第17-1話 残り十五秒(1)
三日目の朝。
雨は止んでいたが、森はまだ濡れていた。葉から水滴が落ちる。土は柔らかく、低い場所には水が残り、踏めば軍用靴が沈む。
フェルマーたち五人は、予定よりわずかに速度を落として丘陵西端へ向かっていた。
主力からの通信は、朝から断続的に入っている。
やがて、一つの報告が届いた。
――先遣隊、平原出口へ到達。
受信札を見たガイウスが笑った。
「間に合ったな」
誰も否定しなかった。
昨日の雨と輜重の遅れがあり、夜明け前から出発準備をした。それでも、最も重要な出口へ軽装部隊を先行させることには成功した。
全体指揮官の決断は正しかった。
少なくとも、その時まではそう思えた。
【挿絵 丘陵を登る5人】
*
次の通信が入ったのは、その十分ほど後だった。
――先遣隊、前進停止。
ガイウスが受信札を見る。
「停止?」
続報。
――平原出口正面に敵防御陣地を確認。
リオネルが顔を上げる。
「敵?」
「仮想敵でしょう」
ヒルデガルドが答える。
さらに通信。
――敵兵力、小。
そこで全員が少しだけ安心した。
先遣隊だけでも、それなりの人数がいる。主力も後続している。
相手が少数なら――。
三つ目の報告。
――正面攻撃、失敗。
五人とも黙った。
*
丘陵西端。
五人は斜面の陰から平原を見下ろした。
「……なるほど」
ガイウスが呟いた。
平原には、ちゃんと敵がいた。
一年生ではない。上級生だ。以前の図上演習で地方官や船主役を務めた先輩たちも混じっている。
人数は少ない。
しかし、位置が悪かった。
いや。
防御側にとっては、非常に良かった。
丘陵から平原へ抜ける出口は狭い。左右は昨日の雨で湿地に近くなった低地。まとまった人数が通れるのは、中央の比較的固い場所だけだった。
その正面には、土嚢、低い胸壁、掩体、簡単な柵。
数日前から準備していたのだろう。野戦陣地が扇形に築かれている。
「ずるくない?」
リオネルが言った。
「敵だから」
ヒルデガルドが答える。
「でも俺たち、昨日ずっと円匙運んでたんだぞ」
「向こうは先に作っていたもの」
「ますますずるい」
そして陣地の後方、少し高い場所に天幕があった。
日除け。
椅子。
机。
そこに、一人の若い女性が座っている。
エレオノーラ・アルヴェリオン王女。
国王レオポルト四世の第四子にして第三王女。二十歳。王立統学院をすでに卒業し、現在は社会・慈善・芸術振興などの公務に携わっている。
今日は、演習上の仮想敵側指揮官として参加しているらしい。
胸元には王家の徽章。
そして手には茶器。
リオネルが目を細めた。
「……殿下、お茶飲んでる」
ガイウスも目を凝らす。
「見えるのか?」
「見える」
「腹立つな」
ヒルデガルドが横を見る。
「不敬よ」
「いや、殿下にじゃなくて状況に」
「そういうことにしておくわ」
エレオノーラ王女の周囲には、教官らしい人物も何人かいる。観戦しているらしい。
そのさらに奥。平原の中央寄りには、木箱、樽、水嚢、予備の模擬弾薬、旗。
明らかな補給集積所。
エリアスだけが、そちらを長く見ていた。
【挿絵 演習場でお茶を嗜む王女殿下】
*
前方でまた動きがあった。
主力の一部が平原へ進出する。広がろうとした、その瞬間。
敵陣地から複数の発射音。
ぽん。
ぽん、ぽん。
本物の砲ではない。
演習用の魔道散弾器。
魔石から供給された魔力が術式に従って放出され、空中で複数の判定光へ分かれる。
淡い光が扇状に広がった。触れた学生の身体を青い光が包む。
麻痺判定。
実際に身体が動かなくなるわけではない。だが、規則上は数分間の戦闘不能となる。
「散弾か」
ガイウスの表情が変わった。
出口が狭い。
攻撃側は人数を横に広げられない。防御側は狭い範囲へ火力を集中できる。
兵力差が消える。
