第7-1話 門の向こう(1)
第一編は、学生編となります。
(作品管理の都合で、プロローグの第0編から、話番号が連番で、第七話からの開始になります。よろしくお願いいたします。)
王国暦620年4月。
王立統合高等学院の正門をくぐってから、エリアス・フェルマーは三度立ち止まった。
一度目は、門そのものを振り返るため。
二度目は、その先に延びる道が思っていたより長かったため。
三度目は、どこへ行けばいいのか分からなくなったためだった。
「……広いな」
思わず声に出た。
故郷の地方国立学院なら、正門から本館の玄関まで歩いて一分もかからない。
ここでは門の向こうに、さらに街があるようだった。
左右には大きな樹木が並び、その間を幅広い石畳が真っ直ぐ延びている。
その道に沿って、一定の間隔を置いて石柱が立っていた。
全部で九本。
一本ごとに彫られている意匠が違う。
ずいぶん古いものらしく、表面の角は長い年月の風雨でわずかに丸くなっていた。
九本の石柱の先には、白灰色の石で造られた巨大な中央講堂が見える。
その手前を、濃紺の制服を着た新入生たちが行き交っていた。
エリアスは右を見る。
石造りの大きな建物。
左を見る。
芝地の向こうに円形の壁。
さらに奥には低い丘と森まである。
どこまでが学院なのか、よく分からない。
案内板を探そうとして――
「フェルマー?」
聞き覚えのある声がした。
振り返る。
淡い銀色の髪の少女が立っていた。
ヒルデガルド・アルトハウゼン。
濃紺の学院制服に、白い立襟。
上着は身体にきれいに沿い、袖にも襟にも乱れがない。
灰青色の瞳が、まっすぐこちらを見ている。
「……アルトハウゼン」
彼女の表情が、ほんの少し明るくなった。
「来たのね」
「うん」
「本当に受かったのね」
「その言い方、ちょっと失礼じゃない?」
「あなたが自分で、受からないかもしれないと言ったのでしょう」
「そうだけど」
エリアスも笑った。
「君も受かったんだ」
「私は受かると思っていたわ」
「そっか」
あっさりした返事だった。
ヒルデガルドは何か言おうとして、やめた。
「……まあ、いいわ」
*
数か月前。
商人組合での監査実習を終えて別れた時には、本当にそれが最後になるかもしれないと思っていた。
だから、もう一度目の前にいることが、思っていたより嬉しい。
もっとも、それを本人に言うつもりはなかった。
「いつ着いたの?」
「昨日の夕方」
「昨日?」
「船が遅れた」
「ああ」
それで納得した。
寮への荷物の搬入と入寮手続きは、一週間前から始まっている。
ヒルデガルドは初日に済ませていた。
衣類も教本も生活用品も所定の場所へ収め、寝具まで確認して、その日のうちに王都の実家へ戻った。
昨夜まで自宅にいたから、二人が寮で顔を合わせるはずもない。
「荷物は?」
「部屋にあるよ」
「片付けた?」
「置いた」
ヒルデガルドの眉が動いた。
「置いた?」
「うん」
「……まさか」
「ベッドの下」
「フェルマー」
「何?」
「いえ」
彼女は一度目を閉じた。
「あなたの同室者に同情しただけ」
「いい人だよ」
「もう知り合ったの?」
「うん」
エリアスは昨日のことを思い出した。
*
前日の夕方。
第七寮の玄関で、エリアスは寮監の前に立っていた。
「入寮許可書と健康票を」
「はい」
肩行李を下ろす。
留め具を外す。
手を入れる。
止まる。
「……」
寮監が待つ。
エリアスはさらに探す。
筆記具。
小さな帳面。
干した果物。
替えの靴下。
川運案内図。
魔法実習用の細い導線。
「フェルマー生」
「はい」
「書類を」
「今、探してます」
「それは見れば分かります」
寮監は五十代くらいだろうか。
灰色の髪をきっちりまとめ、細い眼鏡の向こうからエリアスの肩行李を見つめている。
「ありました」
底から封書を引き出す。
「最初から書類だけ別にしておきなさい」
「はい」
「次回から」
「はい」
寮監は健康票を確認した。
