第17-2話 残り十五秒(2)
残り三十分。
正面では戦況が変わらない。主力は平原へ出られない。
別動隊はエレオノーラ王女の指揮所へかなり近づいていた。
リオネルが小声で言う。
「行くぞ、あいつら」
五人も見る。
草むらから十名ほどが一気に立ち上がった。
王女の天幕へ。
あと三十メートル。
二十。
十。
突然。
天幕後方の草地が動いた。
人が立つ。
一人。
二人。
六人。
八人。
上級生。
精鋭役。
「いた」
ガイウスが呟く。
別動隊が止まる。
遅い。
模擬魔法弾。
麻痺判定。
さらに側面から二名。
数十秒で終わった。
エレオノーラ王女は、茶器を置いただけだった。
リオネルが呟く。
「腹立つなあ」
ヒルデガルドが横を見る。
「不敬」
「感想くらいいいだろ」
「聞こえないところでね」
エリアスは二人の会話を聞きながら、補給所を見ていた。
護衛はまだ動かない。
*
残り十分。
教官たちの動きが変わった。記録係が集まり始める。
正面戦闘も次第に小さくなる。これ以上攻撃しても損耗判定を増やすだけだと、全体指揮官も判断したらしい。
残り五分。
補給所側にも変化が起きた。
護衛役の上級生たちが、少しずつ前方へ集まり始める。
一人が野外上衣を直す。
別の者が装備をまとめる。
終了後に王女や教官へ報告に向かうのだろう。
集積所の奥。
人が減る。
ガイウスがエリアスを見る。
エリアスは動かない。
残り三分。
さらに二人、前へ。
護衛は半分ほど。
「今?」
リオネルが聞く。
「まだ」
残り一分。
ガイウスの呼吸が少し変わる。
「フェルマー」
「まだ」
ヒルデガルドだけは何も言わなかった。
エリアスが何を待っているのか。
もう分かっていた。
終了間際。
人間は、終わった後のことを考え始める。
身体より先に、意識の方がその場を離れる。
その瞬間を待っている。
*
残り三十秒。
五人が静かに動き始める。
低い窪み。
匍匐。
草。
泥。
マリエッタが長柄鎌の先で前方を軽く探る。
草を刈るためではない。
教官側が仕掛けた細紐や杭を探すためだ。
小さく合図。
問題なし。
二十秒。
集積所外縁。
エリアスが背嚢へ手を入れた。
取り出したのは、小さな球体。
演習用魔法狼煙玉。
本来は位置表示、救援要求、味方への信号などに使用する簡易魔法具だ。起動符へわずかな魔力を通せば、内部の術式が魔石から魔力を引き出し、指定された色の狼煙を上げる。
今日は各人に数個ずつ配られている。
「全部?」
ガイウスが小声で聞く。
「余ってるから」
五人分。
十数個。
それを木箱や樽の間へ滑らせる。
本物の物資を燃やす必要はない。演習規則では、敵集積物資の所定範囲内で規定数以上の破壊信号を成立させれば、その範囲の物資に破壊判定が入る。
ただし、一つずつ起動していては見つかる。
残り十五秒。
エリアスは目を閉じた。
指先から、ごく細い魔力を伸ばす。
一本。
二本。
三本。
さらに。
細く。
もっと細く。
十本を超えても、一本一本は弱い。
狼煙玉を起動させる最低限の魔力しかない。
だが。
途切れない。
混ざらない。
それぞれが、それぞれの起動符へ届く。
ガイウスが息を呑んだ。
ヒルデガルドは黙って見ていた。
大きな魔法ではない。
強くもない。
けれど。
こういう魔法こそが、エリアスだった。
「行くよ」
魔力を通す。
【挿絵 細い魔力線を通すエリアス】
*
赤い光が上がった。
一本。
二本。
五本。
十本。
ほぼ同時。
補給集積所のあちこちから、魔法狼煙の赤い火線が空へ伸びる。
護衛役の上級生たちが振り返った。
「何だ!?」
エレオノーラ王女の天幕でも人が立ち上がる。
教官。
王女。
全員が平原の奥を見る。
赤い狼煙。
明確な破壊判定信号。
「補給所!」
誰かが叫ぶ。
残り八秒。
護衛が戻ろうとする。
遅い。
五秒。
ガイウスが立つ。
続いてヒルデガルド。
リオネル。
マリエッタ。
最後にエリアス。
集積所脇の草むらから、五人全員が姿を現した。
武器を構えない。
ただ、そこに立つ。
残り三秒。
エレオノーラ王女がこちらを見る。
目が合った。
遠すぎて、エリアスには表情までは分からない。
ただ。
王女が驚いたことだけは分かった。
二秒。
一秒。
鐘。
平原全体に、長い魔法鐘の音が響いた。
演習終了。
誰も動かなかった。
風だけが吹く。
赤い狼煙が、青空へ細く伸び続けていた。
