小さな布袋が落ち、ばさっと大量の乾いた葉が降ってきた。ちょうど真下にいたガイウスの肩と頭を覆う。
沈黙。
リオネルが聞く。
「……それだけ?」
ガイウスは頭から葉を払った。
「それだけみたいだな」
エリアスが布袋を見る。学院章。教官側が設置した演習用罠標だ。
「注意力を見る罠かな」
ヒルデガルドが周囲を確認する。
「それだけじゃないわ。実際なら、今の音と動きで位置が分かる」
「葉っぱで?」
「葉っぱだから安全なのよ」
リオネルは落ちた葉を見る。
「地味だなあ」
「地味で済んでよかったでしょう」
マリエッタが言った。
五人は先へ進んだ。
*
二つ目は、その十分ほど後だった。
今度はリオネルだった。先頭で草をかき分けていた彼が、
「うわっ」
と声を上げる。
軍用靴に何かが付いている。黄色い布。長いうえに、妙に鮮やかだった。
「何それ」
エリアスが見る。
リオネルが引っ張ると、草むらの中からずるずるとさらに出てきた。布の端には大きな文字。
『被発見』
沈黙。
マリエッタが口元を押さえ、ヒルデガルドは少しだけ顔を背けた。
ガイウスが言う。
「似合ってるぞ」
「嬉しくない!」
リオネルは急いで布を外す。
「誰がこんなの考えたんだよ!」
「教官側」
エリアスが答えた。
「分かってるよ!」
ヒルデガルドが黄色い布を見る。
「でも、よくできてるわね。踏んだ本人からは見えにくい位置に付く」
マリエッタも頷く。
「そのまま進めば、遠くからでも分かります」
リオネルが布を睨んだ。
「さっきの葉っぱより性格悪いな」
*
三つ目。
今度はエリアスだった。
低木の間に細い道がある。少し屈んで抜けようとした瞬間、眼鏡に何かが触れた。
ぺた。
「?」
視界の右上に白い紙片。
エリアスは立ち止まり、それを外した。一言だけ書いてある。
『前方確認不足』
しばらく紙を見る。
リオネルが吹き出した。
「お前、それは似合いすぎだろ!」
ヒルデガルドも笑っている。
「あなた向けみたいね」
「これ、偶然?」
マリエッタが仕掛けを見る。
「細紐に紙片を吊ってあるだけですね。高さも何段階か変えられるようになっています」
ガイウスも確認する。
「じゃあ、エリアス用じゃないのか」
リオネルが残念そうに言う。
「なんだ」
「何で残念そうなの?」
「絶対お前専用だと思った」
エリアスは紙を二つ折りにして、ポケットへ入れた。
ヒルデガルドが聞く。
「持って帰るの?」
「記念に」
「いる?」
「面白いから」
*
四つ目。
ガイウス。
幅の狭い獣道に、不自然な木板が置いてある。
エリアスが言った。
「踏まない方がいいよ」
「分かってる」
ガイウスは跨ぐ。その先にもう一枚。それも跨ぐ。
さらに一枚。
リオネルが言う。
「多いな」
五枚目。
ガイウスが大股で越えようとする。
ぱき。
木板ではない。その脇に隠されていた細枝を踏んだ。
横の木から札が落ちる。
『障害だけを見るな』
全員が止まった。
リオネルが膝をついて笑い始める。
「完全にガイウスじゃん!」
「何がだ」
「目の前の板、全部力技で跨いでたからだろ」
ガイウスは札を見る。
「……偶然だ」
ヒルデガルドも少し笑った。
「でも、言われていることは正しいわ」
「分かってる」
「顔が納得してないぞ」
リオネルが言う。
「うるさい」
*
五つ目。
ヒルデガルド。
今度は、誰にでも分かるほど目立つ紐だった。
彼女は足を止める。
「わざとらしい」
「囮?」
ガイウスが聞く。
「たぶん」
ヒルデガルドは動かない。
左。右。頭上。足元。背後まで確認する。
「その先ね」
一歩進む。何もない。
さらに周囲を見て、もう一歩。
草むらから、小さな木札が起き上がった。
『警戒に時間を使いすぎるな』
数秒。
ヒルデガルドの笑顔が固まった。
リオネルが言う。
「これは刺さったな」
「何が?」
「いや」
マリエッタが木札を見る。
「でも、少し分かります。立ち止まっている時間も相手に与えていますから」
「マリエッタ?」
エリアスも札を覗き込む。
「教官側、結構よく考えてるね」
ヒルデガルドが小さく息を吐いた。
「正論なのが一番腹立つのよ」
*
六つ目。
マリエッタ。
一見、何もない。
彼女は長柄鎌で草の間を探る。
かち。
小さな木筒が転がった。
「何でしょう」
拾わず、鎌の先で転がす。中から紙が出る。
『足元だけを見るな』
その瞬間。
ぽと。
上から一滴だけ、水が落ち、マリエッタの頭に当たった。
沈黙。
リオネルが見上げる。
「……一滴?」
エリアスが言う。
「絶妙に腹立つね」
マリエッタは軍用タオルで頭を拭いた。
「これは……腹立ちますね」
