第15-2話 最初の夜(2)
日没の少し前。
人影が現れた。
最初に気づいたのはリオネルだった。
「来る」
全員が止まる。
西側。
一人。
いや、二人。
木々の間から学院の野外服を着た成人が姿を見せた。
先頭はユリウス・ハルヴェイン中尉。
後ろに別の教官。
五人の空気が変わった。
ガイウスが立つ。
「ハルヴェイン教官」
ハルヴェインは学院礼を軽く返す。
視線が野営地を一周した。
天幕。
水筒。
偵察魔導具。
荷物。
干してある靴下。
長柄鎌。
誰も何も言わない。
教官も何も言わない。
ガイウスが少し待った。
「……何かありましたか?」
「確認です」
ハルヴェインはそれだけ答えた。
野営地の端まで歩く。
地面を見る。
空を見る。
学生を見る。
「続けてください」
そして来た道を戻っていった。
五人はしばらく黙っていた。
二人の姿が完全に消える。
リオネルが最初に口を開いた。
「絶対何かある」
「俺もそう思う」
ガイウスが答える。
マリエッタは教官たちが消えた方向を見る。
「何を見に来たんでしょう」
「野営地を覚えて夜襲」
リオネルが言った。
「ありそうだな」
ガイウスも頷く。
エリアスは何も言わない。
ヒルデガルドも、教官が消えた方向を見ていた。
*
「夜警を増やす?」
ガイウスが聞いた。
五人は小さな地図を囲んでいる。
当初の計画では、一人ずつ交代。
全員が最低限の睡眠を確保する。
「増やしたら明日がきつい」
リオネルが言う。
「でも襲われたら?」
「襲われるかな」
エリアスが初めて口を開いた。
ガイウスが見る。
「教官が来た」
「うん」
「わざわざ」
「だから、来ないと思う」
沈黙。
リオネルが眉を寄せる。
「逆じゃない?」
「本当に夜襲するなら、僕たちに警戒させる必要ないでしょう」
エリアスは言った。
「さっき教官が見えた時、みんなすぐ警戒した」
「それが狙い?」
ヒルデガルドが小さく笑った。
「私も同じ意見」
ガイウスが彼女を見る。
「理由は?」
「ハルヴェイン教官」
「教官が?」
「私たちに見られることを避けていなかった」
「確認だからだろ」
「そう。確認だから」
ヒルデガルドは続ける。
「隠れて野営地を観察することもできた。でも、普通に歩いてきた。私たちの反応も見ていたけれど、何かを隠そうとしている感じはなかった」
リオネルが聞く。
「感応使った?」
「少し」
「で?」
「少なくとも、『今夜何かしてやろう』と思って来た人の緊張には見えなかった」
「そこまで分かるの?」
「分からない」
即答だった。
「でも、隠し事をしている時に出やすい反応は少なかった」
エリアスが頷く。
「それに、初日から睡眠を削らせたら、三日目の評価が疲労差だけになる」
ガイウスが考える。
「教官が見たいのは、三日間の部隊運用」
「たぶん」
「じゃあ今夜は、警戒させるだけ?」
「それも試験かもしれない」
エリアスは言った。
「怖がって、自分たちで勝手に睡眠を削るかどうか」
しばらく沈黙した。
ガイウスが決める。
「予定通りにする」
エリアスが見る。
「いい?」
「俺が班長だ」
ガイウスは笑った。
「決断した」
*
夜警は一人ずつ。
最初はガイウス。
次がエリアス。
ヒルデガルド。
マリエッタ。
最後にリオネル。
「班長が最初?」
リオネルが聞く。
「何かあった時、最初に起きてる方がいい」
ガイウスが答える。
マリエッタが少し考えた。
「ただし、明日以降は順番を変えましょう」
「分かってる」
「本当に?」
「何で俺だけ信用ないんだ」
エリアスが横から言う。
「自分だけ多くやろうとするからじゃない?」
ガイウスが止まる。
「……今日は一回だ」
「なら大丈夫」
「お前ら、俺を何だと思ってるんだ」
リオネルが笑う。
「便利な大男」
「寝ろ」
*
最初の夜警が始まる前。
五人は靴下を天幕の内側へ吊るした。
五足。
湿っている。
リオネルが眺める。
「王国の未来が干されてる」
ヒルデガルドが吹き出した。