「正面は無理だ」
ガイウスが言った。
エリアスも頷いた。
それでも主力は試す。
盾を前へ。
散開。
一部は低地側へ迂回。
しかし、泥が深い。移動速度が落ちる。敵はそれを見て射線を変える。
主力が少しずつ削られていく。
昨日の疲労もある。
動きが鈍い。
「教官が狙ってたの、これか」
リオネルが言った。
「昨日の雨まで?」
マリエッタが首を振る。
「雨は自然でしょう」
「でも」
エリアスは平原を見た。
「利用はしたんだろうね」
*
別方向に動きが見えた。
丘陵の南側。
別の独立機動班。
二班ほど、十名ほどの学生が姿勢を低くし、草の中を進んでいる。
「何してる?」
ガイウスが偵察魔導具から返る像を見る。
ヒルデガルドがすぐに答えた。
「指揮所」
ソフィア王女の天幕。
正面の敵が主力へ注意を向けている間に、側面から接近している。
リオネルが笑う。
「いいじゃん」
ガイウスも少し考えた。
「合わせるか?」
四人を見る。
そして副官へ。
「フェルマー」
「放っておこう」
即答だった。
ガイウスの眉が動く。
「理由」
「成功するなら、僕たちはいらない」
「失敗したら?」
「なおさら、同じところへ行く意味がない」
ヒルデガルドがエレオノーラ王女の天幕を見る。
少し黙った。
「私も賛成」
「なんで?」
リオネルが聞く。
「殿下を、あんなところに本当に無防備で置くと思う?」
その言葉で全員が見る。
天幕。
エレオノーラ王女。
教官。
ぱっと見れば護衛はいない。
だからこそ、不自然だった。
「隠れてる?」
ガイウスが尋ねる。
「たぶん」
ヒルデガルドは天幕を見続ける。
「それに、殿下はあの別動隊に気づいていると思う」
「見てる?」
「見ていないふりをしてる」
エリアスが少し笑った。
「じゃあ、あっちは任せよう」
「俺たちは?」
ガイウスが聞く。
エリアスは平原の奥を指した。
「もっと後ろ」
「補給所?」
「うん」
「攻めるのか?」
「行くだけ」
「行くだけ?」
「今はね」
リオネルがため息をついた。
「またそれか」
*
五人は戦場から離れた。
正面ではない。
さらに丘陵沿いを北へ進む。
敵陣から見れば、後退したようにも見える。実際、しばらくすると平原側から完全に姿が消えた。
「ここからどうする?」
ガイウスが聞く。
エリアスは地図を見る。
「敵補給所の北側まで回る」
「遠い」
「でも見えない」
「終了まであと一刻半だぞ」
「間に合う」
「何をするか決まってないのに?」
エリアスは歩きながら答えた。
「着いてから考える」
ガイウスは呆れた顔をした。
しかし、止めなかった。
出発前の会議で決めた独立機動班の役割。
現地判断。
目的の優先順位。
そして、状況が変わった時のために残しておく自由。
今まさに、そのために自分たちはここにいる。
*
補給集積所が見える場所へ着いた時、残り一刻を切っていた。
五人は草地へ伏せる。
集積所には護衛役の上級生が十数名。
それほど多くない。
しかし五人で正面から入れば、まず勝てない。
ガイウスが聞く。
「どうする?」
「何もしない」
エリアスが答えた。
四人が見る。
「何?」
「待つ」
「何を?」
「分からない」
リオネルが顔をしかめる。
「それ、作戦って言う?」
「何も起きなかったら失敗」
ガイウスが笑った。
「潔いな」
「でも、今突っ込んだら確実に失敗する」
「それはそうだ」
マリエッタは地面へ伏せたまま、集積所の周囲を見る。
「近づけそうな場所はあります」
「どこ?」
「この草地の窪み。雨水で少し削られています」
ヒルデガルドが目を細める。
「でも最後は開けてる」
「はい」
エリアスもそれを見る。
「最後に十数秒あればいい」
「何するつもり?」
今度は答えた。
「集積所を取る」
【挿絵 草に伏せ集積所に近づく5人】




