第16-1話 雨の夜(1)
二日目の朝は、昨日より静かに始まった。
天幕を畳む。
水を補給する。
足を確認する。
靴下を替える。
背嚢を背負う。
一度やれば、昨日より手際がいい。
エリアスも自分で肩紐を調整した。
ガイウスがそれを見て言う。
「今日は言わなくていいな」
「僕だって学ぶよ」
「昨日は疑って悪かった」
「昨日だけ?」
「そこまで言ってない」
リオネルが笑う。
五人は予定時刻より少し早く野営地を離れた。
森には朝の湿り気が残っている。
空は薄く霞んでいた。
昨日ほど青くはない。
だが、まだ雨の気配は遠かった。
*
毒蛇を見つけたのは、リオネルだった。
「止まれ」
いつもの軽い声ではなかった。
全員が足を止める。
リオネルが指差す。
落ち葉の中。
枯れ枝に見えたものが、ゆっくり動いた。
黒褐色の細い胴。
三角に近い頭。
マリエッタが息を呑む。
「毒があります」
ヒルデガルドが尋ねる。
「分かるの?」
「この地方なら、たぶん。この模様は近づかない方がいいです」
蛇はこちらを襲う様子はない。
五人は距離を取り、そのまま藪へ消えるのを待った。
ガイウスが言う。
「行ったな。進むぞ」
ところがリオネルは、自分の脚を見た。
「待って」
「何?」
背嚢を下ろす。
中から学院支給の軍用タオルを取り出した。
厚手。
吸水性より耐久性を重視した、妙にごわごわする布だ。
「これ、脚に巻かない?」
エリアスが見る。
「何で?」
「蛇」
「噛まれないように?」
「完全には無理だろうけど、脚衣一枚よりましじゃない?」
マリエッタがすぐに頷いた。
「いいと思います。少なくとも直接牙が届くよりは」
「歩きにくくならないか?」
ガイウスが聞く。
リオネルは脛へ巻いてみる。
膝下から足首まで。
簡単な脚絆になった。
数歩歩く。
「これくらいなら」
ヒルデガルドも巻き始める。
エリアスは手元の軍用タオルを見る。
「汗を拭けなくなる」
リオネルが呆れた。
「蛇に噛まれるのとどっちがいい?」
「巻きます」
判断は早かった。
五人とも脚へ布を巻く。
リオネルが満足そうに立ち上がった。
「どう?」
ガイウスが眺める。
「急に農兵っぽくなった」
「褒めてる?」
「半分」
ヒルデガルドが笑った。
*
昼を過ぎた頃。
マリエッタが何度か空を見るようになった。
最初に気づいたのはエリアスだった。
「雨?」
「たぶん」
西の空。
雲が厚くなっている。
まだ陽は見える。
しかし風が変わった。
木の葉の裏側が、時折まとめて白く見える。
「どれくらい?」
ガイウスが尋ねる。
マリエッタは空を見る。
地面を見る。
そして頬へ当たる風を確かめた。
「夕方までには降ると思います」
「強い?」
「そこまでは分かりません」
リオネルが言う。
「主力、大丈夫かな」
五人は街道から外れ、丘陵側を進んでいる。
独立機動班だから取れる経路だった。
主力各群は違う。
人数が多い。
輜重群もいる。
学院の演習区域だからといって、街道を封鎖してよいわけでもない。商人や一般の旅人の通行を妨げないことも演習条件に含まれている。
野営地の自由度は低かった。
エリアスが地図を見る。
「今日の主力の宿営予定地、この辺だよね」
街道沿いの低地。
水場へのアクセスはいい。
だが。
「雨が強いと、ちょっと嫌だね」
マリエッタも同じ場所を見る。
「かなり嫌です」
ガイウスが決めた。
「こっちは今日の予定宿営地を変える」
ヒルデガルドが尋ねる。
「どこへ?」
「候補を探す」
マリエッタが先頭へ出た。
「少し高い場所を見ます」
*
予定野営地の手前だった。
リオネルが突然立ち止まった。
「これ」
道の端。
草が数本、不自然に結ばれている。
一本ではない。
複数の草を束ね、輪にしてある。
誰かが意図的に作ったものだった。
ガイウスがしゃがむ。
「学院側か?」
「自然にはならないね」
エリアスが答える。
ヒルデガルドは周囲を見る。
罠らしいものは見えない。
「触らない方がいいわ」
マリエッタが長柄鎌の柄を伸ばす。
輪の下。
周囲の草。
土。
何もない。
少し離れた場所にも、同じ輪があった。
今度は二つ。
リオネルが首を傾げる。
「何これ。親切?」
ガイウスが言う。
「罠があるって教えてるのか?」
エリアスはしばらく草の輪を見る。
「たぶん、ここから先は警戒しろってことだと思う」
「なぜ?」
「いきなり本物の仕掛けを置いて踏ませるより、まず『こういうものがある』って知らせた方が訓練になるから」
ヒルデガルドも頷いた。
「教官側からの警告ね」
リオネルが嫌そうな顔をする。
「明日は何かするぞ、と」
エリアスが答える。
「今日からかもしれない」
「怖いこと言うなよ」
ガイウスは立ち上がった。
「ここからは足元も見る」
進行速度を少し落とす。
マリエッタが長柄鎌を前へ出した。
草を刈るのではない。
地表を軽くなぞる。
細紐。
杭。
不自然な草の倒れ方。
地面の沈み。
そうしたものを探すためだ。
昨日は農具だった。
今日は、少し違う用途になった。
リオネルがその様子を見る。
「これ、教官がすぐ許可した理由って――」
エリアスも鎌を見る。
「まだ分からない」
ヒルデガルドが横から言った。
「便利ね、その言葉」
「便利だから使ってる」
昨日と同じ答えだった。
*
結局、その日は何も起きなかった。
罠もない。
敵役の学生も現れない。
ただ。
雨だけは来た。
夕方。
最初は細かった。
天幕を張る頃には、はっきりした雨音へ変わっていた。
五人が選んだ野営地は、当初予定より百数十メートルほど高い。
緩い斜面の中腹。
背後に低木。
風上側には太い樹木が並ぶ。
地面も比較的硬い。
マリエッタが排水を確認する。
「天幕の周りだけ、浅く溝を掘りましょう」
ガイウスが小型円匙を取った。
エリアスも手伝う。
「こう?」
「もう少し外へ流してください」
「意外と難しい」
「水は低い方へ行くだけです」
「それがどこか分からないんだよ」
「見れば分かります」
「マリエッタにはね」
雨脚が強くなる。
五人とも、まだ笑う余裕はあった。