「男子居住区二階、二〇七号室。識別章を東階段の認証盤へ。共用区画は一階です」
「はい」
「女子居住区は三階。西階段の認証門は男子学生には開きません」
「はい」
「消灯後の共用区画使用規則は部屋にあります。読んでください」
「はい」
「本当に読みますね?」
「読みます」
寮監は少し疑わしそうだった。
*
二〇七号室には、すでに一人いた。
エリアスは扉を開けて、少し上を見ることになった。
大きい。
それが第一印象だった。
金髪。青い目。
肩幅は同年代とは思えない。
少年は自分のベッド脇で荷物を整理していた。
「同室か?」
「たぶん」
「二〇七?」
「うん」
「なら同室だ」
少年は笑った。
「ガイウス・レオニス」
「エリアス・フェルマー」
握手する。
手まで大きかった。
部屋は二人用だった。
左右にベッド。机。衣装棚。
壁面の小さな本棚。
窓は一つ。
エリアスは自分の側へ行き、旅行用の大きな行李をベッドの下へ押し込んだ。
肩行李を机の横へ置く。
「終わり」
ガイウスの手が止まった。
「終わり?」
「うん」
「開けないのか?」
「明日でいいよ」
エリアスは上着を脱いで、行李の上へ置こうとした。
「待った」
「何?」
「制服は掛けておいた方がいい」
ガイウスが衣装棚を指す。
「明日、入学式だろ。皺になるぞ」
「ああ」
確かにそうだった。
エリアスは上着を拾い、衣装棚へ掛ける。
「あと入学関係の書類」
「あるよ」
「出して確認した方がいいぞ。朝になって見つからないと面倒だ」
エリアスは机の横の肩行李を見る。さっきの寮監とのやり取りを思い出す。
「今?」
「今」
「なくしてないよ」
「俺もなくしてないと思う。でも確認した」
ガイウスの机を見る。書類が種類別に揃えて置かれている。制服の替えも、靴も、洗面用品も、すでに片付いていた。
体格から勝手に想像していた人物像と、少し違う。
エリアスは肩行李から封書を取り出した。
「あった」
「ならよし」
ガイウスは満足そうに頷いた。
エリアスは彼を見る。
「何だ?」
「いや」
「言えよ」
「母さんみたいだなと思って」
数秒、沈黙した。
「会って一時間も経ってない相手に、それを言うか?」
「ごめん」
「いや、別に怒ってないが」
ガイウスは笑った。
「俺の家、弟が三人いるんだ」
「なるほど」
「何がなるほどなんだ」
その晩。
二人は故郷の話を少しだけした。
ガイウスは北西部の農牧地方。
エリアスは河港の商業町。
見て育った景色はまるで違う。
それでも翌朝には、エリアスの制服の釦が一つ外れているのをガイウスが指摘する程度には、二人は打ち解けていた。
*
「という人」
エリアスが説明を終える。
ヒルデガルドは何とも言えない顔をした。
「そのレオニスという方には、四年間頑張っていただきたいわね」
「何を?」
「色々よ」
「?」
「それより書類は?」
「持ってる」
エリアスは肩行李を叩く。
「確認した?」
「昨日ガイウスと確認した」
「今朝は?」
「昨日あったんだから、あるでしょう」
「出して」
「ここで?」
「出して」
「アルトハウゼンまで母さんみたいになってきた」
「誰が!」
結局、出した。
あった。
「ほら」
「当然でしょう」
「信用ないなあ」
「昨日の話を聞いた直後に、どこからその信用を出せというのよ」
二人は新入生受付へ向かった。
歩き始めてすぐ、エリアスが石柱を見上げた。
「ところで、これ何?」
「九柱路」
「きゅうちゅうろ?」
「正門から中央講堂まで続く、この道の名前よ」
エリアスは前を見る。
確かに九本ある。
「九本あるから?」
「そう聞いているわ」
「何の柱?」
ヒルデガルドが横目で見る。
「それも案内に書いてあったでしょう」
「まだ全部読んでない」
「でしょうね」
エリアスは一番近くの石柱をもう一度見上げた。
何かの象徴らしい。
だが、今のところ、それ以上の興味は湧かなかった。
「受付は?」
「あっち」
「じゃあ行こう」
ヒルデガルドは小さくため息をついた。




