第16-2話 雨の夜(2)
日が落ちた頃。
通信魔法具に全体連絡が入った。
ガイウスが受信内容を確認する。
表情が変わった。
「何?」
ヒルデガルドが聞く。
「主力の一部で、宿営地に水が入ってる」
マリエッタがすぐに地図を見る。
「やっぱり」
街道沿いは平坦だった。
しかし、平坦であることと水に強いことは同じではない。
街道そのものには排水がある。
問題は、その脇だった。
千人を超える学生が複数の群に分かれて行動していても、全員が条件のよい土地へ天幕を張れるわけではない。
まして街道を塞ぐこともできない。
結果。
低い土地へ押し出された班がいくつも出た。
雨水が流れ込む。
寝具が濡れる。
荷物を移す。
天幕を張り直す。
それだけで体力を使う。
リオネルが言った。
「眠れないな」
エリアスが頷く。
「今夜でかなり差がつく」
「私たちは?」
ガイウスが即答した。
「普通に寝る」
一拍。
「寝られる時に寝る」
誰も反対しなかった。
*
さらに悪い知らせが来た。
輜重群が遅れている。
泥濘。
荷車の速度低下。
一部の橋での通過順調整。
主力への夕食到着予定。
当初より一刻半遅れ。
リオネルが顔をしかめる。
「きついな」
主力各群の装備は、演習用ではあっても、携行重量は実際の軍務に近づけて設定されている。
盾。
弓。
矢筒。
一部の工兵具。
信号器材。
共有天幕。
それらを分担して持つ分、各自が携行できる糧食量には限りがある。
独立機動班の五人は、ある程度自分たちだけで動けるよう携行食を多めに持っている。
主力は違う。
輜重と一体で行動することを前提としていた。
エリアスが言う。
「お腹空くだろうな」
ガイウスが首を振った。
「それだけじゃない」
「?」
「濡れて、荷物を動かして、腹が減って、そのうえ飯が来ない」
ヒルデガルドが続ける。
「空気が悪くなるわね」
実際、その通りだった。
後から届いた通信には、
指示への不満。
荷役分担を巡る口論。
濡れた天幕の再配置。
班長同士の調整。
そうした報告が混じり始めた。
戦闘は一度も起きていない。
敵にも遭遇していない。
それでも、部隊は削られていく。
エリアスはその事実を、少し怖いと思った。
【挿絵 雨で遅れる輜重車】
*
輜重群の先頭が主力宿営地へ到着した頃には、夜もかなり深くなっていた。
食料は届いた。
しかし、問題は明日だった。
雨が続けば、道はさらに泥濘化する。
荷車は遅くなる。
そして最終日。
主力は平原への出口を確保しなければならない。
全体指揮官から緊急会議の通信が入った。
参加するのは、各群の指揮担当と独立機動班の班長。
ガイウスもその一人だった。
五人は天幕の中で、通信魔法具の受信盤を囲む。
全体指揮官の声が響いた。
「明朝、軽装機動群の出発を二刻早める」
複数の声が重なった。
「暗いうちですか」
「夜明け前に準備。薄明と同時に出す」
「理由は?」
「これ以上道が悪化する前に丘陵出口へ進める」
さらに続ける。
「平原への出口に先行して展開位置を確保する」
ガイウスの目が細くなった。
妥当だった。
主力全部を急がせれば疲労が増える。
だから一部だけ。
軽装。
速度を優先する。
先に出口を押さえ、その後から主力を追いつかせる。
「輜重は?」
誰かが尋ねる。
「食料の残りは現在の宿営地へ置く」
別の声が入る。
「工兵具は?」
「必要分だけ主力が分担する」
「盾もですか?」
「分散して持たせる」
主力側から不満の声が出た。
これ以上重量を増やすのか。
だが、出口へ着いても。
盾がない。
円匙がない。
簡単な遮蔽物すら作れない。
それでは位置を取っただけで、維持できない。
全体指揮官は少し黙った。
そして言った。
「軽装先遣は防御に適した位置の選定を優先。主力到着後、直ちに野戦陣地を構築する。盾と工兵具は主力各班へ分散携行」
誰かが尋ねる。
「輜重群を空荷で先行させては?」
「荷車そのものが泥に取られる。歩兵より遅い」
また沈黙。
「この案で行く」
声は若い。
だが、迷いはなかった。
「異論がある指揮担当は、今言ってくれ」
数人が細部を確認する。
しかし、大きな反対は出なかった。
最後に。
それまで黙っていたハルヴェイン中尉の声が通信へ入った。
「全体指揮官」
「はい」
「決断しましたか」
一拍。
少年は答えた。
「はい。これで行きます」
「了解しました」
それだけだった。
助言はない。
正解とも、不正解とも言わない。
決めたのは学生だった。
*
通信が切れた。
リオネルが言う。
「明日、早いな」
ガイウスが首を振る。
「俺たちは現行予定のままだ」
「どうして?」
エリアスが答える。
「たぶん、早く出す意味がないから」
マリエッタが地図を見る。
「私たちの経路は街道ではありません。泥濘の影響も主力ほど大きくないです」
ヒルデガルドも頷く。
「それに、私たちまで先遣に合わせたら、独立機動班として残している意味が薄れるわ」
ガイウスが地図を畳む。
「そういうことだ」
少し間を置いた。
「寝る」
誰も異論はなかった。
*
夜半。
雨はさらに強くなった。
風が樹木を揺らす。
天幕の布がばたばたと鳴る。
時折、水滴が縫い目から入り込む。
それでも、眠れない夜ではなかった。
場所を選んだ。
排水を作った。
荷物は地面から浮かせてある。
替えの靴下は防水袋へ入れた。
やれることはやった。
エリアスは一度だけ目を覚ました。
雨音。
風。
近くではガイウスが眠っている。
外では夜警が交代する気配がした。
少し離れたところにヒルデガルドの声。
異常を知らせるものではない。
エリアスは再び目を閉じかけた。
その時。
草の輪を思い出した。
あれが単なる注意喚起なら。
次は、注意するだけでは済まないものが来る。
たぶん。
明日。
エリアスはそこまで考えて、目を閉じた。
考えるのは、起きてからでいい。
今は眠れる。
なら、眠る。
*
五人が眠っている間にも。
少し離れた街道では、すでに学生たちが動き始めていた。
濡れた装備。
足りない睡眠。
水を吸って重くなった荷。
泥。
暗闇。
その中を。
軽装先遣群が平原出口へ向け、予定より二刻早く動き始める。
行軍演習、最終日。
雨はすでに学生たちの計画を崩した。
疲労も、空腹も、判断の遅れも生まれている。
だが。
教官側の本格的な対抗行動は、まだ全く見えていなかった。