珍しく声が低かった。
ヒルデガルドが笑う。
「マリエッタにも効いたわね」
「効いてません」
「効いてるよ」
エリアスが言った。
「フェルマー生」
「はい」
声が少し低かった。
*
それから、しばらく何もなかった。
罠がない。それが逆に落ち着かない。
リオネルが周囲を見る。
「もう終わり?」
ガイウスが答える。
「終わりでいいだろ」
「なんか悔しいな」
ヒルデガルドが呆れる。
「何を期待してるの?」
エリアスは歩きながら少し考えた。
「でもさ」
「何?」
「これ、全部同じ形式じゃないよね」
マリエッタが頷く。
「落下式、標識式、接触式。何種類かありますね」
「教官が昨日の夜に作ったわけじゃないのか」
リオネルが言う。
ガイウスが横を見る。
「当たり前だろ」
「いや、ちょっと想像してた」
「何を?」
リオネルは真顔になる。
「雨の中でハルヴェイン教官が、『警戒に時間を使いすぎるな』って札を書いてるところ」
数秒の沈黙のあと、マリエッタが先に笑った。ヒルデガルドも耐えられなくなる。
「一滴だけ水が落ちるように調整して」
エリアスが付け足す。
ガイウスまで口元を押さえた。
「やめろ」
「真顔で」
リオネルが言う。
ついに全員が笑った。
*
少しして。
道の真ん中に、明らかに怪しい箱が置いてあった。
小さい。学院章付き。しかも周囲だけ、不自然なほど草が刈られている。
誰が見ても怪しい。
リオネルが即座に言う。
「絶対触るなよ」
ガイウスも頷く。
「当然だ」
ヒルデガルドは周囲を見る。
「迂回しましょう」
マリエッタも足元を確認する。
「箱そのものが囮かもしれません。周囲にも気をつけて」
四人が避けて進もうとする。
エリアスだけが箱を見ていた。
しばらくして。
「ねえ」
ガイウスが嫌な顔をする。
「何だ」
「これさ」
箱を指す。
「ここまで露骨だと、逆に何が起きるか知りたくない?」
沈黙。
「知りたくない」
ヒルデガルドが即答した。
「僕は少し知りたい」
「駄目」
「棒なら?」
「駄目」
「離れて押せば――」
「フェルマー」
ヒルデガルドの声が少し低くなった。
リオネルが笑う。
「やらせてみようぜ」
「煽らないで」
マリエッタが止める。
エリアスは少し考えた。
そして。
「ちょっとだけ」
棒で箱を押した。
ぱか。
中から、小さな旗が飛び出した。
『明白な囮に触れるな』
五人。
沈黙。
リオネルが腹を抱えた。
「読まれてる!」
ガイウスも笑い始める。
「これは完全に負けだろ!」
ヒルデガルドは額へ手を当てた。
「エリアス……」
マリエッタが旗を見る。
「罠を見破ることと、罠を作動させないことは別なんですね」
エリアスも旗を見る。
しばらくして。
「うん」
少し笑った。
「これは負けた」
*
演習後。
装備返却所では、学生たちが泥のついた装備を次々に返していた。
ハルヴェイン中尉は、返却台の横で記録表を確認している。
五人が前を通る。誰も罠の話はしない。ハルヴェインも何も言わない。
ただ、エリアスが通り過ぎようとした時。
「フェルマー生」
呼び止められた。
「はい」
ハルヴェインは記録表から目を上げた。
「明白な囮は、無視して構いません」
数秒。
後ろで四人が吹き出した。
エリアスが振り返る。
「……見てたんですか?」
「あれだけは、作動すると触った人の識別章を拾って、魔導で報告されるのですよ」
「箱を作ったのは教官ですか?」
「学院の標準演習器材です」
「じゃあ、札も?」
「標準です」
リオネルが笑う。
「ガイウス専用じゃなかったのか」
「当たり前だ!」
ガイウスが言い返す。
エリアスは少し考えた。
「でも、僕にはかなり合ってました」
ハルヴェインが答える。
「そういう学生が、毎年いるということです」
「なるほど」
妙に納得した。
ハルヴェインは再び書類へ視線を落とす。
「次」
五人は返却所を離れた。
少し歩いてから、リオネルが言う。
「なあ」
「何?」
「結局、一番罠に引っかかったのお前じゃない?」
エリアスは考える。
「眼鏡の紙と、最後の箱だから二つ」
「最後のは自分から引っかかりに行っただろ」
「だから罠に引っかかったのとは少し違う」
ヒルデガルドが呆れた顔をする。
「そこを区別する必要ある?」
「あると思う」
マリエッタが笑った。
「自分から負けに行った方が悪いですよ」
ガイウスも頷く。
「今回はマリエッタに賛成」
エリアスは少し考えた。
「……それはそうか」
四人が笑った。
エリアスも笑う。
演習で学んだことの中には、報告書に書くほどでもないものもある。
明らかに怪しい箱には触らない。
それも、その一つだった。