【挿絵 狼煙をあげ立ち上がる5人】
*
判定には少し時間がかかった。
主力は平原進出失敗。敵陣地の突破不能。
指揮所奇襲も失敗。
一方、敵側補給集積所では終了十五秒前に広範囲破壊判定が成立している。
さらに終了時点で、第七寮独立機動班五名は集積所内に生存状態で存在。
実効占拠判定。
教官たちが協議する。
学生たちは待った。
そして、最終判定。
敵補給能力、喪失。
敵側は翌日以降、現在位置での防御継続不能。
ただし、平原出口そのものは演習終了時点で敵側が保持している。
つまり。
勝ったとも。
負けたとも言い切れない。
全体指揮官の少年が尋ねた。
「結局、どちらの勝ちでしょうか」
ハルヴェイン中尉が答える。
「今日だけを見るなら、敵側です」
主力側の学生たちの表情が少し沈む。
少年がもう一度尋ねた。
「明日があるなら?」
一拍。
「諸君です」
全員が顔を上げる。
「敵は補給能力を失いました。この規模の陣地を現在位置で維持し続けることはできません」
その横から、エレオノーラ王女が口を開いた。
「では、私は撤退を命じなければなりませんね」
ハルヴェイン中尉が王女へ向き直る。
「はい、殿下」
リオネルが小声で言った。
「お茶置いて逃げるんだ」
ヒルデガルドが肘で小さく突く。
「聞こえるわよ」
*
ハルヴェイン中尉は五人を見る。
「レオンティス生」
「はい」
「なぜ指揮所攻撃に参加しなかった?」
ガイウスが一瞬だけエリアスを見る。
それから答えた。
「同じ場所へ二つの独立班を投入するより、別の手段を残すべきだと判断しました」
「誰の判断ですか?」
少し間。
「フェルマー生の意見を聞きました。ただし、最終的に決めたのは私です」
「そうですか」
ハルヴェインの視線がエリアスへ移る。
「フェルマー生」
「はい」
「最初から補給所を狙っていましたか?」
「いいえ」
「では、いつ?」
「指揮所への攻撃が始まる少し前です」
「なぜ補給所を?」
エリアスは少し考えた。
「敵が一番守りたいのは、指揮官に見えました」
一瞬。
エレオノーラ王女がわずかに眉を上げる。
エリアスは続けた。
「でも、指揮官が残っていても、補給がなければ明日も同じ場所にはいられないと思ったので」
「なるほど」
「あと」
「何です?」
「演習規則には、敵指揮官を捕まえれば勝ちとは書いてありませんでした」
少し沈黙。
数人の教官が笑った。
ハルヴェイン中尉は笑わない。
しかし。
「よく読んでいますね」
それだけ言った。
その横で、エレオノーラ王女がエリアスを見ていた。
先ほどまでの、演習を眺める王族の顔ではなかった。
ほんの少しだけ。
面白いものを見つけたような顔だった。
*
帰路。
評価対象区間を終えたので、全員で街道を歩いた。
平らだった。
エリアスは感動していた。
「道ってすごい」
リオネルが振り返る。
「文明を初めて見た人みたいになってるぞ」
「平らだよ」
「道だからな」
マリエッタが笑う。
「昨日までは、道ではないところを歩いていましたからね」
ガイウスは少し前を歩いていた。
「なあ」
振り返る。
「今回、一番大事だったのって何だと思う?」
「下草鎌」
リオネル。
「靴下です」
マリエッタ。
「睡眠」
ヒルデガルド。
エリアスは少し考えた。
「余裕」
ガイウスが笑う。
「全員違うじゃないか」
エリアスも笑った。
たぶん。
全部、正しい。
五人は歩く。
泥だらけ。
疲れている。
脚も痛い。
学院へ戻れば、装備の返却。報告書。反省会。そして、また授業。
遠くに学院の塔が見えてきた。
まだ一年目。
まだ十五歳。
将来どこへ行くのかも、本当には分かっていない。
軍人。
情報官。
外交官。
地方官。
行政官。
今はまだ、そんな名前がついているだけの未来だった。
それでも。
三日間。
同じ地図を見て。
同じ雨に濡れて。
同じ保存食を食べて。
同じ夜を越えた。
それはいつか、役職も、身分も、所属する組織も違ってしまったあとで。
五人が互いを信じる理由の一つになる。
もちろん、今の彼らはそんなことを知らない。
リオネルが先頭で叫んだ。
「帰ったら風呂!」
ガイウスが返す。
「その前に装備返却!」
「靴を洗ってからです!」
マリエッタ。
「食事は?」
エリアス。
ヒルデガルドが笑った。
「まず学院まで歩きなさい」
五人は、また歩き始めた。