エリアスも見る。
「あまり立派に見えないね」
「明日の朝、乾いてれば立派だ」
ガイウスが言う。
マリエッタは念を押した。
「乾いてなかったら別のに替えてください」
「はい、お母さん」
リオネルが言う。
マリエッタは微笑んだ。
「明日、足が痛くなっても知りませんよ」
「すみませんでした」
訂正が速かった。
*
ガイウスに肩を揺すられて、エリアスは目を覚ました。
「交代だ」
「うん」
外へ出る。
夜の森は、昼とは別の場所のようだった。
月は細い。
木々の間から星が見える。
風は弱い。
遠くで何か小さな動物が鳴いた。
エリアスは偵察魔導具を一基だけ低く浮かせた。
広く飛ばさない。
周囲だけ。
何も起きない。
時間がゆっくり流れる。
昼間の疲労が、脚に残っている。
それでも、午後より少しましだった。
背嚢を下ろしているせいだけではない。
肩も、思ったほど痛くない。
エリアスは昼間のことを思い出した。
*
交代の時刻になった。
小さな灯りを手で覆いながら、ヒルデガルドが天幕から出てくる。
「時間よ」
「うん」
エリアスは偵察魔導具を手元へ戻した。
「周囲は?」
「何もなし。西側で小動物が一度。あとは静か」
「分かった」
ヒルデガルドが操作具を受け取る。
エリアスは天幕へ戻ろうとして、一度止まった。
「そうだ」
「何?」
「昼間、ありがとう」
ヒルデガルドが少し首を傾ける。
「何が?」
「背嚢」
自分の肩を指す。
「直してくれたでしょう」
彼女は一瞬、エリアスを見た。
「……今ごろ?」
「歩いてみたら、かなり違ったから」
「最初から違うと言ったでしょう」
「うん」
エリアスは素直に頷いた。
「だから、ありがとう」
ヒルデガルドは少し黙った。
「……どういたしまして」
「明日は今日より楽かも」
「そうだといいわね」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
エリアスは天幕へ戻っていった。
ヒルデガルドは、その背中を少しだけ見ていた。
それから偵察魔導具を浮かせ、暗い森へ視線を戻した。
*
夜は静かに過ぎた。
敵襲なし。
警報なし。
教官も来ない。
木々の音。
水の音。
交代の時刻。
それだけだった。
明け方前。
最後のリオネルへ交代したマリエッタが天幕へ戻る。
エリアスは一度目を覚ましたが、またすぐ目を閉じた。
何かが起きるかもしれない。
でも、それは今ではない。
少なくとも、そう判断した。
だから眠る。
それもまた、班としての決断だった。
*
朝。
何も起きていなかった。
誰の荷物も盗まれていない。
偵察魔導具も無事。
補給品もそのまま。
リオネルが朝食を食べながら言う。
「本当に何もなかった」
ガイウスが笑う。
「残念そうだな」
「いや、なんか悔しい」
ヒルデガルドが聞く。
「何と戦ってるの?」
「教官の心理」
マリエッタが即答する。
「負けてますね」
五人が笑った。
陽が昇り始めていた。
木々の間から射した朝の光が、昨夜干した靴下を照らす。
エリアスが一足取る。
乾いている。
「おお」
ガイウスが見る。
「何だよ」
「乾いてる」
リオネルが呆れる。
「朝一番の感動がそれ?」
「大事でしょう」
マリエッタが満足そうに頷く。
「大事です」
荷物をまとめる。
天幕を畳む。
火を使っていない場所にも痕跡が残っていないか確認する。
踏んだ草をすべて元へ戻すことはできない。
だから、どちらへ進んだか簡単には読めない程度に整える。
ヒルデガルドが最後尾で確認する。
リオネルは進行方向を偵察。
ガイウスが全体を見る。
マリエッタが水の残量を確認する。
エリアスは予定時刻と現在位置を記録した。
初日は終わった。
まだ誰も脱落していない。
補給も予定内。
偵察魔導具も全数。
疲労も許容範囲。
順調だった。
だからこそ。
教官たちは、まだ何もしてこなかった。
五人がその意味を知るのは、もう少し先になる。




